このために三宅島から帰ってきたのだけど、昨日、おとといは、お盆で千葉の実家にいった。
お寺さんが来て下さって、お経をあげれくれた。
初めての方だったが、とても気さくな感じで、「みなさんがお経を唱えて下さるので、まちがえてはいけないと緊張しました。」とのこと。
いつも、お経を唱えるときは、心をこめて、声をだして唱えることにしている。
その後、義母、義兄、義姉、甥、息子夫婦たちとウナギを食べに行った。
あまりにおいしくて、内地には、このようにおいしいものがあるのだと、あらためて感じた。
そして、今日は写真にはないが、お寿司を食べにいった。
島にはあまりそういう物も、食べさせてくれる店もない。
けれど、だからといって、それが不満でもなく、それで十分だと思う。
島では、ちょっとしたごちそうを、ほんとうにありがたいと思って頂いている。
お寺さんが来て下さって、お経をあげれくれた。
初めての方だったが、とても気さくな感じで、「みなさんがお経を唱えて下さるので、まちがえてはいけないと緊張しました。」とのこと。
いつも、お経を唱えるときは、心をこめて、声をだして唱えることにしている。
その後、義母、義兄、義姉、甥、息子夫婦たちとウナギを食べに行った。
あまりにおいしくて、内地には、このようにおいしいものがあるのだと、あらためて感じた。
そして、今日は写真にはないが、お寿司を食べにいった。
島にはあまりそういう物も、食べさせてくれる店もない。
けれど、だからといって、それが不満でもなく、それで十分だと思う。
島では、ちょっとしたごちそうを、ほんとうにありがたいと思って頂いている。
内地という言葉が懐かしくて書いています。
屋久島にいるときよく聞いた言葉です。もう島の人って感じだね。
屋久島なつかしいね。
島の人には、なかなかなりきれません。
島の人から、「私も島の人間ではなくて、あとから移り住んだんですよ。」といわれ、何年前か聞いたら、「20年。」
それでも、最初から島にいた人とは違うようです。