(浅間・寝姿観音)
久しぶりに秋のロマンチック街道を楽しんだ。
中軽井沢から峰の茶屋に至る紅葉ラインは、高度を上げるにしたがって色合いの変化が楽しめた。
昨年と違い、今年は紅葉の期間が短いようだ。東京にいると分からないが、けっこう寒暖の差が激しいと聞いた。
草津のメロディー・ロードに掛かる手前の急坂は、左右の紅葉黄葉が色鮮やかに輝いて温泉客をもてなしてくれる。
ひと風呂浴びたあと食料を買い込み、北軽井沢に戻って幾日かの逗留に備えた。
じゃがいもを掘り終わり、インゲンの支柱も取り払った畑は、今は手の掛からない小松菜に青々と覆われていた。
全面に小松菜の種をばら撒き、少し成長するのを待って間引いてやる。
二度ほど間引いたあとなので、二十センチ四方に一本の割合で伸びている。
一番安直な葉物だが、グリーン・ジュースやサラダ、炒め物、味噌汁の具など多様な使い道ができる。
霜が降りようが、雪が降ろうが、まったくめげずに年越しをしてくれる。
根を抜かずに、葉っぱだけ摘まんで食べていると、繰り返し別の葉が出てきて実に重宝している。
忙しい滞在が続いたので見送っていたが、今回は屋根に上ってじっくり枯れ葉落としをやった。
5メートルにも及ぶ枯れ枝も、ついでに引き摺り下ろした。
集めた落ち葉は、手造りの焼却炉で燃やす。
用意したサツマイモを灰に埋めると、他の焼き方ではできない、ほっくりした焼き上がりになる。
晩秋から初冬にかけての楽しみの一つだ。
バターを一切れ載せて、野外のテーブルで束の間のティータイム。
リプトンの安いティーパックでも、なかなかの気分が味わえる。
明日はいよいよ帰らなければならないという土曜日、ロマンチック街道(国道146号)から東側に位置する熊川を越えてみた。
浅間山麓に広がる嬬恋の広大な野菜畑と違い、こちらは入り組んだ谷と森を抜けた末の手狭な開墾地である。
サイロや牧場が目立つのは、嬬恋とは異なる工夫がそうさせたのであろうか。
似たような地域でも、自然の制約が人間の生活に微妙な影響を与えるのを見た気がした。
坂を駆け上がって目にした浅間が、きょうの画像である。
寝姿の観音様が、安らかに横たわっているように見えないだろうか。
ふっくらとした腹部が浅間山で、顔は隣接する前掛山だ。
146号の限られたポイントからも見えるが、樹木や家屋、電線等にさえぎられてイマイチ満足できなかった。
その点この画像では、前景が牧草地のため寝姿がのびのびと眺められる。
今はおとなしく寝ているが、腹を立てるとヘソから火を吹いて癇癪を起こすんだろうな?
そんなことを考えると、見慣れたはずの浅間山に、よけい親しみを感じるのだった。
周辺のどこからでも見える浅間山、佐久や東御から見るのと反対側の嬬恋とではまったく別の顔だ。
あまり行ったことのない北東側からの眺めが、今回の収穫だった。
とりわけ植物群との付き合い方にそれがよく表れています。
小松菜なんて軽視しがちですが(小生だけか)、そんな重宝さがあるなんて!
枯葉を落として燃やし、薩摩芋をそこで焼く。ほこほこした湯気と味わいが伝わってくるようです。
いつも伝えてくれる浅間山の様子も、ちょっと角度を変えると、そんな風景を楽しめるなんていいですね。
寝姿の観音様風の景色も望めるなんて!
一幅の絵と詩情、さらには高原での暮らしぶりの一端を楽しませてもらいました。
無理かもしれませんが、北軽井沢の別宅のたたずまいを画像で見たいものです。
「腹を立てるとヘソから火を噴く」寝姿の山なみ・・・はっはは。
畑仕事も慣れて自然の中での日々を愉しんでいる窪庭さんと奥さんのゆったりしたお顔が見に浮かびますね。
これからもお元気で!
じっくり腰を落ち着けていたころは、日が昇る様子、月の出、虫の営み、樹木のたたずまい、村のどうぶつたち、すべてが新鮮でした。
このところは、どうも駆け足気味で・・・・。
手で皮がむける完熟信濃ゴールドと、もう一度会いたいのですが・・・・。
くりたえいじさん、知恵熱おやじさん、コメントありがとうございました。