goo blog サービス終了のお知らせ 

さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

抜海へ 2

2021年04月21日 | 北海道シリーズ


抜海駅から海岸沿いまで歩いてきた。ここから海沿いに進めば集落と港に着くはずだ。
片道2㎞ほどだから、休まずに歩けば30分かからずに到着できると考えていた。
しかし暴風雪の道のりは甘くなかった。ものすごい向かい風。それがシベリアから
吹いてくる強風で、雪というよりは氷の粒まじりなもんだから、顔が痛い!
厚手のジャンパーにマフラー、手袋と寒さ対策フル装備のはずだったが、横殴りの
強風では顔にダメージが加わる。途中でメガネを取り出す。居酒屋の短冊を見るための
ものがここで役立つ。


体を前に傾けなければ進めない。思わぬ苦境。


半分ほど来たはずだが、まだまだ集落らしきものは見えない。30分経ったところで
戻らねば、夜まで帰りの電車はない(まだ朝の10時台)。20分程経過したところで
集落まで行くことはあきらめた。きつい向かい風が計算外だった。帰りは追い風で
少しは楽に進めるだろうが、リスクが大きすぎる。


というわけで、電車が来る20分前には心折れて戻ってきました。この看板、小石だか
貝殻だかを埋め込んで作ったものでした。


寒い駅舎の中に展示されていた写真。暴風雪で何も見えませんでしたが、晴れていれば
このように利尻富士が見えたんだなあー。


帰りの電車の車窓から。こりゃ寒いよ。。。


稚内の冬の海は風と波の音で大迫力でした。こんなところに漁に出る人たちが
いるんだよね~!


木も上の顔だけ(?)出していて、下はみんな雪に埋もれているぞ。


抜海へ 1

2021年04月19日 | 北海道シリーズ


この日は朝から電車に乗って抜海(ばっかい)にお散歩。ここから2駅です。
乗って15分あまりの無人駅に行き、約1時間後に戻ってくる電車に乗れるのです。
あちらでちょうどいい散歩が出来るというわけだ。

といっても天気予報によれば、この日は西高東低冬型の気圧配置で、「シベリアからの
冷たい風が強く吹くでしょう」ときたもんだ!しかし稚内には2泊しかいないので、
もう行くしかないってわけだ。


線路はここでおしまい。北のはずれです。


乗客はほとんどいませんでした。


無人駅に行くので、帰りの切符もここで買えるということになっていました。


当然ながら降りるのもひとり。ものすご寒いんだが。。。東京は20度超えだってのになぁ。


電車が行っちゃうと、なんか孤独感がひしひしw


1日に3本かぁ。都合よく帰りの電車が1時間後だが、それを逃すと8時間後の夜だ。


ここに8時間いたら凍死しそうだ。絶対に逃してはならぬw


出口のサッシが開きませんでした。凍りついているのか?出られないのでガタガタ
やったら、なんとはずれました。。。


道路の右に立っているのは防風柵です。常に厳しい北風にさらされているとw

この駅前の道をしばらく行けば海岸に出る。そこから海沿いに南下して、2㎞程歩けば
集落に着くはずだ。地図には神社や漁港があるという。ズンズン歩けば30分弱。
1時間後の帰りの電車に間に合うように帰ってくるには、25分で着いて10分程彷徨い、
25分で帰ってきてピッタリ。時間に余裕はない。頑張ろうw


稚内 良い居酒屋 悪い居酒屋

2021年04月18日 | 北海道シリーズ


さて稚内の居酒屋へ。この日は日曜なので選択肢が少ない。繁華街のはずれに灯がともる
古い感じの居酒屋へ入った。じいさんばあさんふたりで、客は誰もおらずガランとしていた。

メニューには「きちんとこだわった料理を出すから、時間がかかるよ」と書いてある。
結構ですねえ。「親爺は凝りに凝った男なのです」とは、良い店に入ったか?
じいさんはひと言も話さない。ばあさんは実にフレンドリーで、ニコニコ話しかけてくる。
この二人を足して2で割れば普通ってか^^

どちらからですか~^^

東京です。(東京の話になり)・・・いまは花粉でひどいことになってるんですよ。

(ここで初めてじいさんが口を開く)

バラまいてるんだろ!

え? 花粉?

コロナ!

 さあ、みなさんならどう対応しますか?

そのあと、ばあさんのほうがとりなすように一生懸命愛想よくいろいろ話しかけてました。
酒と魚を注文しちゃって、出るべきか?「凝ってる」「頑固」「こだわり」「無愛想」
といったのは結構。しかしこいつは「嫌味」、いや「敵意」さえ感じる目つきでした。

酒のお燗が出来たとき、じいさんは私に猪口を渡して、自分は徳利を持ったまま。
しばし見つめ合う。無言でアゴを1cm上げる。注ぐということか、と思い、猪口を出すと
注ぐ。すみません、というとまたアゴを少しだけ上げる。どうやら気に入った温度かどうか
確認したかったらしい。結局口を開いたのはコロナ!だけだった。

最初に注文した一品だけで出てきました。ばあさんは愛想よく対応し続け、最後は店の
外まで出てきて送ってくれました。ばあさんがいなきゃあ、ちょっとやりあってしまった
かもしれません。

あとでネットの口コミを見たら、すごいことになっていました。見てから行けばよかった
なあー。


いままで何百件もの酒場に入りましたが、さっきのは間違いなく最低の店でした。
このままホテルに戻るはずもなく、ちょっと歩いたところのこの店に入りました。
もうどんなところでも、あれ以上ひどいことはないはず。


なんとー、きれいな女性のワンオペ。こちらはさっきの店より狭いのに、客が何人も。
やはりなあ。。。

日本酒はもうやめておいて芋焼酎。鰊の切り込みは旭川の「三四郎」の5倍以上ありました。
しかも数の子がたっぷり入った贅沢な作り♪

枝豆のワサビ味というのがあり、「小」と「普通」がありました。「普通」を選んだら、
それはひとりでは多いので、小にしておいたほうがいいですよとおっしゃるので、
小にしたら、どんぶり山盛りw


「普通」を「大」にしたほうがいいのではないですか^^;と言うと、笑ってらっしゃい
ました。切り込みもたっぷり過ぎるので、ここは何でも大盛りですねえ~と言うと、
それくらい景気よく出さないと♪とニッコリ。値段も安いし、ここは良い店でした。

それにしても、しょっぱい切り込みと大量の枝豆を消費するのに焼酎2杯だけでは
片づけられず、ギネスの生を追加。ウウム、料理を大盛りにすると、酒の注文も増えて
店にもいいのか?


稚内北防波堤ドーム

2021年04月17日 | 北海道シリーズ


こちら樺太への玄関口となった稚内の桟橋に作られた防波堤。1936年(昭和11年)に
竣工し、2年後にはドーム内に鉄道が延長されて「稚内桟橋駅」が出来ました。
列車から樺太への連絡船が直結したわけです。なにせ北からの風と波ががすごいもん
だから、こんなに長~いドームが造られたというわけだ。


そこにアスファルトが敷かれちまったら、ちと風情がないなあ。


終戦時の樺太からの緊急疎開では、8万人近い避難民のほとんどがここに上陸、
ここにはその人たちがぎっしりいたわけです。ゴハンは、トイレは、寝るのはどう
したのかなー。さぞかし大変なことだったでしょう。


横に階段があって登れました。雪がザラメのように固い粒になり、それが強い風で
飛んでくるもんだからビチビチと顔に当たり、痛い。


すごい北からの風だ。晴れてたら樺太が見えるのか?


雪まじりの暴風だったので、この写真を撮ったらすぐに降りました。
ホテルに帰って風呂に入って、それから酒場に繰り出すぞ。


旧瀬戸邸 稚内漁業の歴史

2021年04月15日 | 北海道シリーズ


旧瀬戸邸にやってきました。ここは稚内漁業の網元、瀬戸常蔵のお屋敷でした。


入れて頂くと、案内の説明をしてくれました。これがまた興味深いお話だったのです。
玄関にあったコレ、なんだと思いますか?「木じゃありません。生き物です」という
ヒント。手に持つとすごく重いんです。答えは次の画像のあとに^^


ここは一階の広間。1階が北海道様式、2階が内地の様式なんだとか。北海道の家屋は、
雪が多いから瓦屋根がないとか、台風がこないので雨戸がないといったお話。


さて、さっきの問題の答え、この部屋にも展示されているやつです。サンゴでした。
養殖だとここまで立派なものはできないから、天然ものだそうで、なんとウン百万円も
するんだって。


これは象牙で出来ています。どんだけ儲かったんだか~w


ここはなんと大鵬が滞在するために作られた部屋なんだって。樺太には行けなくなった
けど、稚内には何度も来たそうです。むかしは飛行機ではなく、青森まで列車で来て、
青函連絡船に乗って来たのかなあ、すると3日ぐらいかかる大変な道のりだったの
では、と言うと、「お座敷列車の車両で来たのでは」とおっしゃっていました。
体はデカいし、国民的英雄だったからねえ。


「すごく大きなすり鉢ですね」と言うと、「こちらの地方では魚のすり身を作るので、
どんな家庭でもこういう大きなものがあるのです」という話でした。


中段の底曳き網漁船、これが稚内漁業が栄えた源になったのです。
ニシン漁は、沿岸で漁をします。江戸時代から明治、大正まで、捕りまくって北前船で
全国に出荷し、大変豊かになったことは鰊御殿などを見物してこのブログでも見て
きましたね。しかし捕りまくるもんだからニシンが来なくなっちゃったw

そして昭和に入ってから、この底引き網漁船が樺太、千島列島、オホーツク海、
ベーリング海まで遠征して魚を捕りまくったのです。この稚内には60艘もあったそう
です。いまは4艘だとか。ちなみに漁獲量は全国2位。1位は銚子だったそうです。
(銚子の資料館のおばーちゃんー!)

案内の方がいろいろ質問してくるのですが、さっきの樺太記念館で稚内の漁業の歴史の
ビデオを見ちゃったからね^^; そのビデオではここの家の人が出てきて、「稚内の
漁業は、200海里制限で衰退した」と話していたのです。

200海里水域制限とは、1970年代に制定された国際的な決まりで、自分のうちの近所
以外で、つまりよその国のほうまで来て勝手に魚を捕るなよ、ということです。
そりゃそうだよねえ。。。あっという間に漁獲量は10分の1以下になったとか。
そんときゃ漁師たちは大打撃。

しかも底引き網漁船は、海底から小魚まで総ざらいしてみんな捕っちゃうから、あとは
砂漠みたいになっちゃって、どんどん海洋資源が枯渇してしまったのです。ひどいw
それを口にしたら、案内の方も「そうなんですよ」と悲しそうでした。


トラックに魚が満載でしょう。北の海で魚を捕ると、氷点下の寒さだからすぐに凍って
しまいます。それを箱に詰めるわけですが、その数たるや万単位!1艘帰ってくると、
億単位の収入になったそうです。そりゃ港町は潤ったでしょうなあ。

さっきの記念館で見ましたが、「トラックからこぼれ落ちる魚を市民が拾って歩いた
そうじゃないですか」と言うと、「拾ってそれを売る商売をしていた人たちがいた
そうですよ」とのこと。すごいな^^;


冬の海で漁師たちが命懸けで魚を捕ってきて、莫大な富をもたらした。宝の山です。


見てこの賑わい。そりゃあ思い出して懐かしくなりますよねえ。。。