紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

嬉しい日

2005-10-18 08:08:09 | 15・心に残ること
Blogを始めて1年半たつが、きのうほど嬉しかった、と思った日はない。ああほんとうにBlogを始めてよかったなあ。

最初にBlogを書き始めた時、「紅蓮」というハンドルネームを使ったものの、サブタイトルに本名をいれているので、いつか、昔よく知っているという人が訪れてくれるかもしれないと思っていた。
ちなみに、何度か書いているが、この紅蓮という名は、スェーデンの児童文学作家、リンド=グレーンの名からとっている。

そうしたら、ほんとうに訪れてくれたのだ。
きのうはBlogも書かずに、昔のアルバムを見て、昔に返った。

その時代の人に会うと、その時代に返るというけど、私にとって、大学を卒業した直後から2年間は特別な期間だ。
何かがぎゅっと凝縮して、中味がぎっしりと詰まっている時代。
他の小学校時代や、中学時代などと同じように、もう二度とそこへはもどれない時代。
だからこそ、宝物のように大事な、いとおしい時代。

その2年間、私は練馬区の大泉学園小学校というところで、教師をしていた。
1年と持ち上がりで2年の担任。
その間、大好きなリンド=グレーンが書いた本の題名からとって、「やかまし村」「続・やかまし村」という学級通信を出していた。

第一号の最初には、こう書いた。

私は小さい頃からリンド=グレーンの童話が大好きでした。
そして、数あるお話の中でも、「やかまし村」の三冊の本を出会った最初の印象を忘れることができません。
今、学級通信を出すにあたって、「やかまし村」に出てくる子どもたちのように、やさしく、明るく、のびのびと育ってほしい。そんな思いを込めて「やかまし村」を作りました。……

私の人生で、あとにも先にも、受け持ったのは、そのクラスの子どもたちだけだ。
スタートは40人。転校生がいたので、全部で、45人くらいの子どもたち。



きのうは、コメントをくれたのは誰だろうなあ、といろいろ思いめぐらせた。
受け持ったのは、全部で45人だけど、私の今の名前を知っていて検索できる人は案外少なく、名前で(名字ではなく)Tさん、Yさん、Mさん、S君の4人かな?。
それとも、他にも、もしや私の今の名前を知っている人はいるかな?
考えているだけでも楽しくて、あの頃のみんなのあどけない顔がぐるぐると思い浮かんだ。

あの頃の子どもたちはみんな、今どうしているだろう? 今はもう30代半ばになってはずだ。
みんな、どこかの空の下で、幸せに暮らしているといいなあ。

追記)この運動会の写真は、父が新米教師である私がちゃんとやっているか、わざわざ練馬の学校まで見にきて、写してくれたものだ。