グリム童話研究者の著者がグリムの採話とその段階でのペロー童話の影響、グリム兄弟による改変、ディズニーアニメとの比較、日本への翻訳紹介過程での改変(英訳段階での改変と英語テキストから日本語への翻訳段階での改変)を指摘し、ペロー童話の作成期のフランス、民俗伝承生成期のドイツ、グリム童話出版時のドイツ、現代アメリカ、明治以降の日本の各社会がどのようにグリム童話を受容したかを見ることで各社会の家族・結婚観とジェンダーを概観する本。
研究者の著作にありがちなように、これまでに書いて発表された論文を集めたものなので、順序だった「論」を追っていきにくく、視点の違いや重複も感じられます。私の興味としては、「白雪姫」「いばら姫」「赤ずきん」「灰かぶり」について論じた第Ⅰ部の第1章から第4章とそれぞれの初版と決定版(第7版)を著者が訳した第Ⅲ部に尽きる感じがします。
グリム兄弟による改変を、ナポレオン戦争の敗者であったドイツでドイツが結束した強国であった神聖ローマ帝国時代を理想化する民族主義的な意識が強い時代を背景に中世的な色彩を強めた(3~5ページ)、初版の評判が悪かったために主要購買層の母親層に配慮した(白雪姫等の意地悪・残酷な母を実母から継母に変更するなど:12ページ)と評価する指摘には、なるほどと思います。
サブタイトルの「固定観念を覆す解釈」。「白雪姫」では「白雪姫の后の行動は父娘近親姦を阻止しようとしたものである」(20ページ)としています。初版(1812年)以降すべてで后が白雪姫を森で殺害しようとしたのは7歳のときですが、手書きの初稿(1810年)では年齢不詳なので初潮年齢の14歳と推測されるって(18ページ)。鏡が1番美しいと言い、それが王が性的魅力を感じるというものであったら、7人の小人は家に棲ませる条件として「食事の準備」よりも夜伽を求めるんじゃないでしょうか。
「灰かぶり」では、著者はさらに大胆な解釈を示しています。「灰かぶり」に登場する金の靴(ガラスの靴ではない)は、 " Pantoffel " であり後部が開いているサンダル状の靴(ミュール)であるから、サイズが小さくて足が入らないということはあり得ない、「足と靴はペニスとヴァギナを象徴しているかのようだ」、「結婚相手を選ぶ王家の宴ではダンスが行われた」、「ダンスに名を借りて性的相性を試す行為が行われたとしても不思議ではない」(72~73ページ)というのです。学者が「記録」されていない昔の風俗について推定するとき、どの程度の信ぴょう性があるのかについて、いつも疑問に思うのですが、この解釈はどうなんでしょうか。メタファーとしても「靴に女性の足が入るか」というのは「ペニスとヴァギナ」の関係とは逆のイメージになりますし、ちょっと想像がたくましすぎるように思えるのですが。
「灰かぶり」は、(ペロー童話とディズニーの「シンデレラ」とは違って)灰かぶりの逞しさ、したたかさが感じられ、グリム童話の中でも私の好きな作品です。初版の訳(251~259ページ)は、初めて読みました。ずいぶん手が入って変更されているのだなと興味深く読みました。私は、決定版(第7版)で(初版ではそもそも父は出てこないのですね)父が灰かぶりが逃げ込んだと聞いた鳩小屋を壊したり、灰かぶりが登ったと聞いた梨の木を切り倒す心情が今一つ理解できなかった(父が旅行の土産に妻の連れ子にはドレスや宝石を与えながら灰かぶりにはハシバミの枝を渡したことは、灰かぶりを差別したのではなく灰かぶり自身が望んだためですし)のですが、ここではあっさり父が灰かぶりに冷酷だった(愛情を持っていなかった)ためとされています(77~78ページ)。そう読めば、わかりやすくはありますが。
グリム童話とジェンダーについては、私は、「ヘンゼルとグレーテル」の魔女に捕らえられる前と魔女からの解放(魔女殺害)後の比較、初版から第7版までの変更の経過に注目して、私のサイトの「女の子が楽しく読める読書ガイド」のコーナーに記事を書いています(→「ヘンゼルとグレーテル」)。日本ジェンダー学会会長の著者に、「ヘンゼルとグレーテル」についても意見を聞かせてもらえるとよかったのですが。
野口芳子 勁草書房 2016年8月25日発行
研究者の著作にありがちなように、これまでに書いて発表された論文を集めたものなので、順序だった「論」を追っていきにくく、視点の違いや重複も感じられます。私の興味としては、「白雪姫」「いばら姫」「赤ずきん」「灰かぶり」について論じた第Ⅰ部の第1章から第4章とそれぞれの初版と決定版(第7版)を著者が訳した第Ⅲ部に尽きる感じがします。
グリム兄弟による改変を、ナポレオン戦争の敗者であったドイツでドイツが結束した強国であった神聖ローマ帝国時代を理想化する民族主義的な意識が強い時代を背景に中世的な色彩を強めた(3~5ページ)、初版の評判が悪かったために主要購買層の母親層に配慮した(白雪姫等の意地悪・残酷な母を実母から継母に変更するなど:12ページ)と評価する指摘には、なるほどと思います。
サブタイトルの「固定観念を覆す解釈」。「白雪姫」では「白雪姫の后の行動は父娘近親姦を阻止しようとしたものである」(20ページ)としています。初版(1812年)以降すべてで后が白雪姫を森で殺害しようとしたのは7歳のときですが、手書きの初稿(1810年)では年齢不詳なので初潮年齢の14歳と推測されるって(18ページ)。鏡が1番美しいと言い、それが王が性的魅力を感じるというものであったら、7人の小人は家に棲ませる条件として「食事の準備」よりも夜伽を求めるんじゃないでしょうか。
「灰かぶり」では、著者はさらに大胆な解釈を示しています。「灰かぶり」に登場する金の靴(ガラスの靴ではない)は、 " Pantoffel " であり後部が開いているサンダル状の靴(ミュール)であるから、サイズが小さくて足が入らないということはあり得ない、「足と靴はペニスとヴァギナを象徴しているかのようだ」、「結婚相手を選ぶ王家の宴ではダンスが行われた」、「ダンスに名を借りて性的相性を試す行為が行われたとしても不思議ではない」(72~73ページ)というのです。学者が「記録」されていない昔の風俗について推定するとき、どの程度の信ぴょう性があるのかについて、いつも疑問に思うのですが、この解釈はどうなんでしょうか。メタファーとしても「靴に女性の足が入るか」というのは「ペニスとヴァギナ」の関係とは逆のイメージになりますし、ちょっと想像がたくましすぎるように思えるのですが。
「灰かぶり」は、(ペロー童話とディズニーの「シンデレラ」とは違って)灰かぶりの逞しさ、したたかさが感じられ、グリム童話の中でも私の好きな作品です。初版の訳(251~259ページ)は、初めて読みました。ずいぶん手が入って変更されているのだなと興味深く読みました。私は、決定版(第7版)で(初版ではそもそも父は出てこないのですね)父が灰かぶりが逃げ込んだと聞いた鳩小屋を壊したり、灰かぶりが登ったと聞いた梨の木を切り倒す心情が今一つ理解できなかった(父が旅行の土産に妻の連れ子にはドレスや宝石を与えながら灰かぶりにはハシバミの枝を渡したことは、灰かぶりを差別したのではなく灰かぶり自身が望んだためですし)のですが、ここではあっさり父が灰かぶりに冷酷だった(愛情を持っていなかった)ためとされています(77~78ページ)。そう読めば、わかりやすくはありますが。
グリム童話とジェンダーについては、私は、「ヘンゼルとグレーテル」の魔女に捕らえられる前と魔女からの解放(魔女殺害)後の比較、初版から第7版までの変更の経過に注目して、私のサイトの「女の子が楽しく読める読書ガイド」のコーナーに記事を書いています(→「ヘンゼルとグレーテル」)。日本ジェンダー学会会長の著者に、「ヘンゼルとグレーテル」についても意見を聞かせてもらえるとよかったのですが。
野口芳子 勁草書房 2016年8月25日発行