ぼろぼろのうた
僕たちが出会ったのは 雨降りの入学式
ぼろぼろの教室は水たまりの匂いがしたよ
ひびわれたすりガラズの窓辺で授業受けたよ
おっかない先生と ぼろぼろの僕たち
時は流れ 僕たちは15になった
ぼろぼろの教室も今は思いで
さよならも言えずに別れてしまった友達
破れた革靴が 過ぎ行く時を思わせる…
好きだった人と並んだ 懐かしい音楽室
ぼろぼろの机に こっそり刻んだ相合い傘
晴れた日のお昼やすみには 芝生で遊んでいたね
窓辺から見下ろして 少しだけときめいたよ
時は流れ 僕達はばらばらになった
人生のまん中で今は流されて
それぞれの夢を叶えたり 途中だったり
破れて ふと気付くとあの日の僕がここにいる
いつも夢中で走っていた
何度転んでも平気だった
仲間がなによりも大切だった
あの頃のままの僕が今もここにいて
これからが本当の人生だよと
昔のままで笑いかけてる
これからが本当の人生だよと
昔のままで 笑いかけてる
================================
中学校の夏休みの宿題で、学芸会用のクラスの歌を作るというのがありました
「フォーク」すぎてボツになりました(T_T)
2コーラスめをリメイクして人生中盤の「ぼろぼろの歌」にしました
ひとりでこっそり歌っていると泣けてきます…
中学生の頃、ある宗教家の本で、「菜食」を勧める文章を読みました。
あまりに昔なので細かいところは覚えていないけれど、もの凄く印象的でした。
「大きな動物は、自分が殺されるのがわかる。場に連れて行かれる牛は怯えているし、殺される瞬間、怒りや恐怖のホルモンが出る。その肉を食べると、その怒りや恐怖の毒が人間の身体の中に入り、食べ過ぎると肝臓で解毒しきれなくなり、人はだんだん攻撃的な性格になる。
小動物や魚も、大きな動物ほどではないが、成魚は捕まえられることを嫌って逃げる。殺されることを拒む。でも、海の動物は、自然界の中で生き残るのが難しいことを計算済みで大量に卵を生んで、稚魚を大量に放つので、それらを捕って食べるのはある程度はよい。
…しかし、生き物を殺して食べることを、当然と思ってはいけない。殺して自分の糧としていただくことに感謝の心を持つことで、『毒』は緩和される。
一方、植物には、個別の魂はなく、あるのは種としての魂?のようなもので、種を存続させるために、植物は自らを動物に与えることを望んでいる。」
こんな内容でした。
一方、その頃、学校の家庭科では、栄養の学習で、はっきりとこのように習いました。
「人間に近い構成の蛋白質を食べるのが、いちばん効率良く吸収できる。身体のなかで、構成し直す手間が省けるから。なので、動物性蛋白質、それも、牛や豚などの、ほ乳類の蛋白質がベスト。続いて、鳥類、そして、魚。植物性蛋白質はヒトには非常に遠く、ヒトの身体の中で、人間の蛋白質に構成し直すのは大変。」
全く正反対でした。だからこそ、ものすごく印象的だったのでした。
私は、幼気な中学生なので、教科書が正しいと信じることにしました。お肉は美味しいし、そのほうが都合がいいし。しかも、「感謝して食べれば、解毒効果がある」というようなところがうさん臭く、これは迷信だ、と思うことにしたのでした。
今日、中学の家庭科で習ったようなことをいう人はいません。あれは間違いだったってワケ、、、??
今でこそコメと小魚、旬の野菜の日本食が見直されているけれど、私は、小学校の頃、毎日毎日、嫌いなコッぺパンと牛乳の給食を食べてきた。アレはなんだったんだ? 当時の学校給食はたぶんアレルギーってことにも殆ど無頓着だった。私は卵と牛乳のアレルギーだった。幸い、就学までには治まった?ようなのですが、アレルギーだった食べ物をそう簡単に好きにはなれません。来る日も来る日も牛乳とパンは苦痛でした。
ご飯の日は1ヵ月に1回だけ。カレーや炒飯や、チキンライス…
さて。
最近、あちこちのブログで「食」について熱心に考えていらっしゃる方、自分の理念に基づいた食生活を実践されている方、警鐘を鳴らしていらっしゃる方、暗中模索の方などなどに出会います。
私も「暗中模索」グループです。
私のブックマークに載せさせていただいている空魚さんも、「食」について深い造詣をお持ちでいらっしゃいます。ぜひ御一読ください。
いろんな方の記事に触発され、あちこち徘徊しているうちに、中学のときに読んだ宗教家の「なるべく菜食のススメ」(←私が勝手に命名)を偶然に発見しました。
30年前に、「迷信だ」と思いながらもずっと気になり続けていた文章との思いがけない再会でした。こちらもよろしければ御一読ください。
肉食、菜食という以前に、今日の私たちの食生活は、私たちが口に入れる「食物」が経済、国交、流通…などなどに翻弄されて、全くワケのわからないアヤシゲなものを口にせざるを得ない途方もない状態になっていると思います。このブログをお読みの方も、いちどは考えてみてはいかがでしょうか?
気になるサイト、記事などもご紹介いただければと思います。
……つづく……
p.s.眼科の検査の結果は↓の記事に書きました
僕たちが出会ったのは 雨降りの入学式
ぼろぼろの教室は水たまりの匂いがしたよ
ひびわれたすりガラズの窓辺で授業受けたよ
おっかない先生と ぼろぼろの僕たち
時は流れ 僕たちは15になった
ぼろぼろの教室も今は思いで
さよならも言えずに別れてしまった友達
破れた革靴が 過ぎ行く時を思わせる…
好きだった人と並んだ 懐かしい音楽室
ぼろぼろの机に こっそり刻んだ相合い傘
晴れた日のお昼やすみには 芝生で遊んでいたね
窓辺から見下ろして 少しだけときめいたよ
時は流れ 僕達はばらばらになった
人生のまん中で今は流されて
それぞれの夢を叶えたり 途中だったり
破れて ふと気付くとあの日の僕がここにいる
いつも夢中で走っていた
何度転んでも平気だった
仲間がなによりも大切だった
あの頃のままの僕が今もここにいて
これからが本当の人生だよと
昔のままで笑いかけてる
これからが本当の人生だよと
昔のままで 笑いかけてる
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中学校の夏休みの宿題で、学芸会用のクラスの歌を作るというのがありました
「フォーク」すぎてボツになりました(T_T)
2コーラスめをリメイクして人生中盤の「ぼろぼろの歌」にしました
ひとりでこっそり歌っていると泣けてきます…
中学生の頃、ある宗教家の本で、「菜食」を勧める文章を読みました。
あまりに昔なので細かいところは覚えていないけれど、もの凄く印象的でした。
「大きな動物は、自分が殺されるのがわかる。場に連れて行かれる牛は怯えているし、殺される瞬間、怒りや恐怖のホルモンが出る。その肉を食べると、その怒りや恐怖の毒が人間の身体の中に入り、食べ過ぎると肝臓で解毒しきれなくなり、人はだんだん攻撃的な性格になる。
小動物や魚も、大きな動物ほどではないが、成魚は捕まえられることを嫌って逃げる。殺されることを拒む。でも、海の動物は、自然界の中で生き残るのが難しいことを計算済みで大量に卵を生んで、稚魚を大量に放つので、それらを捕って食べるのはある程度はよい。
…しかし、生き物を殺して食べることを、当然と思ってはいけない。殺して自分の糧としていただくことに感謝の心を持つことで、『毒』は緩和される。
一方、植物には、個別の魂はなく、あるのは種としての魂?のようなもので、種を存続させるために、植物は自らを動物に与えることを望んでいる。」
こんな内容でした。
一方、その頃、学校の家庭科では、栄養の学習で、はっきりとこのように習いました。
「人間に近い構成の蛋白質を食べるのが、いちばん効率良く吸収できる。身体のなかで、構成し直す手間が省けるから。なので、動物性蛋白質、それも、牛や豚などの、ほ乳類の蛋白質がベスト。続いて、鳥類、そして、魚。植物性蛋白質はヒトには非常に遠く、ヒトの身体の中で、人間の蛋白質に構成し直すのは大変。」
全く正反対でした。だからこそ、ものすごく印象的だったのでした。
私は、幼気な中学生なので、教科書が正しいと信じることにしました。お肉は美味しいし、そのほうが都合がいいし。しかも、「感謝して食べれば、解毒効果がある」というようなところがうさん臭く、これは迷信だ、と思うことにしたのでした。
今日、中学の家庭科で習ったようなことをいう人はいません。あれは間違いだったってワケ、、、??
今でこそコメと小魚、旬の野菜の日本食が見直されているけれど、私は、小学校の頃、毎日毎日、嫌いなコッぺパンと牛乳の給食を食べてきた。アレはなんだったんだ? 当時の学校給食はたぶんアレルギーってことにも殆ど無頓着だった。私は卵と牛乳のアレルギーだった。幸い、就学までには治まった?ようなのですが、アレルギーだった食べ物をそう簡単に好きにはなれません。来る日も来る日も牛乳とパンは苦痛でした。
ご飯の日は1ヵ月に1回だけ。カレーや炒飯や、チキンライス…
さて。
最近、あちこちのブログで「食」について熱心に考えていらっしゃる方、自分の理念に基づいた食生活を実践されている方、警鐘を鳴らしていらっしゃる方、暗中模索の方などなどに出会います。
私も「暗中模索」グループです。
私のブックマークに載せさせていただいている空魚さんも、「食」について深い造詣をお持ちでいらっしゃいます。ぜひ御一読ください。
いろんな方の記事に触発され、あちこち徘徊しているうちに、中学のときに読んだ宗教家の「なるべく菜食のススメ」(←私が勝手に命名)を偶然に発見しました。
30年前に、「迷信だ」と思いながらもずっと気になり続けていた文章との思いがけない再会でした。こちらもよろしければ御一読ください。
肉食、菜食という以前に、今日の私たちの食生活は、私たちが口に入れる「食物」が経済、国交、流通…などなどに翻弄されて、全くワケのわからないアヤシゲなものを口にせざるを得ない途方もない状態になっていると思います。このブログをお読みの方も、いちどは考えてみてはいかがでしょうか?
気になるサイト、記事などもご紹介いただければと思います。
……つづく……
p.s.眼科の検査の結果は↓の記事に書きました