相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

豪徳寺「彦根藩主井伊家墓所」を参る!!

2025-02-21 16:20:03 | 墓所・廟所
井伊家は「初代=直政」が徳川家康に仕えて戦功を重ね、「2代=直孝」の代に30万石の大名となって明治維新まで続き、歴代藩主のうち5人が6回の大老職となった。特に幕末の大老で安政の大獄を主導した「井伊直弼」は有名で「桜田門外の変」の暗殺により命を落とした藩士としてよく知られる。譜代筆頭の大名である彦根藩主井伊家歴代の墓所は一つは滋賀県彦根市の曹洞宗「清凉寺」、二つ目が同東近江市の臨済宗「永源寺」、三つ目がここ世田谷区の曹洞宗「豪徳寺」と三箇所に存在する。江戸表の墓所として彦根藩領世田谷の「豪徳寺」には2代藩主=井伊直孝、6代=直恒、9代=直禔、10代=直幸、13代藩主=井伊直弼、14代=直憲の歴代藩主6名、以下に正室、側室、子息、子女等井伊家一族と江戸で亡くなった藩士達が葬られている。豪徳寺境内北側一角の広大な敷地に大型の墓石が整然と合計303基も並ぶという都内屈指の大名墓地で国指定史跡となっている。豪徳寺の「赤門」は井伊家の上屋敷の長屋門を移築したものその関りの深さが窺える。(2502)
 
 
 
 
 
 
 
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世田谷区の古刹&伊井家菩提寺「大渓山豪徳寺」

2025-02-21 10:46:46 | 寺院
世田谷区豪徳寺に世田谷区の古刹、招き猫と伊井家御菩提所として知られる曹洞宗寺院「大渓山豪徳寺」は鎮座している。寛永10年(1633)、世田谷が彦根藩の所領地となり、文明12年(1480)に建立されていた「弘徳院」を彦根藩主井伊家は江戸菩提寺と定めた後に万治2年(1659)2代藩主井伊直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因み「豪徳寺」と改称した。本尊は釈迦如来。「寺号標」(寺門)から続く長い松並木の参道先に構えられた「山門」より入山すると境内正面に黒い香炉と「仏殿」(延宝5年=1677 建立)、その奥に「法堂=本堂」がある。「仏殿」の前には2006年に建立された高さ22.5mの美しい「三重塔」(2006/5月落慶)が聳える。江戸時代製作最古の「梵鐘」(延宝7年=1679年鋳造)、そして最近できたと思われる「地蔵堂」(2020/9落慶)がある。「仏殿」の左に「招福堂」(招き猫)と「赤門」がある。法堂(本堂)の右には「庫裏」と「書院」、左には「開祖堂」と「納骨堂」がある。当寺は東京三十三観音霊場11番札所で全体として大寺格の寺域と伽藍の威容である。(2502)
 
 
 
 
 
 
 



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世田谷城の守護で創建された「観谷山常徳院」

2025-02-21 07:25:03 | 寺院
世田谷宮坂に世田谷城の守護とするため、船橋から当地へ移転した曹洞宗寺院「観谷山知行院常徳院」は鎮座している。多摩郡二俣尾村海禅寺の末寺で創建(伝)は延徳明応年間(1489-1501)に「浄徳院」と称して世田谷区船橋に開創、世田谷城の守護とするために海禅寺の益芝永謙和尚を迎え寺名を「常徳院」と改めて当地へ移転した。明治の初期に本寺祷禅寺が廢寺となり、その本尊脇侍とも慶元寺に遷されたが、明治20年頃から「知行院」の本尊として祀られ、明治41年正式に本尊とした。享保10年第13世聚海和尚が発願し第14世弁祐和尚が続願で「本堂」と「山門」を築造した。豪徳寺駅より世田谷線沿いに進み「世田谷浄苑」を右折する。常徳院の前の道は瀧坂道という古道で、渋谷道玄坂から調布仙川までの街道で右側に参道がありその先に構えられた「山門」=表門より入山すると境内正面に「本堂」、庫裏がある。参道には六地蔵、掃除小僧さん地蔵、菩薩敬徳観音、水子地蔵、お地蔵、庚申塔などが建てられている。右には鐘楼、境内社の白山社が祀られている。寺寳として古文書二通を有している。当寺は常徳幼稚園を併営している。(2502)
 
 
 
 
 
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