蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

自由学園 明日館  (bon)

2018-06-22 | 日々雑感、散策、旅行

 

 一昨日、6/20は、小雨の中、久し振りにランチの会がありました。

 早めのランチを済ませて、池袋から徒歩7分くらいのところ、住宅街のしっとりとした佇ま
いの中に、幾何学模様を感じさせる一角がありました。 重要文化財 自由学園 明日館を
訪問しました。 みょうにち館と読むようです。

  かって、もうかなり前のことですが、この学園の前の道を通ったことがあり、ちょっと変
わった風情のある建物の外観は、見たことがありましたが、中に入って見学するのは初めての
ことでした。使いながら文化価値を保存する「動態保存」のモデルとして運営されています。

 重文だけあって、木の床は、黒っぽいニスで固められたような光沢を放っていますし、すり
減った階段なども魅力に感じたのでした。
 食堂が建物の真ん中にあって、ここも幾何学的な
装飾でちりばめられており、照明も写真のように独創的なものでした。

 自由学園明日館は、1921年(大正10)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎と
して、アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設されたとあります。

 ライトは、当時、焼失した帝国ホテルの設計(再建)のために来日しており、夫妻の目指す
教育理念に共鳴し、「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の思いを
基調に、設計したそうです。

       自由学園 明日館
        


 空間を連続させて一体構造とする設計は、枠組壁式構法(2×4構法)の先駆けともあり
ましたが、中央棟を中心に、左右に完全なシンメトリーに配された 高さを抑えたその景観は、
ライト第一期黄金時代の作風でもあると・・。プレイリースタイル(草原様式)と呼ばれる
そうで、彼の出身地区・ウィスコンシンの大草原からの着想だそうです。
 今は、建て込んだ住宅地に接していますが、当時の池袋界隈に開放的な空間を演出してい
たのでしょう。 1997年(平成9)に、国の重要文化財指定を受けています。

 食堂                 ライト設計の照明
 

               食堂から階下のホールの窓を通して庭園を望む
          
 

 建物が先になって、そもそもの自由学園についての記述が後になってしまいました。

 1903年、羽仁吉一、もと子夫妻は、婦人誌『家庭之友』(『婦人之友』の前身)を創刊し、
数年後、独立して婦人之友社を設立しました。(現在も、明日館の道路を隔てた反対側に
本社がありました。)

 そして、前出の 1921年(大正10)に、知識の詰込みではない、新しい教育を実現するため、
自由学園を創立したのです。 

 1934年(昭和9)に自由学園は、南沢(東久留米市)に移転し、現在では、幼児生活団(幼稚
園)、初等部(小学校)、男子部、女子部(中学、高校)、最高学部(大学)の一貫校として
約1,000人が学んでいるそうです。
 最高学部は、文部省による大学の認定は受けていないそうですが、大学卒扱いとされいて、
卒業生の約4割は一般の大学大学院へ進み、他は様々な企業に就職しているとありました。

 訪れてみて、はじめてこのような理念を持つ学校があり、再来年には100周年を迎える歴史を
重ねていることを知り、もはや関係のない身ながら、どこか暖かな感じがするのでした。
 こんな近場に、このような拠点があったことにも驚きでした。

 明日館内のホールで、コーヒーを飲みながら、その昔に思いをはせてみました。

  

  

 

 

 

 

コメント
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