今日26日(土)と27日(日)、真夏日でムシムシのここ大和で恒例の「第38回 神奈川大和阿波おどり」が始った。昭和52年新橋通の商店街から始まった小さなまつり&催しが30数年を経て県最大の神奈川大和阿波おどりとなった。今年のテーマは「人そして輪」、昨年は2日間で20万人の人出で賑ったが、果たして今年は?きっと昨年を上回るであろう!!今年はあずま連、ぎんざ粋狂連、笑星連など地元連16チームの他、他都市から友情連が19チームが参加し11会場(中央通、新橋通、東側プロムナード、銀座通)で踊りが繰り広げられる。三味線、太鼓、鉦鼓、篠笛などの2拍子の伴奏にのって踊り手の集団(「連」)が踊り歩く。精霊踊りや念仏踊りが原形であるといわれる阿波踊り「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」と唄われるよしこので知られる。手の動かし方、足の運びといい独特のリズミカルで軽快な踊りついつい引き込まれてしまいそうである。大和が夏に舞う情熱の嵐に包まれている。(1407)
長浜市宮前町に源義家公が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮より御分霊を迎えて鎮座したと伝えられる「長浜八幡宮」はある。当宮の創建は延久元年(1069)、祭神は足仲彦尊(仲哀天皇)、誉田別尊(応神天皇)、息長足姫尊(神功皇后)である。この地は八幡の庄と称えられ庄内十一郷の産土の神として深く崇敬されている。当時その社頭は三千石、一山七十三坊と伝えられ、本宮の石清水八幡宮を凌ぐくらいであったといわれている。しかし、その後、しばしば兵火に見舞われ、その社殿はほとんど消失。天正二年(1574)長浜城主となった羽柴秀吉が大社の荒廃を惜しみ、社殿の修理造営をなし再興。この史実は「長浜曳山祭」の起源となった。境内には神明造りの「本殿」、「拝殿」、摂社として「高良神社」、「都久夫須麻神社」、「天満宮」、「金毘羅宮」があり、末社として「末広稲荷神社」「地主神社」「熊野神社」がある。奉拝の証に朱印を頂く。(1407)
ひまわりは座間市の花で、梅雨明けした今年も恒例の「座間ひまわりまつり」が、ここ「栗原会場」本日9:30からスタートを切った。ここ栗原会場は広さ1ヘクタール、5面のひまわり畑に「10万本」が植えられている。今月初め襲われた台風8号の影響で大分倒された場所もあるが、倒れながらも太陽の向きをジャッジし、しっかりとたくましい生命力で咲き誇りほぼ満開を迎えている。畑一面真黄色の布を敷き詰めたかのような美しさを創り出している。中央広場には本部と各種フード、飲み物、特産品、お花の販売が行われ大勢の来場者でにぎわいを呈していた。ひまわりに燦燦と輝く太陽はよく似合う。今週一杯さらに開花が進み美しさも倍加するであろう。また「座間会場」と「新田会場」での「ひまわりまつり」は、8/14から19日まで開催される。首都圏一位を誇る座間の大地3会場に咲く「55万本のひまわり」でイエローワールド一色に染まる。(1407)
滋賀県長浜市(長浜八幡宮の隣)に真言宗豊山派の寺院で芙蓉の名所として知られる「勝軍山舎那院新放生寺」はある。創建(伝)は弘仁5年(814)、本尊は愛染明王、阿弥陀如来(共に重要文化財である。平安時代初期の弘仁5年(814年)、空海(弘法大師)を開基として創建したと伝わる古刹である。後三条天皇より賜った「勝軍山」の山号といい、堂宇の再興に豊臣秀吉が関わっている。境内の伽藍は「本堂」(江戸初期建立)、本堂の左右両面に使われている扉は旧国会議事堂から移設。「護摩堂」( 室町時代建立)、「茶室」、「書院」、「庫裡」、「観音堂」、「太子堂」、「地蔵堂」、「表門」、「鐘楼堂」が建ち並ぶ。境内の一面に約500株の芙蓉の花が色鮮やかに咲くということであったが、古くから美人のたとえとして用いられ、繊細な美しさは魅力的な「芙蓉」の花は残念ながら見ることは叶わなかった。(1407)
長浜市公園町(長浜市の西部、琵琶湖岸)に豊臣秀吉公の居城であった長浜城本丸跡を中心に明治42年に作られた公園「豊公園」(城主豊太閤・豊臣秀吉に因んで名命)はある。公園内には長浜城歴史博物館、音楽が流れる洋風庭園や噴水、児童公園、プールやテニスコート、長浜太閤温泉国民宿舎「豊公荘」がある。羽柴秀吉(豊臣秀吉)が1573年1573年(天正元年)築城した城「長浜城」(今浜城)&歴史博物館を囲むように約800本のソメイヨシノが植えられており、春に一斉に咲き誇ることから「日本さくら名所100選」に選ばれている。また一角には「明治山旌忠塔」という静かな祭祀空間がある。同公園寄りびわ湖畔(「長浜港」寄り)にある「長浜ロイヤルホテル」(長浜太閤温泉)が本日の「塒」である。我々は9階であったが部屋からは豊公園や長浜城、琵琶湖や伊吹山の美しい眺望を望めた。施設として露天岩風呂、大浴場、サウナ、各種レストランも充実していた。明日はいよいよ延暦寺と彦根城の行程である。(1407)