こっちを向いているのがチェングォです^^
山を降りて棚田よサヨウナラ…( ;д;。)ノ
一本道はきれいに舗装され、下山も楽でした。
何組かの西洋人とすれ違いました。
この地方もだいぶ紹介されるようになったようです。
北京オリンピックと関係あるのかな?
中国語はからっきしダメですけど、最後に宿のおばさんに「シェシェ(ありがとう)」と
言うと、ポッと嬉しい笑顔になってくれました^^ 言葉って大事ですねェ。
谷を越えた向こう側の山の斜面も全部棚田ですw
トンビになって、高いところを飛んで回りたい気分になりますよ。。。
長らくここは少数民族が暮らす秘境で、ほとんどみな同じ名字であるという外界との交渉のない世界であったようです。日常物資もほぼ自給自足、貨幣の流通も極端に少ない質素な生活であったらしい。交通手段はほとんど徒歩で、物資の運搬はこの広い山岳地帯をすべて人力で行なっていた。家を建てるにも木材をすべて人が手で運んでいたのです。
この地方の様子が80年代にテレビで放映され、その美しい景色が注目を浴びてから観光地として発展するようになりました。いまも木造のホテルが次々に建設されており、あの急で長い道のりを、人々が木材をかかえて登っているのを見ました。外から現金の収入が流入するようになり、急速な物資の流入と近代化が始まったのです。
大きな冷蔵庫が数人の手で運び込まれていました。この文明の利器は村の人々の食生活を大きく変えることでしょう。長い山道を登るのは大変な苦労であったでしょうが、それ以上にこの高価な電気製品を購入するのに、どれだけの労力の成果を蓄積する必要があったのだろうかと考えさせられました。道端で手作りの土産物やこちらの風景を写した絵葉書などを売っています。そういったささやかな収入が長いあいだ貯蓄されて、おそらくはテレビ、洗濯機、電話、冷暖房といった製品の購入が続くのでしょう。老人、母親、子供たちが総出で外貨(村の外からの収入)の獲得に働いています。
もちろん近代化が進まなければ、人々の便利な暮らしのみならず、医療や教育のシステムも整備されません。長いあいだ続いた素朴な生活の歴史はいやおうなく消え、このように資本主義のシステムは世界の隅々まで侵食してゆくのでしょう。
ここはベトナムに隣接する中国の最南部ですが、山の空気は爽やかでここちよく、夜になれば無数の蛍が飛びかい、空には満天の星がきらめきます。見渡す限りの棚田の風景はずっと変わりませんが、そこに住む人々の生活は劇的に変わろうとしているのでした。