熊本市中央区下通に浄土宗の寺院「祥雲山西岸寺」(大光明院)は鎮座している。寺伝によれば安貞2年(1228)鎮西上人聖光房弁長の開創。別説では肥後国誌では慶長年間(1596~1615)に往生院三世寂誉上人が開創とある。寂誉の跡を継いだ泰岩が寺を中興。西岸寺の由来記によればこの泰岩は石田三成に仕えた戦国武将・島清興が、実は関ヶ原の戦いでは討死することなく鎌倉光明寺で出家した後身といわれる。本尊は阿弥陀如来。庫裡、書院はあるようだが、かつてあった「山門」(細川家の九曜紋が施された扁額は、細川重賢が山号「祥雲山」を揮毫)、「本堂」(「山王」の額は細川忠興が揮毫)は熊本震災で被害を受け今はない。境内には育児地蔵尊(子育て地蔵)、泰岩和尚之塔がある。当寺は森鷗外「阿部一族」に肥後熊本藩主細川忠利の死に際し、殉死を願って許された橋谷市蔵重次という武士の殉死場所として現れる。(2403)






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