伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。今年も目標達成!

わたしを離さないで

2019-11-23 17:43:03 | 小説
 臓器移植を要する者たちに臓器を提供するためにクローン技術により生み出され、寄宿舎「ヘールシャム」で育てられた幼なじみの3人、キャシー・H、トミー、ルースの友情、行き違い、思慕や嫉妬、定められた将来への不安と諦め、葛藤、抵抗などを描いた小説。
 臓器提供とクローン技術をめぐる倫理、命の公平性に関する問題を提起したものとも考えられますが、どちらかといえば、自らの体と命を他者のために「提供」することを義務づけられ、社会から隔離して育てられたという条件の下で、人は何を感じ、どのように生きて行こうとするものなのかという思考実験的な作品のように感じられました。キャシーたちが、自らを待つ不条理で過酷な未来に心を揺らせながらも破壊的にも破滅的にもならずに、しかし葛藤を持ち策を弄してわずかながらの逃避を試み挫折する様子に、哀しさと、キャシーたちにそうした運命を押しつけた者たち:臓器移植を求める金持ちたちへの怒りを感じます。「ヘールシャム」という、相対的に恵まれた、キャシーたちクローンを比較的優しく遇した施設を描くことで、目の当たりにする悲惨さを抑え、キャシーたちの人間らしい感情とその切なさを読ませながら、より待遇の悪い施設にいるクローンはいったいどうなるだろうということに思いをはせさせることになり、読者により深く増幅した感情を持たせる巧みな手法が採られているのだなと思いました。
 この種の作品では、通常は近未来に設定されるのですが、この作品(2005年発表)では、キャシーたちが成人した冒頭を「1990年代末、イギリス」と近過去に設定しています。あり得たかも知れない社会の選択、さらにいえば「ヘールシャム」があまりにも人道的に思える臓器移植のための人身売買、現実社会で横行する特定のグループを人と思わない激しい差別など、未来の空想ではなく、考えなければならない問題はそこここに実在している、ということをも示唆しているのかも知れません。
 2017年10月、多田謡子反権力人権賞の選考会議を終えて戻る途中、新橋駅前広場で、「石黒一雄さんが、ノーベル文学賞を受賞しました。ご存じですか」と、いきなりマイクを向けられました。私は、「ええと…『わたしを離さないで』の人ですか?」と答え、レポーターが興奮気味に「それです。どんな話か覚えていますか」と聞くので、「確か、臓器移植のために造られたクローン人間たちの悲哀みたいな作品だったと思いますが…」と答えたところ、「知ってる人がいた」といって、テレビ・クルーが呼び寄せられました。「ごめんなさい。映画は観たけど、原作は読んでません」といったのですが、声をかけた中にカズオ・イシグロを知っていた人がほとんどいなかったようで、それでもいいからとしばらく質問攻めにされました。ニュースの類いでその映像が採用されたのかどうかは、確認していませんが。その時点で、カズオ・イシグロの作品はまったく読んでいなくて、ノーベル文学賞受賞後も読んでいなかったのですが、どこかで読んでみないとと思っていたところで、図書館でたまたま目についたので読んでみたという経緯です。作者は日本生まれの日系人ではありますが、英語で書かれた作品で、日本語訳も別人が行っているものですので、文学作品としては、あくまでも日本文学ということはできないと思いますし、作品のタッチもイギリス文学だと思います。日系人の、あるいは日本人のノーベル文学賞受賞という枠組みで騒ぎ立てることには違和感を感じました。


原題:Never Let Me Go
カズオ・イシグロ 訳:土屋政雄
早川文庫 2008年8月25日発行(単行本は2006年4月、原書は2005年)
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