(↑フリー素材からお借りしました)
何年かぶりに12月25日、クリスマス当日が日曜日。
全国を見渡せば、ホワイトクリスマス率が高い今年。
コロナ禍は続き、
まだまだ閉塞感のある日々ですが、
なんとか無事にクリスマスを迎えることができ、ホッとしています。
クリスマス礼拝では、
コロナでだいぶ長い間できなかった聖餐式も行われました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/6a/a05ac4bc22b04371ffb9d5700fa29592.jpg?1671939563)
今年のクリスマス、
わたしにとって一番印象的だったのは、
それに先立って少し前に開催した「子どもクリスマス会」でした。
そこでキャンドルサービスの時を持ったのですが、
これも3年ぶり。
コロナ禍がなくても、
ミッション系の幼稚園や学校に行ってなければ、
こんな経験はあまりないことでしょう。
小さな子どもたちは特に興奮気味。
確かに目の前にロウソクの灯火があるなんて、
普段の生活でもほぼない昨今。
ミッションに行ってる子どもたちも、
学校や幼稚園とはまた違う雰囲気に、
目をキラキラさせて
ロウソクの灯火に目を凝らしていました。
それぞれの表情が印象的でした。
その時、わたしが司会をしていましたが、
ロウソクの火を見つめながら、短く読んだのが、
ヨハネによる福音書12章46節でした。
”わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることがないように、
わたしは光として世に来た。”
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/2c/626e156cc3f1ba0374d07e5450cf7f2b.jpg)
この主イエスのことばを思い起こすために、
わたしたちは礼拝でロウソクに灯りを灯すのです。
イエス様が世を照らす光として、わたしたちのところに来てくださり、
どんなに暗く沈んだ環境にいても、
暗く沈んだ心になっていても、
わたしたちがその場から頑張って飛び出そうとしたり、
必死に心を変えようとしなくても、
そのまま、
その場所で、
その状態にいるわたしたちのそばに一緒にいてくださるということなのですね。
これは、まさに旧約聖書の詩篇に書いてある通りです。
どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、
陰府(よみ)に身を横たえようとも
見よ、あなたはそこにいます。
曙の翼を駆って海の彼方に行き着こうとも
あなたはそこにもいまし
御手を持ってわたしを導き
右の御手をもってわたしをとらえてくださる。
わたしは言う。
「闇の中でも主はわたしを見ておられる。
夜も光がわたしを照らし出す。」
闇もあなたに比べれば闇とは言えない。
夜も昼も共に光を放ち
闇も、光も、変わるところがない。
詩篇139篇7~12節
逆説的な言い方で、
宗教改革者マルティン・ルターも、こんなふうに言っています。
『キリストが共におられるのならば、わたしは喜んで地獄にも行こう。キリストがおられるところが、天国だからである』
色々な形でお祝いされるクリスマス。
信仰の形は違っても、
クリスマスをお祝いされ、楽しまれる皆さん全ての上に、
神様のお恵みが豊かにありますように。
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