かごめ かごめ
かごめ かごめ
かごの中の砂漠は
さらさら さらさら さあらさら
砂が流れるだけで 時は止まったまま
かごの中の鳥は
幼いころの幸せだった あなたとわたし
いついつでやる
よあけの晩に
月の光は明るく
さらさら さらさら さあらさら
降り注ぐだけで 時は止まったまま
鶴さん 亀さん
ドアを開けてくださいな
籠の鍵は 錆びた恋
いついつ でやる
(かごめ かごめ かごのなかのとりは
いついつ でやる よあけのばんに
つると かめが すべった)
そのとき
魔法がとけて 時計の針が1秒進む
かごめ かごめ
うしろの正面だあれ
さて。
高松で、子供の頃からお世話になった、先生と、久しぶりにお会いしてランチとお茶しました。
これから高松で本格的に地域の音楽の世界で仕事をしたり、活動することになるので、ご挨拶も兼ねて。
先生と母も同世代で、これまでもずっとおつき合いしてきたこともあって、久々に3人で会うことになりました。
私が先生の弟子だったのは、もう25年以上前。
先生は71歳。母は69歳。
2人は、堰を切ったようにテーブルに着いたとたん喋りまくりましたが、その話題の大半は、お互いの「健康状態」のことでした。
「自律神経失調」に2人とも悩まされたらしく、お互いに、私はこんな症状だったとか、血圧はどうで、朝起きたときの感じはどうで… 食事を作るのが億劫…という話から、やがては、定年退職後の夫と2人の生活のストレスについての話題へ、、、
家事をしない夫への不満、身体だけじゃなくて、精神的な苦痛を互いぶちまけまくり「私は絶対に夫を許せない」発言まで…
70になっても、師匠も母も、「女」として現役で生きているんだなあ…としみじみしてしまいました。
七十而従心所欲。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず…
「70になったら、好き勝手なことしてもドが過ぎず、自然体でいられるようになったわよぉ~ん」
2人の会話は、そんな貫禄を感じて、とても入っていけるものではありませんでした。2人とも働く母として、半世紀近くを生きてきたのです。
私も70歳になったとき、「自律神経失調症」と付き合いながら、働かねば。夫もいないし、年金も殆どないので、働いていなくてはいけないのです。その基盤をつくるために、郷里に帰る。一生働かなきゃ。一生、自分の好きな仕事で働いていたいです。
Takの保育園でリトミックの永倉栄子先生(70歳)と出会い、80歳でなお現役でダンス教師をしている父を持ち、私には、定年退職後の幸せな年金生活を送っている人たちよりも、老いても現役で働いている人たちのほうが輝いて魅力的に見えます。先日久々にテレビドラマをみましたが、70歳の女優さん、スゴかった。70代で女優であるということは、健康管理も、肌の手入れも、生活の全てを律し続けるということ。あまりにもかっこよくて、ため息が出てしまった…
師匠や母は、夫に文句いいながらも、ほんとにいい晩年を過ごしているなあ…と思いました。だんだん言うことをきかなくなっていく身体。衰え、老いを受け止め、その先の「死」も、かなりはっきりと視野に入ってきているようです。
ある時母に「自分が死に近付いていることをどう思う?」というようなことを聞いたとき、「もう生きることに以前ほど執着はない。やることはやったという思い。思い残すことが全くない訳じゃないけれど(妹の結婚や、Takの成長などなど)もうだいぶ、どうとでもなればいいと思えるようになってきた…」みたいなことを言っていました。握りしめていたものをふっと手放したような、そんな印象でした。
70年を生きた女性のことばとして、私はものすごく心に深く刻まれた気がします。
こんなこと、母だから聞けること。
これまで私は、この世代の人たちとの深い付き合いが殆どなかったように思います。
私はね、時代の流れにのって、高齢者対象のピアノ&声楽(カラオケ)教室をやろうとおもってるんだよ。もちろんもちろん、対象は全年齢。子供も募集しますけど。でも、自分とは違う世代の人たち、特に、60代以上の人に音楽のレッスンをしながら人生の話を聞けるなんて、超お得で楽しいじゃーん(^_^;)
これまで、東京でのLIVEや、Takの保育園のことでめいっぱいだったけれど、
ここにきて、私の人生後半構想がもぉ~~溢れ出して収拾がつかないことになってきています。まあ、引っ越してから、荷物整理と一緒に、じっくり整理しましょっ。
でっ
五十而知天命。
ってこた~、私はまだ天命を知らないってこった。
うーーん、人の一生はまだまだこれから奥深い。
かごめ かごめ
かごの中の砂漠は
さらさら さらさら さあらさら
砂が流れるだけで 時は止まったまま
かごの中の鳥は
幼いころの幸せだった あなたとわたし
いついつでやる
よあけの晩に
月の光は明るく
さらさら さらさら さあらさら
降り注ぐだけで 時は止まったまま
鶴さん 亀さん
ドアを開けてくださいな
籠の鍵は 錆びた恋
いついつ でやる
(かごめ かごめ かごのなかのとりは
いついつ でやる よあけのばんに
つると かめが すべった)
そのとき
魔法がとけて 時計の針が1秒進む
かごめ かごめ
うしろの正面だあれ
さて。
高松で、子供の頃からお世話になった、先生と、久しぶりにお会いしてランチとお茶しました。
これから高松で本格的に地域の音楽の世界で仕事をしたり、活動することになるので、ご挨拶も兼ねて。
先生と母も同世代で、これまでもずっとおつき合いしてきたこともあって、久々に3人で会うことになりました。
私が先生の弟子だったのは、もう25年以上前。
先生は71歳。母は69歳。
2人は、堰を切ったようにテーブルに着いたとたん喋りまくりましたが、その話題の大半は、お互いの「健康状態」のことでした。
「自律神経失調」に2人とも悩まされたらしく、お互いに、私はこんな症状だったとか、血圧はどうで、朝起きたときの感じはどうで… 食事を作るのが億劫…という話から、やがては、定年退職後の夫と2人の生活のストレスについての話題へ、、、
家事をしない夫への不満、身体だけじゃなくて、精神的な苦痛を互いぶちまけまくり「私は絶対に夫を許せない」発言まで…
70になっても、師匠も母も、「女」として現役で生きているんだなあ…としみじみしてしまいました。
七十而従心所欲。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず…
「70になったら、好き勝手なことしてもドが過ぎず、自然体でいられるようになったわよぉ~ん」
2人の会話は、そんな貫禄を感じて、とても入っていけるものではありませんでした。2人とも働く母として、半世紀近くを生きてきたのです。
私も70歳になったとき、「自律神経失調症」と付き合いながら、働かねば。夫もいないし、年金も殆どないので、働いていなくてはいけないのです。その基盤をつくるために、郷里に帰る。一生働かなきゃ。一生、自分の好きな仕事で働いていたいです。
Takの保育園でリトミックの永倉栄子先生(70歳)と出会い、80歳でなお現役でダンス教師をしている父を持ち、私には、定年退職後の幸せな年金生活を送っている人たちよりも、老いても現役で働いている人たちのほうが輝いて魅力的に見えます。先日久々にテレビドラマをみましたが、70歳の女優さん、スゴかった。70代で女優であるということは、健康管理も、肌の手入れも、生活の全てを律し続けるということ。あまりにもかっこよくて、ため息が出てしまった…
師匠や母は、夫に文句いいながらも、ほんとにいい晩年を過ごしているなあ…と思いました。だんだん言うことをきかなくなっていく身体。衰え、老いを受け止め、その先の「死」も、かなりはっきりと視野に入ってきているようです。
ある時母に「自分が死に近付いていることをどう思う?」というようなことを聞いたとき、「もう生きることに以前ほど執着はない。やることはやったという思い。思い残すことが全くない訳じゃないけれど(妹の結婚や、Takの成長などなど)もうだいぶ、どうとでもなればいいと思えるようになってきた…」みたいなことを言っていました。握りしめていたものをふっと手放したような、そんな印象でした。
70年を生きた女性のことばとして、私はものすごく心に深く刻まれた気がします。
こんなこと、母だから聞けること。
これまで私は、この世代の人たちとの深い付き合いが殆どなかったように思います。
私はね、時代の流れにのって、高齢者対象のピアノ&声楽(カラオケ)教室をやろうとおもってるんだよ。もちろんもちろん、対象は全年齢。子供も募集しますけど。でも、自分とは違う世代の人たち、特に、60代以上の人に音楽のレッスンをしながら人生の話を聞けるなんて、超お得で楽しいじゃーん(^_^;)
これまで、東京でのLIVEや、Takの保育園のことでめいっぱいだったけれど、
ここにきて、私の人生後半構想がもぉ~~溢れ出して収拾がつかないことになってきています。まあ、引っ越してから、荷物整理と一緒に、じっくり整理しましょっ。
でっ
五十而知天命。
ってこた~、私はまだ天命を知らないってこった。
うーーん、人の一生はまだまだこれから奥深い。