戸外のブドウ棚下の置いてある木株にランの仲間多数着生させている。そのなかのコチョウラン開花して間もなくひと月になろうとしている。花持ちのいいこの花、すべての蕾が開いたの再びアップしてみた。酷暑の中頑張って愉しませてくれるのが愛おしい。
【語り部】
米穀通帳 戦中・戦後の食糧難は厳しいものであった。お米は自由に買うことが出来なくなり米穀通帳を持って買う仕組みであった。それもやがて配給制度となり、配給するものなくなると代用食を配られるようにもなる。たまたま実家(商店ではない)が配給所を引き受けたのでその様子を記憶している。お米がなくなると代用食と言ってサツマイモなども配給した。時にはスケソウダラ、アンズの干したもの、米軍の払い下げか真っ赤なケチャップの缶が届き分配するようなこともあった。
当然のことながらこれでは足りず闇米が出回るようになる。国は配給制度がくずれることを恐れ闇米を扱う人々(ヤミ屋)を厳しく取り締まった。ヤミ屋が汽車で運ぶのを防ぐために車中で一斉取り締まりを良くしたものである。ヤミ屋と取締官の暗闘を目撃したこともあった。イタチごっこようでもあった。 配給制度を厳粛に守り栄養失調でなくなられた山口良忠裁判官の話は良く聴かされたものである。
ここではお米の配給制度を記したが、あらゆる面(マッチ、お砂糖、タバコ、、、、etc.)で配給制度が行われたのである。衣料切符でハンケチ1点、、、、有り余る今の時代では想像も付かない話である。