相模原市南区大野台3丁目から南区相模台3丁目までの総延長5km「さがみの仲よし小道」は農業用の「畑かん水路」を埋めて整備した道である。昔、相模原台地は水がないため作物がとれず苦労していた。終戦後の食料不足の時期に「この農地に水があれば」と昭和23年から38年までの16年を費やし水路が作られた。「西幹線用水路」と言われたこの水路は、相模原市の虹吹から藤沢の葛原まで19kmに及ぶものである。通称「畑かん水路」と呼ばれて親しまれてきた。その後、相模原台地は発展し、市街地化して水路の必要がなくなってきた。そこで緑道として整備し、地域のコミュニティーラインとして利用することになった。昭和52年のことである。次々に整備され、相模原市内では総延長5kmのうち3.5kmが生まれ変わった。子供たちの遊び場両サイドには花壇が作られて四季の花で彩られる。その花壇の一画では少ない花数であるが秋花の主役「ダリア」が数輪咲き始めている。メキシコ、グアテマラ原産のキク科 テンジクボタン属(ダリア属) 多年草で「テンジクボタン」(天竺牡丹)と呼ばれている。(2411)
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