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連日の厳しい寒さがようやく緩み、三寒四温の序盤とでも言うべき麗らかな日和になった2015年2月下旬某日、世間より一足早くビジュアル的に春を感じたくなって、電車を乗り継いで、伊豆半島の早春の風物詩である河津桜を観に行くことにしました。開花状況を調べることなく、いつものように思いつきで出かけてしまったのですが、今年は開花の進み具合が遅いらしく、私が訪れたタイミングではまだ5~6分咲きにとどまっていました。それでも絢爛な春の景色に包まれ、今年初めての花らしい花を目にすると、自ずと心が弾みます。
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河津へ出かけたからには、当地の温泉に立ち寄らない訳にはいきません。河津の海岸から七滝方面へ川を遡ってゆくと、流れに沿っていくつかの温泉地が点在していますが、今回は川端康成の名作「伊豆の踊子」にも描かれている湯ヶ野温泉へ、路線バスに乗って向かうことにしました。湯ヶ野では老舗「福田家」をはじめとして、谷あいの鄙びた情景の中で数軒の宿が営まれていますが、この日私が日帰り入浴で利用したのは、温泉宿が集まる川岸の集落からちょっと離れた場所に位置する「国民宿舎かわづ」です。小学校と川に挟まれた細長い建物で、いかにも昭和の公的施設らしい武骨な感があり、玄関前に埋め込まれている定礎板には「昭和三十八年八月」と刻まれていました。後で調べたところ、同年10月に開業したそうですからから、右肩上がりだった高度経済成長期の観光需要を満たすべくこの国民宿舎が設けられたのでしょう。
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今回私がこの「国民宿舎かわづ」を敢えて訪れた理由は、約50年にわたって昭和の伊豆観光を支えてきたこの宿が来月(3月)20日を以て閉館されてしまうためです。フロントにて日帰り入浴をお願いしますと、快く対応して下さいました。えてして閉館を目の前に控えた旅館は、終息に向けた店仕舞い的空気感を随所に漂わせるものですが、訪問時はたしかにお客さんの姿が見えずにシンと静まり返っていたものの、食堂やおみやげコーナーなど館内の各施設は、古いなりに大変綺麗に維持されており、とても来月閉館だなんて信じられませんでした。
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川岸の傾斜地に建てられているため、玄関やフロントは3階にあり、浴場がある1階へは階段を下ってゆくことになります。踊り場の壁には映画「伊豆の踊子」撮影時のものと思しき俳優陣の寄せ書きが掲示されていました。この作品は何度も映画化されていますが、この寄せ書きは昭和38年に公開された日活のものであり、高橋英樹や吉永小百合といった面々のサインが木板に記されていました。ということは、この国民宿舎の開業とほぼ同時期に、映画の撮影や公開が行われたわけですね。
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階段を下りきった先に広がるホールには、昭和の温泉旅館には欠かせない卓球台が用意されていました。これまで幾人もの宿泊客が、浴衣の裾を躍らせながら、ピンポン球を弾ませて賑やかなひとときを過ごしてきたのでしょう。
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階段を下りきると、左右に長い廊下が伸びており、川の上流側へ向かう(階段を下って左折する)と後述する露天風呂、下流側へ向かう(同じく右折する)と内湯へとつながっています。日帰り入浴では内湯と露天風呂の両方に入れるのですが、まずは内湯から利用することにしました。廊下をすすんでゆくと、まず右手手前に女湯、突き当たり正面に男湯、そして更に左へ曲がった奥に家族風呂(岩風呂)がつづいています。家族風呂のドアは施錠されていたため、内部の様子はわかりません。
●内湯
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それでは男湯の内風呂へ。
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脱衣室はシンプルな造りで、棚や籠の他、洗面台が1台あるばかりですが、窓上の一部がサンルーフ状になっているために明るく、また内装にはすべて木材が用いられているので、窓から降り注ぐ陽光と相俟って柔和な印象をもたらしていました。木材はまだ古くなく、白木の美しさを残していましたので、改修されてまだあまり年月が経っていないのではないでしょうか。
壁の張り紙にはかけ流しであることが記されており、夏季には加水されること(加水率5%)や微量の塩素剤を使用している旨も併記されていました。
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河津川の渓流に面して設けられた広い浴室は、2方向にガラス窓を用いており、脱衣室同様に窓上の一部をサンルーフ状にしているため、照明要らずの大変明るい室内空間が生み出されていました。基本的には古い造りなのですが、適宜改修されているらしく、普段からの手入れも行き届いているため、経年劣化をあまり感じさせません。寒い時期のお風呂に発生しやすい湯気の篭もりもほとんど無く、快適な入浴環境が整えられていました。窓から首を出すと、流れの先に湯ヶ野の集落や橋、そして老舗旅館「福田家」などが眺められました。
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ガラス窓に沿って洗い場が配置されています。カランは5基あり、うち3基はシャワー付きです。浴槽はひとつだけで、洗い場とは反対側に据えられています。
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浴槽は総桧の立派なもの。川に向かって若干窄まっている縦長の台形で、川側から見た場合の幅はおおよそ2.5m、奥行は4mほど。実際に入浴してみますと、桧の肌触りが滑らかであり、しっかり肩まで浸かれる深さも良い塩梅で、温泉情緒がしっかりと伝わってくるなかなか優秀な入り心地を楽しめました。
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岩が積まれた湯口より源泉が投入され、その対称位置にあたる浴槽縁から、お湯が惜しげも無く溢れ出ています。脱衣室の掲示では夏季に5%加水するとのことでしたが、私が訪れた冬期は加水が行われていないものと思われ、湯口から落とされるお湯は大変熱く、湯船でも体感で43~44℃というちょっと熱めの湯加減になっていました。
湯船のお湯は無色透明で綺麗に澄んでおり、硫酸塩泉ならではのピリッとくる感覚と、やや熱めの湯加減が相俟って、入浴中はシャキッと心身が引き締まるような気持ち良さが楽しめました。また、湯中で腕を掻くと弱いトロミがあり、スベスベとキシキシが拮抗する浴感が得られました。湯口に置かれたコップでお湯を口にしてみますと、芒硝の味と匂いが明瞭に感じられる他、石膏感もあり、そしてそれら硫酸塩に起因すると思しきツーンとくるクスリっぽい刺激が口腔の粘膜に広がりました(消毒薬的な感覚ではなく、温泉由来のものです)。
●露天風呂
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続いて露天風呂にも入っちゃいます。内湯からは一旦服を着て廊下の反対側まで歩き、専用の勝手口から屋外に出て、川沿いの離れへと向かいます。
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いにしえの共同浴場みたいな佇まいの脱衣小屋は、こぢんまりとした無人の建物ですが、さすが宿泊施設に付帯しているだけあって、内部はよく手入れされていました。
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着替えを済ませて脱衣室の引き戸を開けると、すぐ真下に小さな露天風呂が張られており、左右両側に仕切り塀が立ちはだかっているだけでなく、スペース自体も猫の額ほどで、箱庭のように小さくまとまった造りは 広々とした内湯とは対照的です。しかしながら、お風呂がギュッと凝縮されている分、せせらぎがすぐ間近に迫っており、目の前に渓流を見下ろすロケーションはなかなか素晴らしいものがあります。川を背にして石の上に置かれた焼き物のカジカガエルが、何とも言えない愛嬌を振りまいていました。
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洗い場はあるものの、石鹸類は使用不可とのこと。排湯を川へ流しているのかな。
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石積みの湯口から裾を広げるようにお湯が落とされており、両裾の縁には硫酸塩の白い析出がはっきりと顕れていました。岩で縁取られた浴槽はおおよそ3人サイズ。ラッキーなことにこの時は終始私が独占できましたが、週末などでちょっとでもお客さんが集まっちゃうと、たちまち窮屈さを覚えてしまうかも。槽内はコンクリのままで、屋外に晒されたままだからか、湯中には不純物が若干目立っていました。
引かれている源泉は内湯と同じものですが、ここのみならず湯ヶ野はどこでも同じお湯(上河津財産区の源泉)を引いているはず。河津桜が咲き始めていたとはいえ、まだダウンコートを羽織らなくては外を歩けないほど冷え込んでいましたが、59℃の源泉がしっかり注がれているためか、露天の湯船は外気に負けることなく、体感で44℃近い湯加減を維持していました。湯使いはれっきとした掛け流しです。
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やや熱めの湯加減でしたので、肩まで浸かっていると、ものの数分で全身が火照ってしまいます。でも目の前には河津川が流れており、しかも左側からは花をたくさん咲かせた河津桜が伸びていたので、桜の下に腰かけながら渓流を眺めていると、全身でこの上ない爽快を感じながらクールダウンすることができました。この露天では、湯船で火照ったら、川を眺めてクールダウンするというサイクルを何度も繰り返し、存分に湯浴みを楽しませていただきました。
さて本文中でも述べましたように、この国民宿舎は来月(2015年3月)20日で50年余の歴史に幕を閉じることが決まっており、お宿のホームページや町役場のホームページでも同様のアナウンスがなされています。建物の老朽化が著しい上、耐震性やアスベスト対策などの問題もあり、利用客の減少も深刻だったものと想像されます。「河津町議会だより」の第61号(平成26年4月)によれば「宿舎の解体を平成27年3月以降に実施する」「解体部分は可能な限り撤去する」とのことですから、開業時から維持されてきた建物も、閉館後すみやかに姿を消してしまうようです。クローズまであと2週間の猶予があり、河津桜も今月中旬までは見頃が続くかと思いますので、もし時間に余裕がある方は、お出かけになってみてはいかがでしょうか。
カルシウム・ナトリウム-硫酸塩温泉 59.1℃ pH8.8 115L/min(動力揚湯) 溶存物質1.321g/kg 成分総計1.321g/kg
Na+:185.5mg(43.53mval%), Ca++:206.4mg(55.56mval%),
Cl-:53.1mg(8.17mval%), SO4--:792.1mg(89.86mval%),
H2SiO3:60.7mg,
伊豆急行・河津駅から東海バスの修善寺駅行で湯ヶ野バス停下車、徒歩2~3分(300m)
静岡県賀茂郡河津町湯ヶ野85-1 地図
0558-35-7111
ホームページ
日帰り入浴時間13:00~18:00
500円
内湯にシャンプー類・ドライヤーあり
私の好み:★★★