2月14日(水)曇り

バレンタインデーですね。
ま、そんなことはどうでもよい(・・・)
昨日、従姉で天才ユーチューバーのKemiちゃんが遊びにきましておしゃべりを楽しんだのですが、その中で驚いて、驚き過ぎて、Kemiちゃんが少々引くくらい熱弁をふるってもうた事がある。
最初は、松本氏だのサッカー選手だのの性加害問題だった。
テレビでは収まった感(いや、ワタクシがワイドショーを見ないからそう思ってるだけなのか?)あるが、YouTube界では、こっち派あっち派で繰り広げられておるらしい。
それを古館さんが語っていたという話から、Kemiちゃんが「句点の話になって、古館さんが俵万智さんの歌を引用しながら、句点を付けるのは決して圧をかけておるのではないのですと訴えてたよ」と言う。
つい先日、おばさん構文の話題からか、俵万智さんがXに
「句点を打つのも、おばさん構文と聞いて…この一首をそっと置いておきますね〜」と前置きしてから載せられた一首
優しさにひとつ気がつく ✕でなく○で必ず終わる日本語
これがXで流れてきた時、感動のあまり、滅多にやらないリポスト(・・・慣れない)までしたくらいだ。
この、句点がおばさん構文という事までは、まあ許そう。
おばさんと言われようが知ったこっちゃない。言いたい奴には言わせとけ。
と言いつつ、おばさんと聞いて思い出すのはこの一首。
おばさんは おばさんなれど おばさんに おばさんなんて いわれたくなし
随分前に朝日新聞の朝日歌壇「番外地」にあったもの。
いかん、話がそれ始めている・・・戻して戻して・・・
Kemiちゃんが言うには、いや、古館さんが言うには、
ラインとかで、この句点を付けられると「圧」を感じる若者がいるらしいのだ。
それで古館さんは俵さんの歌を引きながら「決して圧をかけてるわけではないのですよ〜」と訴えていたとかなんとか。
はあ〜〜〜っっっ!!!???
バカなの、句点に圧を感じるってどういうこと?そもそも小学校で習わなかったの?文章の最後には丸をつけるんですよって。
まあ、ラインとかの短い文章には句点は要らんと言われても、それはまあ許す。いや、ワタクシはどんな時でも句点打ちますけどね。
ラインにはあるまじき長文書きだし。
これで句点つけなかったら平安文学読む気分で難しくなるぜ。
古文のテストの時に「キーーーっ!なんで平安人は文章の最後に丸を付けないのだ!?読みづらいったらありゃしない。つか、そもそも一文が長過ぎっ!」と思いませんでしたか?
ワタクシは思いました。
だから、日本語には丸、英文にはピリオドと言うのが、現代人の大発明ですよ。いや、ピリオドの起源とか知らんけど。
若者に優しいKemiちゃんは少々たじろぎながらも「上司から丸付きのラインが送られてきて、圧を感じる部下がいるかもしれないと言うことだよ」
ちがーうっ!それはそもそもその上司と部下の関係性が悪いだけじゃ。
句点のせいにするなっ。
怒りのあまり、だんだん矛先は日本語が変わっていくことの嘆きに向かいはじめる。「ら抜き言葉」だの「早急」の読みだの・・・
で、三浦しおん著「舟を編む」や辞書編纂の飯間浩明さんの話を持ち出すも、ワタクシとKemiちゃんの興味趣味注目する分野の輪っかがほとんど重ならないので、このあたりで戦意喪失、ハッと我にかえる。
すまんすまん、熱くなり過ぎました。
余談ですが、今読んでる三浦しおんさんのエッセイに、この輪っかの重なりの事が出てて、ワタクシ初めてこの図を「ベン図」と呼ぶと知りました・・・
数学的な、いや、算数的な事に対するワタクシの興味の低さよ。
色々クネクネ話が飛んで恐縮ですが、ただ一言言いたい。
句点、あの小さな丸一つに圧を感じるようなら、それは少々弱すぎる。
圧を感じたら、それに反抗するような何かイヤミな事でもぶちかましてやれ。
平安時代の変体仮名のフォントでも作って、上司に手書きメッセージ送りつけてやれ、どうせ読めないんだから悪口並べてやれ。
君が感じているのは圧でも何でもなくて、ただその上司のことを嫌いなだけなんだよ。
と思う、昭和三十九年生まれ辰年、今年めでたく還暦を迎える女がバレンタインデーの夜に思うことでした。平和で何より。
今日の一枚は、我が家の天使イチちゃんのアンモニャイト。
今日は、ベン図とアンモニャイトを覚えて帰ってね。役に立ったねえ〜

バレンタインデーですね。
ま、そんなことはどうでもよい(・・・)
昨日、従姉で天才ユーチューバーのKemiちゃんが遊びにきましておしゃべりを楽しんだのですが、その中で驚いて、驚き過ぎて、Kemiちゃんが少々引くくらい熱弁をふるってもうた事がある。
最初は、松本氏だのサッカー選手だのの性加害問題だった。
テレビでは収まった感(いや、ワタクシがワイドショーを見ないからそう思ってるだけなのか?)あるが、YouTube界では、こっち派あっち派で繰り広げられておるらしい。
それを古館さんが語っていたという話から、Kemiちゃんが「句点の話になって、古館さんが俵万智さんの歌を引用しながら、句点を付けるのは決して圧をかけておるのではないのですと訴えてたよ」と言う。
つい先日、おばさん構文の話題からか、俵万智さんがXに
「句点を打つのも、おばさん構文と聞いて…この一首をそっと置いておきますね〜」と前置きしてから載せられた一首
優しさにひとつ気がつく ✕でなく○で必ず終わる日本語
これがXで流れてきた時、感動のあまり、滅多にやらないリポスト(・・・慣れない)までしたくらいだ。
この、句点がおばさん構文という事までは、まあ許そう。
おばさんと言われようが知ったこっちゃない。言いたい奴には言わせとけ。
と言いつつ、おばさんと聞いて思い出すのはこの一首。
おばさんは おばさんなれど おばさんに おばさんなんて いわれたくなし
随分前に朝日新聞の朝日歌壇「番外地」にあったもの。
いかん、話がそれ始めている・・・戻して戻して・・・
Kemiちゃんが言うには、いや、古館さんが言うには、
ラインとかで、この句点を付けられると「圧」を感じる若者がいるらしいのだ。
それで古館さんは俵さんの歌を引きながら「決して圧をかけてるわけではないのですよ〜」と訴えていたとかなんとか。
はあ〜〜〜っっっ!!!???
バカなの、句点に圧を感じるってどういうこと?そもそも小学校で習わなかったの?文章の最後には丸をつけるんですよって。
まあ、ラインとかの短い文章には句点は要らんと言われても、それはまあ許す。いや、ワタクシはどんな時でも句点打ちますけどね。
ラインにはあるまじき長文書きだし。
これで句点つけなかったら平安文学読む気分で難しくなるぜ。
古文のテストの時に「キーーーっ!なんで平安人は文章の最後に丸を付けないのだ!?読みづらいったらありゃしない。つか、そもそも一文が長過ぎっ!」と思いませんでしたか?
ワタクシは思いました。
だから、日本語には丸、英文にはピリオドと言うのが、現代人の大発明ですよ。いや、ピリオドの起源とか知らんけど。
若者に優しいKemiちゃんは少々たじろぎながらも「上司から丸付きのラインが送られてきて、圧を感じる部下がいるかもしれないと言うことだよ」
ちがーうっ!それはそもそもその上司と部下の関係性が悪いだけじゃ。
句点のせいにするなっ。
怒りのあまり、だんだん矛先は日本語が変わっていくことの嘆きに向かいはじめる。「ら抜き言葉」だの「早急」の読みだの・・・
で、三浦しおん著「舟を編む」や辞書編纂の飯間浩明さんの話を持ち出すも、ワタクシとKemiちゃんの興味趣味注目する分野の輪っかがほとんど重ならないので、このあたりで戦意喪失、ハッと我にかえる。
すまんすまん、熱くなり過ぎました。
余談ですが、今読んでる三浦しおんさんのエッセイに、この輪っかの重なりの事が出てて、ワタクシ初めてこの図を「ベン図」と呼ぶと知りました・・・
数学的な、いや、算数的な事に対するワタクシの興味の低さよ。
色々クネクネ話が飛んで恐縮ですが、ただ一言言いたい。
句点、あの小さな丸一つに圧を感じるようなら、それは少々弱すぎる。
圧を感じたら、それに反抗するような何かイヤミな事でもぶちかましてやれ。
平安時代の変体仮名のフォントでも作って、上司に手書きメッセージ送りつけてやれ、どうせ読めないんだから悪口並べてやれ。
君が感じているのは圧でも何でもなくて、ただその上司のことを嫌いなだけなんだよ。
と思う、昭和三十九年生まれ辰年、今年めでたく還暦を迎える女がバレンタインデーの夜に思うことでした。平和で何より。
今日の一枚は、我が家の天使イチちゃんのアンモニャイト。
今日は、ベン図とアンモニャイトを覚えて帰ってね。役に立ったねえ〜