goo blog サービス終了のお知らせ 

相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

一鳥一会、鳥撮にチャレンジ !!

2021-02-25 19:24:20 | 野鳥
桜の女王と言われる「ソメイヨシノ」の開花は現在のところ3/21頃と予想されている。そのソメイヨシノの露払いではないが各地より早咲きの「河津桜」開花・満開の便りが聞かれるようになってきた。松田山、「橋本公園」、「相模原公園」、「ギオンスタジアム」、相模川の「河津桜・アジサイライン」、座間の寺院「宗仲寺」、お膝元の「グリーンパーク」でも樹形がピンク色に染まり見頃となってきた。追撮に忙しい相模太夫よりもっと忙しいのが花蜜の多い「河津桜」を求めてやってくる「メジロ」、ムクドリをはじめ「ヒヨドリ」、シジュウカラとさまざまな野鳥たちである。枝先に止まった鳥たちは花から花へと枝の上を行き来し、花の中へ嘴を差し込んだり、花の子房を突き差したり、切り取ったり、くちばしや顔が花粉で黄色く染まるのも構わず、一心不乱に吸蜜作業に忙しく夢中である。桜花の蜜は花の奥深く、花弁の付け根より下の少々膨らんだ部分にある。よく適合したものでメジロのクチバシは細長く、花の奥まで届きやすい上に、舌先が細筆のようになっているので、花に真正面からクチバシを入れ、舌を器用に使って食べているようである。この瞬間こそ撮影機会到来、シャッターチャンスである。(2102)
ヒヨドリ
 
 
 

メジロ
 
 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「生田緑地」の「D51型蒸気機関車」と「ブルートレイン」を撮る!!

2021-02-25 18:02:05 | 蒸気機関車
川崎市多摩区枡形にある「生田緑地」を訪れた。緑地内の「かわさき宙と緑の科学館」前に「D51型蒸気機関車」(通称=デゴイチ)が屋外静態展示されており、愛称「デコちゃん」と名付けられた「IDI過熱デンダ蒸気機関車」=「D51048」大きくて真っ黒で大迫力の雄姿を見ることができる。この「D51」は昭和15年「日本車輌製造株式会社」の名古屋工場で製造され、主に貨物輸送車両として北陸、山陰、山の手の各地で30年余り活躍し、昭和45年に役目を終え新鶴見機関区で廃車となった。その翌年ここ「生田緑地」展示されるようになり、子どもから大人までその雄姿見ることができ一躍人気者となった。今は中々お眼にかかれない「D51」の雄姿は時として郷愁であったり、子供の頃の宝物を見つけた時のような心が浮き浮きとして不思議な愛着が沸いてくる機関車である。またすぐ傍には皆に青い車両の「スハ42-2047形」座席型客車が展示されている。掲示板には「ブルートレイン」と記載されている。この客車は昭和23年に日本車輌製造株式会社の工場で製造、国鉄常磐線経由東北線の上野~青森間を約37年間に555万㎞走り続け、昭和60年3月水戸機関区で廃車となった。その後、国鉄大宮工場で改装、国鉄梶ケ谷貨物ターミナル駅まで回送、同年10月にここ「生田緑地」にやってきて今、余生を送っている。(2102)
 
 
 
 
 
 





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

火伏の神様、火防の霊験「秋葉大権現」の石碑群!!

2021-02-25 09:35:42 | 石碑・顕彰碑
相模原市緑区橋本にある臨済宗寺院「香福寺」の西門の横(塀外)の道路脇、昔は「山王山」と呼ばれていた所に「秋葉大権現の石碑」と「石祠」、「徳本念仏塔」、柳川先生の碑、「常夜塔」、「出羽三山参詣供養塔」、「山王社」などの石碑が並んでいる。「秋葉権現」は秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神で「火伏せの神様」「火防の霊験」として信仰されている。秋葉三尺坊大権現の三大誓願は「第一我を信ずれば、失火と延焼と一切の火難を逃す」、「第二我を信ずれば、病苦と災難と一切の苦患を救う」、「第三我を信ずれば、生業と心願と一切の満足を与う」とされる。約170年前の「橋本の大火」時、橋本宿は大半を焼失したが、この石碑群の前で風向きが変わり死者が一人も出なかったことから今でも崇敬されている。(2102)
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橋本の「境川」で幸運にも一羽の「アオサギ」と出逢う!!

2021-02-25 08:02:42 | 川・堰
城山湖付近を水源とする「境川」は相模原市と町田市の市境を南下に流れ、江の島付近で相模湾に注ぐ総流長およそ52キロの河川である。古くは相模国高座郡に由来する「高座川」と呼ばれていようだが文禄3年に行われた「太閤検地」の記録によれば、相模の国、武蔵の国の境界を境川としたことから「境川」と呼ばれるようになった。東京環状線沿いにある「瑞光寺」「牛久保家の長屋門」を進んだ町田街道へにぶつかる手前の橋本5丁目先き架かる両国橋の下を流れる「境川」の土手に幸運にも一羽の「アオサギ」が餌をさがしていた。一期一会、一鳥一会である早速フォーカスにトライしてみた。(2102)
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする