どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

どうぶつ・ティータイム(29)

2007-11-05 03:57:57 | 映画

     隠れた昭和のノスタルジー

 ご承知の方も居られるだろうが、11月はじめ国土交通省が中軽井沢から146号・292号を経由して草津に至る道路を『さわやか街道』と命名したようだ。
 すでにこのルートは『日本ロマンチック街道』と呼ばれていて、何をいまさらと思う人もいるだろうが、何はともあれ関東随一のさわやか道路と認定されたことは、日常的に利用し風景に魅せられていた者としてさもありなんと首肯する出来事であった。
 時あたかも紅葉の季節、時宜を得た発表ではあった。
 ドライブのマイカー、隊列を組んだライダーたちが大いに楽しんでいるルートだけに、今後とも「さわやか」であってほしいと願う次第である。

 浅間山から草津白根まで、ドライブしながら眺める山容の変化もすばらしい。場所によって四阿山、鼻曲山も望見することができ、浅間周辺の眺望は飽きることがない。
 移動しながらの観賞も好きだが、最近は浅間高原の一角にある天丸山からの眺めにはまっている。360度のパノラマが広がり、浅間山、東部湯の丸峠、四阿山、本白根、鼻曲山、浅間隠山、二度上峠など四方を山で囲まれている地形が実感できる。

 因みに天丸山へは北軽井沢の浅間牧場入口から行ける。
 長いこと売店と山羊や兎のいるミニ動物園だけかと思っていたが、旧軽井沢方面の白糸の滝まで続くハイキングコースがあって、比較的なだらかな上り坂を進むと下界の草原と森林が眺められ、鬼押出し展望台やプリンスランドの観覧車以外の人工物はすべて樹海の中に埋まっているのがよくわかる。
 146号の沿道には人家が並んでいて結構にぎやかだと思っていたが、上から覗くとまだまだ熊やカモシカの住処にふさわしい場所だと認めざるを得なかった。

 丘の上には『丘を越えて』という歌謡曲の作曲者古賀政男の記念碑があり、さらに作詞を担当した島田芳文の歌詞表示板もあって、昭和6年当時のこの地の賑わいが偲ばれるのである。
 幸いにして、風景は昔とあまり変わっていない気がする。丘の上をわたる風のそよぎが頬を撫ぜ、木の香を含んだ空気が肺の隅々までいきわたる。展望とあいまって実に心地よい場所であることは間違いない。
 
 ところで売店の入口には古ぼけた映画のポスターが掲げられていて、ここで『カルメン故郷に帰る』と『月がとっても青いから』が撮影されたことを知った。
 裏手には高峰秀子のアップ写真をカラーで取り込んだポスターもあり、なるほど浅間高原がロケ地であったことがよくわかる。
 円い丘の芝生のところどころに一本、二本と松の木があり、それを背景に日傘を差したヒロインが颯爽と丘を下ってくるシーンがダブってくる。
 その時代を生きたわけでもないのに、ノスタルジーを感じる一瞬であった。

 その日思いがけない偶然があったことも、ロケ地の印象を深くした。
 二十年も前に銀座の並木座で観た『カルメン故郷に帰る』の思い出を妻としゃべっていたら、同じようにポスターを覗き込んでいた三人連れの中のご婦人が「この人はこの映画を撮影したご本人なんですよ」と話しかけてきたのだ。
 指し示されたのは品のいい男の人で、ポスターの撮影者名から赤沢定雄さんと読み取れた。
 いろいろお話を伺うと、初めてイーストマンカラーで撮影に臨んだ苦労話なども聞かせてもらえた。それにしても、ほぼ六十年前の記憶を手繰る老人の懐かしげな表情に、こちらもほのかな幸せ気分を味わったのだった。

 

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4 コメント

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日本発の総天然色映画 (知恵熱おやじ)
2007-11-07 12:42:00

『カルメン故郷に帰る』は木下恵介監督の日本初の総天然色映画ですが、その撮影にあたった赤沢定雄カメラマンに偶然お会いになられたとのこと!

素晴らしい遭遇でしたね。
あの黒澤明監督でさえ最初のカラー映画を撮るまでに逡巡に逡巡を重ねたほどで、ましてや日本映画ではじめてのカラー映画ともなればそのキーマンであるカメラマンに如何に大きな重圧がかかったか、クリアしなければならない問題が無数にあって試行錯誤を繰り返したに違いありません。
きっとそこにはドラマチックなエピソードもあったことが想像に難くありませんね。
短い立ち話ではそこまでは語ってくれなかったかもしれませんが、何か面白い話が聞けたのではないでしょうか。

何かこれはという話があったのであれば、ぜひ公開してくださいませ。
期待しています。

写真いい風景ですね。
山の並びと林の取り合わせが計算したようなバランスで。
知恵熱おやじ
返信する
さわやかな緑風 (くりたえいじ)
2007-11-07 16:27:44

「木の香をふくんだ空気が肺のすみずみまで」なんていいですねえ。掲載された画像がその心地よさを助長してくれているようで。


日本のどこにでもありそうな景色ですが、この筆者の筆にかかると、そこが特別に素敵な地域に思えたりして……。そう、『カルメン故郷に帰る』のロケ地であってみれば、それもうなずけます。明るい丘の上で高嶺秀子ともう一人のダンサーがフリを付けている場面、思い出されますねえ。その、もう一人は小林とし子とか言いませんでしたっけ?
返信する
訂正します (知恵熱おやじ)
2007-11-08 16:25:58

先のコメントを訂正します。

『カルメン故郷に帰る』(昭和26年木下恵介監督 その年のベストテン4位)の撮影者は楠田浩之カメラマンでした。

楠田カメラマンは木下監督の妹(シナリオ作家の楠田芳子)の夫で、木下監督作品の大部分の撮影を担当しているようです。
木下監督自身松竹に入ってから撮影助手として働いており、監督になってからもカメラワークには深く関わっていたということです。

赤沢定雄氏がどういうかたちで撮影に関わっていたか分かりませんが、、、。

なお、この映画も含め木下映画の音楽はすべて実弟の木下忠司氏が担当しており、木下監督は親しい身内だけで固めていたようです。

赤沢定雄氏は何者か、興味がありますね。



知恵熱おやじ
返信する
赤沢定雄さんのポジション (窪庭忠男)
2007-11-08 16:49:51
(知恵熱おやじ様、くりたえいじ様)コメントありがとうございました。
 みなさま年代的に『カルメン故郷に帰る』に思い入れがあるようで、いろいろな知識・思い出をお寄せいただき刺激を受けました。
 そこで、次回ブログで当時の撮影風景を写した写真を投稿いたします。赤沢定雄さんとの会話の一部も・・・・。
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