相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

今夜はスノームーンと言う最小の「満月」である!!

2025-02-12 20:04:39 | 天体/月
今夜は「スノームーン」(Snow Moon:雪月)と言う今年最小の「満月」である。2月12日(水)22時53分が最大で月齢は13.6である。世界時(UT)を基準に定められているから日本国内ではどこに住んでいても満月の瞬間は変わらない。北欧や東欧の先住民は「2月の満月」は大雪になることが多いため「スノームーン」と呼んでいる。夕食後の7時に外へ出て空を見上げると月の周りに雲がかかっているがまん丸の満月である。地球から40.6万km近く離れた遠くの月はいつ見ても美しくファインダーを越しに見える「クレーター」「海」はなんとも神秘的で幻想的でロマンに満ちている。(2502)
 
 
 
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1700年の古社、松田の守護神である「寒田神社」

2025-02-12 09:54:05 | 神社
足柄上郡松田町松田惣領、酒匂川の左岸台地上に平安時代中期の「延喜式神名帳」にも記された「相模国延喜式13社」の一つに列せられる松田の守護神であり、松田町の古社「寒田神社」は鎮座している。創建は仁徳天皇3年(315)。主祭神は倭建命、弟橘比売命、菅原道真公、誉田別命。御神宝として弥生時代後期の白木の椀大小一組がある。寛永3年(1626)には徳川家光より150石朱印地を寄進されている。承応3年(1656)に酒匂川の氾濫により社殿等流出したが慶応4年(1868)に再建さる。明治7年(1874)に郷社、昭和16年(1941)に県社に列せられた。謂れでは日本武尊が東征の際に立ち寄ったとされ、境内には樹齢数百年以上の古木が残り、諸願成就の篤い信仰は今日に継承されている。嘗ては「相模田神社」、「佐武多神社」、「佐牟太神社」等と称した。延喜式神名帳には「相模國足上郡 寒田神社 小」の記載がある。江戸時代には「寒田神社神田大明神」とも称した。松田駅より御殿場線をわたり酒匂川方向に進むと松田小学校の奥に鎮座し、大きい鳥居を抜けると正面に「社殿」、右に「神楽殿」、左手に「参集殿」と「社務所」がある。境内には「寒田稲荷社」、「祖霊社」、「神明社」、「天神社」、「熊野社」と「小祠」が祀られている。他に「明治二十七八年之戦役陣兦軍人之碑」、「忠魂碑」、倭武尊の「腰掛石」がある。(2502)
 
 
 
 
 
 
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下溝に鎮座する武相48ヶ所観音霊場「補陀洛山清水寺」

2025-02-12 07:26:28 | 寺院
相模原南区下溝の鳩川沿いに福井県の永平寺、鶴見区の總持寺を本山とし、天応院の末寺、曹洞宗寺院「補陀洛山清水寺」(補陀とは観音が住むという山、清水は相模川の清流に因む)はある。縁起によると坂上田村麻呂が観音勧請の地として定めた当地に慶長元年(1596)に天應院8世天山存雪大和尚が開創。寛永年間(1624~44)に浅草「東岳寺」の慧林宗哲が晋住し伽藍を建立した。本尊は十一面観世音菩薩(慶長末期に寺の井戸から現れたもので、大同年間(806~10)に坂上田村麻呂が観音勧請の聖地として祀った)。相模線下溝駅より東へ150m、鳩川が流れる小丘に構えられた寺号標(門柱)の奥正面に新しく2階建てのコンクリート造りの「本堂」、右に庫裏がある。本堂前には十一面観世音菩薩像と石碑があり、寺の背後に墓地がある。また当寺は「武相48ヶ所観音霊場」の32番札所であり、宝暦9年(1759)初の開扉にはじまり、以来12年毎に行われている。(2502)
 
 
 
 
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