伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

裁判員への説得技法 法廷で人の心を動かす心理学

2014-07-03 19:21:05 | 人文・社会科学系
 アメリカの陪審制度の下で陪審員がいかに証拠に基づかず無意識のうちに誤った判断をするかを心理学的に説明し、弁護士がいかにしてそれを乗り越えるべきかを論じる本。
 民事事件でも陪審があるアメリカでは、陪審員は原告が重大な被害を受けたことを知ると自分も同じような被害を受けるという考えを恐れ自分は被害にあわないと信じたいがためにとりわけ被告が故意に加害した場合でなければ(過失の場合には)原告に問題があった(本来なら被害を回避できた)と考えがちであり、また事件後ですべてを知っている(後知恵がある)ために自分ならこうできたと過大に考える傾向があり、早い段階で事件の枠組を判断してしまい安心したい欲求があるために最初に話題になった者を裁きたがる(あら探しをする)傾向があり、その結果、人身被害を受けて損害賠償を求める原告は不利な立場にあり、特に相手が医師などの専門家の場合陪審員は専門家はミスを犯さないと思いやすい(自分がかかる医師がミスを犯して欲しくない)こともあり、弁護士が冒頭陳述を原告が受けた被害の深刻さから始めると負ける可能性が高いと論じられています。大企業が巨額の損害賠償を命じられる判決ばかりが報道されるので、人身被害の裁判では原告(被害者)が有利なのかと思っていました。ちょっと目からウロコでした。まぁ、報道というのは珍しいからニュースになるわけで、報道からもそう考えるべきだったのかも知れませんが。
 「陪審員たちは、通常の出来事や結果は、一般的な原因から起こり、異常な出来事や結果には、異常あるいは例外的な原因があるというように思い込んでいる。陪審員は、その原因についての説明が、彼らの人生経験においては『代表的』なものではなかったというだけの理由で、彼らにとって非典型的、あるいは異常に見えるすべての因果関係説明を拒む傾向にある。」(167ページ)…程度問題はありますが、日本の裁判官の思考パターンにも、こういう傾向はあるように思えます。
 「陪審員は、事実とは関係なく、何が起こったのかについての詳細な説明が、より特徴のない一般的な説明よりも、より正確であるというように思い込む傾向にある。」(188ページ)。日本の裁判官も(事実とは関係なくとは言いませんが)、証言や陳述書の信用性を判断するときに、より詳細で具体的な方が信用できると考える傾向にあります。裁判官が業界紙のインタビューや講演や論文でそう語るのを何度も目にしています。その点では、むしろ著者が「しかし、詳細さは、ときに正確さと反比例の関係にある場合がある。想像力の方が極めて豊かであるため、我々は、それと同じくらい鮮明かつ詳細に現実を記録していると思いがちである。しかし、そうではない。ある出来事についての我々の記憶は、その出来事自体よりも一般的で漠然としたものであり、それは目撃証人においても同様なのである。たとえば、刑事事件で、証人が『被告人は、店に強盗に入った』と証言することは、証人が『被告人は、ダイエットペプシ1本とミルクダッツ1箱を盗んだ』と証言することよりも、説明が真実らしくないと、陪審員は考える可能性が高い。現実的にいえば、ソーダとキャンディに注目していた証人は、おそらく犯人の顔には注目しておらず、犯人の識別については誤りを犯す可能性がある。それにもかかわらず、鮮明な説明は陪審にとってより説得力があるものとなる。なぜなら、加えられた詳細情報によって、陪審員は、実際以上によく見ていたと思うからである。」(188ページ)と指摘していることの方が新発見でした。
 日本での応用の仕方は単純ではないと思いますが、人の説得を仕事とする者として、いろいろと考える材料を与えてくれる本でした。私にはとても興味深く、第4章以降は夢中になって読みました。私たちの業界の人間以外は、そこまでの興味は持ちにくいとは思いますが。
 なお、175ページ下から4行目の「呼び尋問」は「予備尋問」の変換ミスだと思います。


原題:Inside Jurors’ Minds : The Hierarchy of Juror Decision-Making
C・B・アンダーソン 訳:石崎千景、荒川歩、菅原郁夫
北大路書房 2014年3月31日発行 (原書は2012年)
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