滋賀県米原市にかつて本陣1軒、脇本陣1軒をはじめ宿内家数138軒、旅籠11軒もの宿があり中山道六十九次の宿場町の一つとして繁栄を誇った「醒ヶ井」はあり、今も往年の面影を色濃く残している。古代からの交通の要衝であり、『日本書紀』の日本武尊伝説に登場する「居醒泉」(いさめがい)が醒井の地名となった。豊富な湧き水があったことが、旅人の休憩場所として最適の条件であった。その街並みの中を貫くように清流・地蔵川の流れが町を潤している。地蔵川には多くの伝説があり、その一つが日本武尊が弱った体を癒やした「居醒の清水」、二つ目は平安中期の天台僧浄蔵により水源がひらかれた名水「十王水」、三つ目は西行法師にまつわる伝説を残す「西行水」である。地蔵川の水温は年間を通じて平均14度前後ということから、冷たい水を好む「梅花藻」(バイカモ)が至る所で生育している。訪れた日も幸いこの貴重な花を見ることが叶った。7~8月ごろに、梅の花に似た白い小花を咲かせることから『梅花藻』(バイカモ)の名が付いた。直径1.5cmほどの愛らしい花が一斉に川面から顔を出してたい。この花はなんとも涼しげで蒸し暑さを少しだけ忘れさせてくれた。(1407)
柳川と言えば掘割巡り(川下り)で知られる水郷の町である。その川下りの終点/始点の沖端町に代々柳川藩主御用達海産物問屋を営む旧家に生まれ、日本の近代文学に偉大な足跡を残した詩人「北原白秋生家」と「北原白秋記念館」がある。明治、大正、昭和と日本の近代文学に偉大な足跡を残した詩人北原白秋。代々柳川藩御用達の海産物問屋を営む旧家に生まれ多感な時をここ柳川で暮らし、才能がここで育まれた。「水郷柳川は、我詩歌の母体である」と述べている。生家では生活用具や書斎、記念館には数々の作品、そして遺書まで展示してある。藩政時代の遺産が息づくまち「柳川」はまさしく白秋の詩の世界のように情緒あるひと時をもたらしてくれた。「ぜったい ぜったい よかもんですよ 柳川においでめせ!」の言葉通りであった。(1210)
横浜市金沢区に金沢北条一門の菩提寺で真言律宗別格本山の寺院「金沢山称名寺」はある。創建(伝)は正嘉2年(1258)、本尊は弥勒菩薩(重要文化財)、開基は北条実時で起源は六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂(阿弥陀堂)である。すぐ近くにある「金沢文庫」も実時の居館内文庫が起点とされる。金沢文庫駅より海の公園方向へ歩くこと15分、左手に当寺の入口「惣門(赤門)」(1771建立)がある。長い石畳の桜並木の参道突き当りにある重厚感漂う「山門(仁王門)」(1818建立)左右には仁王像が怖いお顔で迎えてくれる。仁王門を抜けると「阿字池」を中心に中之島、朱塗りの「反橋」・「平橋」(太鼓橋は橋百選の一つ)を配した「浄土式庭園」が広がる。架けられた橋を渡ると称名寺の顔「金堂」、その右側に「釈迦堂」、手前に「鐘楼」が建ち並ぶ。金沢山頂上にある「八角堂」と雄大な景色。「称名の晩鐘」歌川広重が描いた金沢八景の世界がここにあった。(1207)
相模原市下溝にハーブの芳香に包まれた農園=農業生産法人グリンピア相模原が運営する農業体験施設「モナの丘」はある。2007年にオープンした「モナの丘」は広さ3.5haの敷地に「農産物販売所」、「農業レストラン」、「ハーブ園」、「ラベンダー園」、「バラ園」、「バイオマス実験プラント」、「希望の花壇」、「キノコ畑」、「果樹林」、「バーベキュウ広場」等がある。同心円状の畑には紫色の花をつけたラベンダーが独特の甘い香りを漂わせ咲いている。園内では花摘みにいそしんでいる来園者もいる。ハーブ園には130種のハーブやバラが植えられている。ここはグリーンツーリズムの場として「農業体験」、「収穫祭」、「食育講座」、「音楽イベント」に多くの人が訪れる。(1406)
ひまわりは座間市の花で今月末から三会場(栗原、座間、四ツ谷)で「ひまわり祭」の開催が予定されているが、一足お先に日産自動車座間事業所南側の道路沿い150メートルに亘って「ひまわり」の花が咲き誇り黄金の輝きを放っている。1000本近くはありそうな感じだが、中には大人の背丈ほどの高さに成長している。今日は幾分涼しいが、ひまわりの花を見ているともうそこまで夏が近づいてように感じられる。ここのひまわりは見頃が終わった後刈り取られ、10月に行われる「ひまわりフェスタIN NISSAN」に合わせまた種をまくという。(1407)