なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ370 鯉も人間も

2022年06月19日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第370回。6月19日、日曜日。

先週一週間は出かけていました。
曹洞宗布教師養成所で、4泊5日の缶詰状態でした。
感染予防対策もあり、受講生は前半後半に分かれての受講でしたが、講師陣は全日程を勤めました。
布教師を目指す青年僧諸兄は、非常にまじめでストイックなまでによく勉強されます。
今年度の講本は昨年度に続き『正法眼蔵行持の巻』で、ただ読むだけでも難解なのに、そこから一文を抜き出して、一般の檀信徒に伝わるように説きほぐす法話を作成することは、それ自体なかなか骨の折れる作業です。
それをみんなの前で実演し、それに対して受講生全員と講師が綿密な講評を加え、原稿を一晩かかって修正した上で次の日再実演するというプログラムです。
最初の実演から再実演までにどれほど修正できたかが厳しく評価されます。
限られた時間での勉強は寝る間もないかもしれません。
次の日の再実演で見事に修正されると、講師陣からも高評価が得られます。
修正できることは人の意見に耳を傾ける謙虚さの現れでもあります。
しかし、自分が言いたいこと話したいことでなければ、話自体が説得力に欠け聴衆の心には響きません。
自分の伝えたいことを保持しながら、さらにブラッシュアップしていく、それがこのプロセスのねらいです。
こういう場に来なければ、自分がこれでいいと思うままに話をしてしまって、間違った教えを広めてしまうかもしれません。
自分には見えない癖や気づかない欠点があるかもしれません。そこを痛いほど真っすぐに指摘されます。そこを気づかせてもらえるのです。
檀家さんは、心で思っても和尚に言うことはないでしょう。
この混迷の世の中、衆生の迷情を救うために、しっかりと学んでいただきたいと願います。
そんなことで、とても重要な学びの場が布教師養成所だと思っています。
全国から参じた今年度37名の弁道僧が一堂に会し、切磋琢磨しながら学ぶ姿はまさに叢林です。
また、違った性質の川の水を分け隔てなく受け入れて海が海となるように、この大海は、各地各自の個性を受け入れ、乳水和合して、やがて人々を潤すことでしょう。
今年度は、同じ日程で10月と2月に二期三期と続きます。

昨日今日と、戸沢村清林寺様の慶弔会、先住様の本葬と現住様の晋山結制が勤まります。
法要の解説を頼まれていて二日間勤めます。
先住禅悦方丈様は一昨年の2月、67歳で突然遷化されました。
ちょうどその日、東根温泉で寺院の集まりがあり、参加した和尚さん方が「途中で事故があったね」と話していました。
その後次々と情報が入り、それが先住様が乗った車の事故だと判明したのです。
先住様の車がブレーキを踏まずに前の車に追突したようで、運転の途中で意識をなくしていたのだろうということでした。
先住様は、普段から法定速度を守って運転する人で、周りがイライラするほどのスピードでしたから、追突された前の車の方に大きなけががなかったことは幸いでした。
しかし、後継者、家族の方、また檀信徒には全くの突然の出来事で、何が起こったのか何をどうすればいいのか、右往左往の日々だっただろうと想像されます。
それでも、法類や教区、近隣の寺院方にアドバイスを受け支えられながら、檀信徒とも相談を重ね準備を整えて、今日を迎えることができました。
新命住職には大変な2年間だったと思いますが、きっと先住様も見守ってくださると思いますし、この苦労を肥しとして立派な住職となるよう、覚悟をもって臨んでもらいたいと願います。
先住様は、山形曹洞宗青年会の会長を務められていた時に、その事業としてカンボジアに学校建設支援を成し遂げれられました。
一緒に学校の贈呈式に参加したことを思い出します。
優しさとユーモアと熱い思いにあふれた和尚さんでした。
まだまだ、寺にとっても地域にとっても曹洞宗門にとっても必要な人でした。
あまりにも早い突然の遷化に、残念無念という他はありません。
心より眞位の増崇を祈ります。

池の鯉が3匹死にました。
金曜日朝に1匹死んでいたようで、昨日にも2匹死にました、何かの感染症かと思います。
すぐに鯉屋さんに来てもらい消毒をしてもらいました。それ以上の被害は今のところなさそうです。
生きものですから、色んな病気はあるでしょう。
体長60センチはある鯉ですから重さもあります。
鯉屋さんは「餌のやりすぎかもしれない」と。
鯉も人間も食べ過ぎには注意しなければなりません。万病の元です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ369 未来を照らす灯台

2022年06月12日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第369回。6月12日、日曜日。

昨日は恒例の松林寺大般若祈祷会でした。
特に今年は、ウクライナ戦争の早期終息とコロナ感染症の早期終息を祈りました。
昨年同様、今年も終わってからの飲食は中止とし弁当のお持ち帰りとなりました。
酒を酌み交わしながらお寺のことや地域のこと、将来のことや愚痴や悩みも吐き出して語り合うことを楽しみにしています。
それができないのは、私としては目的の半分しか果たしていない感じです。
来年こそはと楽しみにしています。

8日水曜日、9月のシャンティ東北のイベントの打ち合わせに山元町徳本寺様にお邪魔した後に、同町の震災遺構中浜小学校に行ってきました。
あの日、上空からの映像で次々津波に飲み込まれていくイチゴのハウスが目に焼き付いています。
広く長い海岸線で、温暖な気候を活かしてイチゴ栽培が盛んな土地でした。
地震発生時間、低学年の児童は授業が終わりグランドで家族の迎えが来るのを待っていました。
今までに経験したことのないような大きな地震で、ラジオでは津波の予想が流れていました。
はじめは6~8m、10分後には到達しているところもあるという報道でした。
小学校から高台まで避難するのに20分かかります。到底間に合わないと思いました。
グランドにいる子どもたち、迎えに来た家族に、校長は「校舎に入れ」と叫びました。
高いところのない平野では、一番高いところが二階建ての学校の屋上でした。
そのうち、津波の予想は10mに修正されました。
校舎の1階の高さが約4m、2階の天井までで8m、そして、この校舎を建てる時住民の要望で設計段階から2mかさ上げされていたことを知っていました。
さらに海岸から400m離れているのでその分をざっと計算して、屋上で何とか10mの津波に耐えられるのではないかと思いました。
校長は、全校児童、教職員、近所の住民、全部を屋上に上げて、最後に自分が階段を上りました。
「この階段を上ってしまったら、助かって下りる以外、下りることはないのだ」と覚悟したことを鮮明に覚えています。
屋上には物置に使っていた片屋根のスペースがありました。
子どもたちはそこに入れて津波の様子を見せませんでした。
津波は2階の天井まで達していました。
一部は屋上まで駆け上がり倉庫の中にも侵入してきました。
先生たちは子どもたちを机の上に登らせて守ろうとしました。
そして、そこで90名は一晩過ごすことになります。
たまたま懐中電灯を持っていた人があり、それを天井に照らして過ごしました。
とても寒い夜でした。
学芸会の道具や行事に使った道具をコンクリートの上に敷いて、励まし合って過ごしました。
何度も襲ってくる余震と寒さに震えながら、子どもたちはどんな思いでこの夜を過ごしたでしょうか。
夜が明けて、津波が引いた校庭には奇跡的に瓦礫が残らず、救助に来たヘリコプターが着陸することができました。

震災後、私はここを何度も訪れ、そのまま放置された校舎を胸を痛めながら眺めていました。
心無い若者が廃墟探検のような遊びに使っているという噂を耳にしたこともあります。
令和2年9月、構想から6年を経て「震災遺構中浜小学校」として公開されました。
その時の時計が止まったままの状態で現実を今に突き付けてきます。
あの時ここにいた子どもたち、大人たちばかりでなく、卒業生、地域の人々の思いが、声が、聞こえてきそうです。
幸い、ここにいた90名は誰一人命を落とすことはありませんでした。
色んな偶然や奇跡が重なったのかもしれません。
津波が来た時のことを考えて校舎を2mかさ上げして欲しいという住民の要望がなかったら。屋上に倉庫がなかったら。津波到達が下校の後だったら。
津波が押し寄せたこの地区は、今人が住めない土地になってしまいました。居住区域ではなくなったのです。
そこにぽっかり浮かんだ島のように、この遺構は震災記録の目印になるでしょう。
未来を照らす灯台になるかもしれません。

校庭には日時計の丘がつくられ、「3月11日の日時計」と名付けられています。
3月11日の地震発生時間に影が指す場所に、流れ着いた石が置かれ、その日その時の太陽の位置を知ることができます。
それも含めて、『被災したままの状態で見学者の立ち入りを伴う公開を法的に可能とした遺構保存の手法』、
『住民や教職員、専門家らとの意見交換を重ねながら共同で整備したプロセス』、
『見学者が時の流れを感じながら震災について考える「日時計モニュメント」等による統合的なデザイン』などが高く評価され、2020年のグッドデザイン賞に選ばれています。
是非一度訪ねてみてください。ガイドの方が生の記憶を丁寧に説明してくれます。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ368 人間は生きもの

2022年06月05日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第368回。6月5日、日曜日。

6月となりました。
日々時は過ぎていきます。
過ぎるというよりも、時に乗って自分が運ばれていくという方が正確ですかね。
自分は動かず、時間だけが過ぎ去っていくわけではないですからね。
時間そのものが自分です。

月末の30・31日は、2年ぶりの特派布教師協議会でした。
感染対策で色々な制限はありましたが、学びの多い集まりでした。
その講師の一人、シャンティ国際ボランティア会専門アドバイザーの大菅俊幸氏が講演で紹介された、中村桂子著『科学者が人間であること』という新書を早速求め読み始めたところです。
生命誌研修者の立場から見た近代社会のありようとその問題点はとても興味のあるものでした。
文章がとても読みやすく、私の頭にもすらすらと入ってくるので楽に読めます。
本書のテーマである「人間は生きものであり、自然の中にある」という視点が貫かれています。
その中で、「便利さ」についてこう書いてあります。
「近代文明の『便利さ』『豊かさ』は物が支えてくれるものであり、物を手に入れるためのお金が豊かさの象徴になりました。便利さとは、速くできること、手が抜けること、思い通りになることであり・・・(しかしそれは)いずれも生きものには合いません。生きるということは時間を紡ぐことであり、時間を飛ばすことはまったく無意味、むしろ生きることの否定になるからです。」
映画を早送りで観たりするのは、生きることの否定になるかもしれません。
読み始めたばかりですがとても面白そうです。お勧めします。

また、東京一極集中にも触れ、「一極集中社会は、生物が生きる場としては、大きな問題を抱えています。生物とは本来『多様』なものであるのに、この社会は均一性を求めるからです」と述べています。
「均一性を求める」ということは、「個性を認めない」ということでもあります。
特にコロナ後に「同調圧力」という言葉がクローズアップされました。
周囲と同じ行動をしない人は攻撃の対象になる、というようなことです。
「あの人変わってるね」と後ろ指をさされ、無視され、排除されるというようなこともそうでしょう。
みんな変わっていて、同じ人など誰一人いないのに、仲間外れを探して攻撃する。それが、多様性を認めない社会なのです。
なので、周囲をうかがい、人の目を気にし、仲間外れにならないようにびくびくしながら生きていく、それは生き辛いですね。
生物は生活環境と密接に関わり、その環境に適用するように「進化」してきたのですから、環境が変われば生物そのもののあり様が違うわけで、東北と関東の人間が「変わって」いることが当たり前なのです。
その変わっていることを認められない社会が東京一極集中の問題点だというわけです。
もちろん、同調圧力は地方にもあります。
ただし、顔のわかる地方においては、致命的な攻撃に至るまではまずないと思います。
一部においてはグループを作り仲間外れはあったとしても、他方においてはその人ともそれなりにつき合っていく。全否定のように、存在そのものを認めないという人はいないですね。幅があるというか、グレーゾーンが準備されているように思います。

周囲の顔色をうかがうのは自分に自信がないからでしょうか。
人の意見に左右され、風に流される浮き草のように、風向きによってあっちに行ったりこっちに行ったり、結局は定まるところがありません。
しっかりと大地に足をつけて自分の足で立たなければなりません。
自分で考え、自分で決断する経験を積まなければなりません。
自分で決断して失敗したとき、その失敗から学ぶのが人間です。失敗から学び、そこから成功へのカギを見つけ、立ち直ることで自信になります。
失敗を避けて通ろうとすることは、学びのチャンスを放棄するということです。それはもったいないことです。
自分の人生の決断を他人に委ねてはなりません。人の意見を聞くことに慣れてしまうと聞かないと不安になり、何一つ自分では決められなくなります。他人依存症です。
人の意見に左右される前に、しっかりと自分と向き合い、自分の考え、自分の決断をまとめ、覚悟をもって決断を実行していく、その経験が自立の自信となるはずです。
自分を見つめる時間を持ちましょう。

大菅氏は、次のように説いていました。
「仏教は、苦しみや悲しみを取り除くことを教えているというより、苦しみや悲しみにしっかり向き合うことを通して、自分の中から智慧や慈悲という素晴らしい宝ものを掘り起こすことを教えているのではないか。」
とても示唆のある言葉でした。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




サンサンラジオ367 薫習

2022年05月29日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第367回。5月29日、日曜日。

一昨日、27日は中野重孝さんの祥月命日でした。
ショックで「死んだらだめじゃん」と叫びましたが、あれから丸1年が経ちました。
もちろん死んでいい人などいませんが、それぞれにとって大切な人はいます。
亡くなっては困る人、喪失の寂しさに耐えられない人、世の中にとって大きな損失になる人。
会いたいと思っても会えない存在になることは、やっぱり寂しいです。
教えていただいたこともたくさんありました。
二人で布教師検定員を務めた時のこと、中野さんが合掌礼拝について語りました。
「合掌礼拝は丁寧にしなければならない。頭をチョンと下げるだけの礼拝ではだめ。5秒ぐらいは頭を下げないと」と話し、自らがやって見せました。
普段から、中野さんはとても丁寧な礼拝をされると感じていました。
時には、丁寧過ぎるのではないかと思うこともありました。イラッとしたことさえ。
しかし、その時、「そうだな、本当だな」と思ったことです。
供養の心を体で表現するのが合掌礼拝だとすれば、やっつけ仕事のような、数ある中の一つのようなしぐさではなく、現前の仏に唯一無二の心から奉げる合掌礼拝でなければならないと素直にそう思いました。
以来、礼拝を行ずるときは、中野さんの姿を思い出し、それをマネて丁寧にするようになりました。
亡くなられてからは、それはもう遺教として私の体の中に沁み込んでいます。
合掌礼拝する度に、中野さんを思い出すことができます。
亡くなってしまえば教えを受けられないわけではありません。
その教えを我が身で行ずるとき、そこに教えの主は生き続けるのです。

先週本葬を勤めた会林寺方丈様の教えも我が身に生きています。
人を分け隔てしない、常に和やかな顔で人に接する、丁寧な言葉遣いをする。
その姿を思い出すとき、自分も和やかな顔になっていると思います。
すると、その顔を見た人も和やかな顔になるでしょう。
一人から一人へ、やわらかな菩薩の顔が伝わって、やがて世界中が和やかな平和な世界になる。
それがお釈迦様の願いであると受け止めます。
それを体全体で示してくれたのが会林寺方丈様でした。
遺弟が謝辞でこう述べました。
「寺に小さな子供が来ると、師匠はおまじないだと言って、頭をなでながら『頭よくなれ、賢くなれ』、体をさすりながら『大きくなれ、丈夫になれ』と言っていました。先日仙台から家族で弔問に来てくれた子が『もう大きくなれしてくれないの?』と悲しい顔をしました。もとより師匠は名誉や地位には全く興味がない人でしたが、子どもたちから弔問を受け涙を流してもらえることが師匠の功績だと思っています」。
いいですね。マネしたいと思います。
宮崎奕保禅師は「1分マネれば1分の仏、1日マネれば1日の仏、一生マネれば本物や」と言っておられましたが、仏のマネをして生きるのが仏教徒です。
マネするときそこに仏が現れるのです。我が身ながらに仏になるのです。
仏でなくとも、自分の尊敬する人のようになりたいと思い、その人のマネをするときそこにその人が生きるのです。
本物になれないのはマネし続けることができないからだけです。
試しにやってみてください。なりたい人のマネをして、マネし続けて、マネかどうかも分からなくなった時、あなたは既になりたかった人になっていることでしょう。

仏教に「薫習(くんじゅう)」という言葉があります。
弟子が師匠のそばにいて、生活を共にしているうちに、言葉遣いや態度、しぐさまで師匠に似てくるというようなことです。
あたかも線香の香りが身につくようなものだというのが「薫習」の意味です。
親子が似てくるのは、DNAだけの問題ではなく、薫習によるものなのでしょう。
もう既にこの世にいない人であっても、長くおつきあいがあった人を思い出すことで、その思い出により薫習することもあると思うのです。
身に沁み込んだ香りがふと立ち上がってくることもあるでしょう。
いい香りをいっぱい思い出し、香りを増幅させ、自らも香りを発していかなければなりません。
「学ぶ」とは「マネぶ」ことです。マネぶ条件は自分が空っぽであること。頭の中が自分でいっぱいであればマネることはできません。
満水のコップに水を注いでもこぼれるばかりです。
まずは中の水を捨てて、空っぽにしましょう。
空っぽであれば見るもの会う人皆我が師であり、全てが新鮮です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



サンサンラジオ366 母苦難の日

2022年05月22日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第366回。5月22日、日曜日。

何と今日は私の誕生日です。
めでたくもない歳なのでお祝いの言葉とかはご遠慮します。
 諸人よ思い知れかし 己が身の誕生の日は 母苦難の日
という歌は、薬師寺高田好胤管主の『母ー父母恩重経を語るー』で心に響いた記憶があります。
だから、自分の誕生日は母に花を贈るのだ、という話もむべなるかなとうなづいて、一度は贈ったことがあります。一度だけでした。
親の恩は分かっているのになかなか実行できません。
今母は、私に抱かれて寝起きする状態になりました。アルツハイマーが進行しています。
「おはよう」と声をかけると、調子のいいときははっきりと「おはよう」と声に出してくれます。
しかし、それ以外はほとんど話ができないので、頭の中で何を考えているのか、心にどんな言葉があるのかないのか、察することはできません。
飲み込みやすいように、おかゆとミキサーにかけたおかずを混ぜて口に運んでも、飲み込めなかったり、口の端から漏れてきたり、途中で眠ってしまったり、なかなか時間がかかります。
それでもひ孫がやって来ると笑顔を見せたりもするので、家に居るのがいいのだと思います。
デイサービスやヘルパーや訪問看護も利用して何とか在宅介護を続けています。
下の世話はカミさんがやってくれるので、感謝しています。
父にはあまりお世話することができなかったのでその埋め合わせを母親にしているような感じもあります。
介護度5で、寝たきりですが、かえってそれだから楽だということもあります。ご飯の時以外は手がかかりません。
母親が88で、私が66になりました。
いくつになっても年齢差は変わりませんが、相対的に近づいています。
私にとっては、認知症になってくれたおかげで母に接することができています。
それまでは、朝声をかけることもしませんでした。
忘れてしまうことを責めたりもしました。
もちろん体を抱くことなどあり得ませんでした。
少しでもお世話をさせていただけることをありがたく思います。私にとっては。
母自身にとっては決してありがたくはないと思いますが。
今日は母に花でも贈ってみましょうか。

昨日は会林寺様の本葬儀でした。
色々な事情で新庄市民文化会館が会場となりました。
本堂とは違う空間での法要は、戸惑うこともあり、また、新たな気づきもあり、大きな会館だからこその雰囲気作りもできました。
最上郡内の青年僧は真にまじめで献身的で、本葬儀を立派に荘厳に成し遂げたいと心を一つにしてくれました。
後藤信而方丈様は、改めてすごい和尚さんだったなと、時間が経つごとに考えさせられます。
法話をさせていただき、その人徳の高さを伝えたいと思いましたが、おそらくは万分の一も叶わなかったと思います。
それぞれの胸中にある思い出を思い起こし、それぞれがその教えを大事に胸に抱いていくきっかけになりさえすればいいと思います。
「遺偈」は禅僧が自分が遷化するときの心境を遺すものですが、毎年正月にその年の遺偈を遺すという慣習が禅寺にあります。方丈様もその一人でした。しかも、自ら解説までつけて。
その遺偈は、

 耕雲釣月  拘泥(こだわり)の無い世界に遊んで
 九旬五年  九十五年
 臨機末後  臨終の機に直面して
 不及言詮  なにも云うことなどない


更には、住職を退董するときの法語も準備されていました。

 曽て白雲を逐い此の顚に登る  かつて白雲をおいこのいただきに登る
 今は流水に随い爰に巓を下る  今は流水にしたがいここにやまを下る
 現成公案私事に非ず      げんじょうこうあん しじにあらず
 出處宜しきに適うは之自然   しゅっしょよろしきにかなうはこれじねん
      咦          いい
 當山に挂錫すること五旬剩り  当山にかしゃくすることごじゅんあまり
 歴程を回顧して瓦全を慙ず   れきていを回顧してがぜんをはず
   

意訳をさせてもらうと、 
縁あって大儀山の住職となり縁に随って山を下る。
この世の真実のありようは私事の及ぶところではない。進退は自然に任せればいいのだ。
 あゝ
会林寺に住すること五十年余り。来し方を顧みて、ただ無為に過ごしたことを恥ずるのみ。

「瓦全」とは、何もしないで生きながらえていること、という意味ですが、その流れに随った生き方が、多くの人を安らかにし、和やかにして来られたのだなと受け止めています。
内仏の過去帳に書き加えました。真位の増崇を祈ります。

ライブ映像がyoutubeにUPされています。2時間半ほどありますがよろしかったら以下から視聴ください。
本葬ライブ

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。




サンサンラジオ365 草原のライオン

2022年05月15日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第365回。5月15日、日曜日。

生きる目的は何なのか。
生きることに目的など必要ないのか。

生きることに目的のようなものを求めるのは人間だけでしょう。
それも、一定の期間、限られた時期。
人間として生まれても、ある時期までは、「なぜ生きる」とか「生きる目的は何か」などとは考えなく「ただ生きて」います。
また、高齢になり、脳が委縮していく病気などになれば、家族の顔さえ忘れてしまい、「生きる意味」などは考えずにすむ「ただ生きて」いる状態になるでしょう。
意味を考えないで生きることが「無意味な生」であったり、「無駄な生」であることではないはずです。
無為無作為に「ただ生きる」、それが命の姿だと思います。
動物、植物、昆虫、爬虫類、微生物、ウィルスまで含めて、自ら生の目的を考える命は人間以外ないですね。

草原のライオンが、重ねた腕に顎を乗せて草原を眺めています。
物思いに耽っているように見えますが、おそらく「オレはなぜ生まれたのか、何のために生きているのか」を考えている訳ではないと思われます。
なぜ人間だけが、生きる意味を考え、それを必要とするのでしょうか。
そんなこと考えたこともないだろう、とおぼしき人もいます。
そういう人は、生きることに苦痛を感じることもないのではないかと思われます。
もちろん、生きていくためにお金が欲しい、お金がないことは苦しい、という苦痛はあるかもしれませんが、それは「意味」を考える苦痛とは異質なものでしょう。
「生きていくだけで精一杯で余計なことを考えてる余裕はなかった」と苦しい生活を物語ることがあります。
「余計なこと」の中には、「意味」や「目的」なども含まれるかもしれません。
だとすれば、「何のために生きる」などを考えるのは生活に余裕があるからと言えるのでしょうか。
意味や目的を考えようが考えまいが、生きていることに変わりはありません。
ただ、生きてさえいければ、意味などどうでもいいのだ、ただぼんやりと、その日その日息をしていればそれでいい、というのであれば、なぜ人は、生きるため以外に努力をしたり、あるいは厳しい修行をしたりするのでしょうか。
ただ生きているだけでは満足できず、その意味を考えてしまう人間。
そして、その意味を考えるがゆえに悩み、生きることを楽しめない人間。
意味に責められ、意味に振り回され、意味に苦しむ人間。
時折、意味から離れ解放されたいと思う。
人生が旅ならば、目的のない旅に出ることで束縛から解放され、癒され、楽になることができる。
そんな時間が必要なのかもしれません。

禅寺の修行は、目的も意味も捨てることを強いるプログラムです。
もっと言えば、考えることすら捨てることを強要されます。
「お前たちはまだ、『はい』と『いいえ』しか言えないんだ」などと言われました。
頭で考えている間は、「なぜこんなことをしなければならないのだ、こんなことに何の意味があるのだ」と考え苦しみます。
古参修行僧から見れば、自分も体験しているだけに、その心の動きが手に取るように分かり、素直に「はい」と言えるようになるまで「考え」を打ち砕かれます。
修行は、意味や目的を打ち砕くための装置、場所と時間だったのです。
そして、それが打ち砕かれたとき、素直に淀みなく「はい」という言葉が出てきて、束縛から解放されるのです。
その究極が坐禅です。
坐禅は、無作為、無目的の行為です。
坐禅は、お釈迦様の悟りの姿を自らの体で現すことです。
頭で考えること、理解することではありません。
体に意識を預けると言ってもいいです。
目的や意味を考えて苦しむ人間の頭の働きを休止する。
無目的の旅のようなものです。
自然の流れの風景、出会いをそのまま受け止め、そこに留まらず、流れにまかせて去っていく。
ゆっくり走る列車の車窓から眺める景色に例えてもいいかもしれません。
手前の木々は急流のように流れ去っていきますが、遠くの山はほとんど動きません。
流れているのは自分だと知ることでしょう。
流れを止めようとすればそこに無理がかかります。素直に「はい」という言葉が出てこないのはそのためです。

人間は意味や目的を考えてしまう動物です。
その能力で、理論を構築しこの世になかったものを創り出してもきたでしょう。
また経済という概念を生み出し、自然界とは離れた価値を生み出してきたのでしょう。
ただ、同時に、その能力によって悩みや心の苦しみも抱えてきてしまったのですね。
今さら人間以外の動物にはなれないので、その能力を抱えたまま心の解放を図っていく以外にありません。
草原のライオンのように、流れる雲のような心で物思いに耽れればいいですね。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。


サンサンラジオ364 文章を書くという行為

2022年05月08日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第364回。5月8日、日曜日。

当地では特産のアスパラガスが出始め、少しずつ収穫の時期を迎えています。
その矢先、先日の降雪で被害も出ました。
春一番のアスパラガスは、山菜やほかの野菜も同じだと思いますが、とにかく冬の間にため込んだ甘みと栄養分が濃い味で、春の喜びを増幅させてくれます。
来週には田植えも始まるので、その準備で農家は忙しくなっています。朝のんびり散歩しているのが申し訳ない感じで、肩をすぼめて歩いています。

先週はお騒がせしてしまい失礼しました。
皆さんにご心配いただきましたが、もうほとんど恢復しました。
かかっている接骨院の先生も、しばらく時間が必要かと思っていたが驚くほど早いとのこと。
それとも、本人が大げさに痛がるだけでそれほどのケガでもなかったのかも。
いや、本当に、体を動かすたびに痛かったのですよ。
倒れる時に、危険を察した体が一瞬に硬直するのだそうで、固まった筋肉が動かすときに痛みを発するのとのことです。
肉離れはさほどのダメージではなかったようです。
今は、固まった筋肉をほぐす治療を進めています。
いずれにせよ、この程度で収まったのはありがたいことです。
今年同じようなケガが2度目ですから、3度目がないように気をつけなければなりません。

昨日は、法類である真室川町長泉寺さんの法要でした。
16世住職の100回忌で導師を勤めさせていただきました。
16世大仙嶺芳大和尚は、安政5年西村山郡西里村庄司源七次男として生まれ、会林寺玉山桂鷹の法を嗣ぎ長泉寺の住職となります。
その後吉田清龍寺に転住し21世、さらに谷地宿用院に転住して36世を最後に65歳で示寂しています。
私が宿用院39世ですから、私の3代前の住職ということになります。
明治時代までは住職は妻帯しませんでしたから、寺に家族というものはおらず、修行道場としての面目を保っていました。
住職も1カ寺に留まることなく、転住を繰り返していました。いわば「縁あれば住し縁なくば去る」というような掛錫が当たり前でした。
転住がどのようにして決められていたのか定かではありませんが、そういう条件下では、住職と檀家の関係にも緊張感があったでしょうし、また、愛着というか、せっかくいい関係ができたのに離れなければならないという落ち着かない関係でもあったかもしれません。
現在の場合とどちらがいいのか、判断はできませんが、何しろ今は、子どもが少なく、口減らしのためにお寺に預けられるという状況でもなく、弟子は自前で何とかしなければならないという時代です。
ついでですが、宿用院は今年、開山500年を迎えその記念法要を企画しているようです。その際は、併せて36世100回忌も勤めることになるでしょう。

今日5月8日は、松林寺恒例の月遅れの花まつりです。
参拝者は花を一輪ずつ持ち寄り水盤に飾ることにしています。
花壇や野の花など色々な花が集まり、来た順に活けていくのですが、多様な社会のようにそれなりに形になっていくのでおもしろいと思っています。
もちろん、本来は4月8日ですが、当地ではまだ花が咲かないので月遅れにしているという訳です。
花御堂も今咲いている花できれいに飾り付けます。
お釈迦様、誕生してくれてありがとうございます。
今の世に生まれてくれていたなら、世界中の人から救いを求められ、闇夜を照らす灯となっただろうと思われます。
今は、その教えを灯としていかなければなりません。

今月中に仕上げなければならない原稿が4本、来月に1本あります。
1本は何とか書き上げたのですが、なかなか集中できずに期限ばかりが迫ってきます。
毎週のブログもあります。
文章を書くのは嫌いではありません。
これも慣れというのがあると思います。
法話の原稿をつくるのも文章ですから、文章に慣れるというのが法話の勉強にもなります。
ブログを書き始めてから文章に慣れてきたのは間違いありません。
文字や言葉を選ぶのは頭の中で文章を書きながら校正するわけですが、そういう神経細胞を使わないとどんどん退化していくでしょう。
逆に、常に使っているとその神経のつながりが太くなるのだと思われます。
ただ、常に頭の中で文章を書いている状態でもあり、面倒くさく感じる時もあります。
人はものを考える時には言葉をつなぎ合わせて文章として考えているわけですから、考えているということは文章を書いていることになります。
ただすぐ忘れていまうので、口から言葉として出すときには支離滅裂な話になってしまったりします。
頭に浮かんだ文章を、紙に書くとかパソコンなどで打つということで、頭の中が整理され、考えがまとまるということもあるでしょう。
脳の中身を一度外に出して、視覚的にあるいは聴覚的に眺めるという手順が必要なのかもしれません。
私は今それをやっているのですね。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ363 碇を下ろす

2022年05月01日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第363回。5月1日、日曜日。

昨日の朝、雪が積もっていました。
予報では降ると言っていましたがまさかと。
もう5月ですよ。
異常な温かさがあったり、気温の上下動が大きいです。体調に気をつけていきましょう。

27日、背中を痛めました。
状況を詳しくは言いにくいのですが、バックパックを背負った状態で仰向けに倒れ、首がガクンと後ろに落ちてむち打ちのような状態になりました。
その影響で背中の筋肉が肉離れのようになり、痛くて生活に支障をきたしています。
背中が痛むことがこんなに辛いのかと初めて知りました。
どこが痛くても辛いのは変わらないかもしれませんが、背中の筋肉はいろんなところにつながっていて、何をするにも痛いということを知ったのです。
ああ、ここをこうする動きにもこの筋肉を使うんだと、解剖学の実験をしているような感覚です。
木魚を使えないかなと思いましたがそれは何とか大丈夫でした。
それよりも息を吸うとちょっと痛みを感じるので、お経の声を出すのに万全ではない状態です。
パソコンの前に座っている間は問題ないのですが、下を向くのが辛いのと、立ち上がる時に難儀をします。
寝床で上向きに寝ているのが一番楽です。ただ、寝返りと、起き上がる時がやはりかなり時間がかかります。
どういう態勢から横になるのが痛くないのか、色々工夫してみています。
整形外科で診察してもらい骨には異常はないと。アイシングで炎症を抑え、筋肉が固まらないように徐々に動かしていくという診断です。

28日、母親が冬季間の施設入所から半年ぶりに戻って来て、在宅介護が再開しました。
介護度5なので、全くの寝たきりです。
朝晩の着替えとベッドから車椅子への移動と食事の介護が私の役割分担ですが、今の状態では抱き上げることもままならずカミさんに負担をかけています。
「こんな時にまったく」という愚痴もごもっともな言い分です。カミさんにとっては二人の介護状態ですから。
昨秋施設にお願いしてから、半年間全く面会もできませんでしたので、アルツハイマーもずいぶん進行したのではないかと覚悟していましたが、思いのほか状態が良く、朝に「おはよう」と声をかけると、ちゃんとしっかり「おはよう」と声を出して反応できるし、笑顔も出るようになりました。入所前より少し前に戻っているような気さえします。
時折ショートステイを使いながら、秋まで何とかやってみようと思っています。
いやー、今年は正月早々から転倒があり、もしかしたら今年はそんな年かと予想しましたが本当になりました。
天気の予報も自らの予報も侮れません。
やりたいこと、やらなければならないことはたくさんあるのに、しばらくはそろりそろりという生活が続きます。

今後この世界がどのように動くのか、全く予測が立ちません。天気予報とは違います。
よもや核兵器使用、世界大戦勃発などはないと思いますが、まさかこの時代に戦争が始まるとは思っていませんでしたから、それを考えると何が起こっても不思議じゃないのかもしれません。
コロナ感染症も続いています、本当に先の読めない時代です。
こうなると、周りの状況に左右されない、自己の確立が求められると思います。
周囲の情報に振り回され過ぎているような現代社会において、どっしりと構えて冷静な判断ができる自己を確立することは必要であり、それは強みともなるでしょう。もちろん、全く社会に影響されない自己などあり得ませんが。
テレビはあまり見ないので分かりませんが、SNSやWEBの情報は多種多様、乱雑雑多に入り混じり頭が混乱してしまうようです。
戦争、スポーツ、事故、ダイエット、政治、ラーメン、広告、殺人、お笑い、等々、ごちゃまぜに視界にあふれて、何が何だか分からなくなります。
そこから取捨選択して自分の気になる情報を手に入れるのでしょうが、その中にはいわゆるフェイクニュースも混ざっていて、興味を持っている人にはそういう情報だけ集まるような仕組みになっているようです。
一度覗いてみた商品の広告が繰り返し出てくるような。
乱雑に多種多様であるように見えて、実は情報が操作されている可能性もあります。
ですから尚のこと、情報を入れる前の自己をしっかりしておかなければならないと思うところです。
碇を下ろした船は、たとえ波間で漂っていたとしても流されるということはありません。
碇は信仰でしょうね。
人間の体で言えば、臍下丹田、そこに重心を置いて腰を落ち着ける。
腰が落ち着くと心もグラグラしない。それには坐禅が一番です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。



サンサンラジオ362 猫と犬がいました

2022年04月24日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第362回。4月24日、日曜日。

昨日は、花の鶴楯を創る会の春の作業でした。
昨秋、降雪直前に伐採した樹木を道路脇まで引き下ろし、一定のサイズに切り揃え、トラックに積んで「木の駅」に引き取ってもらいます。
そして、仮植えしていた桜の苗木10本をその跡地に定植するという作業でした。
この冬は降雪がとても多く、支えをしていましたが苗木の半分が途中から折れてしまいました。
寺の植木もこれまでにないくらい枝折れしていましたから、今年の雪は本当に多かったのだと知らされました。
鶴楯の山が桜の山になることを思い描いて作業していますが、思い通りの姿になるまでにはかなりの年数がかかります。
あきらめず、たゆまず、一年一年のすべきことを続けて行こうと思っています。

これまで飼っていた猫と犬のことを思い出していました。
物心ついた時から松林寺には猫がいました。その当時はネズミ除けのためにどこでも猫を置いていたように思います。
はじめての猫がどんな名前だったのか「チャコ」だったか憶えていませんがトラ猫だったと記憶の片隅にあります。
父親がいたずらで前足に輪ゴムをはめて、それがとれなくてかわいそうだった、と祖母が思い出話をしていたのを覚えています。
小学低学年だったと思いますが、前の猫が死んだ後に姉妹の猫をもらってきて、姉がその当時の流行歌手にあやかって「ジュン」と「ネネ」と名付けました。
間もなくジュンは死んで、残ったネネは私の布団の中で寝ていました。何と布団の中で出産もしました。
その頃、少年の間で鳩を飼うのが流行っていました。
ネネが見えなくなり、あちこちみんなで探しましたが見つからず、あきらめた頃、近所の少年が、鳩小屋に近づいた猫を殺したと自慢げに言うのを聞きました。残念ながら犠牲になったことを知りました。
まだまだ野蛮な時代で、産まれた子猫を川に捨ててくるというようなことは普通に行われていました。
それでも、飼い猫の最期には胸を痛め、しばらくの間傷心の日々を送っていました。
その後松林寺には猫の不在が続いたと思います。
私も大学から松林寺を離れていましたので猫の記憶はありません。
一度戻りましたが、間もなく宿用院住職として河北町に移住しました。
宿用院では、まず黒猫がやって来て「なむ」と名付けました。バタバタして何日か家を空けたことがあり、いったん戻った時に足元に甘えるなむを置いてすぐに家を出てしまいました。
その晩家に戻った時には、なむはいなくなっていました。名前を呼びながら近所をずいぶん探しましたが帰ってきませんでした。
足元にじゃれついた時に餌の皿が空になっていたのを見ていながら補充をしなかったことをずーっと後悔していました。

順番から言えばその後は犬ですが、その話は後回しにして、猫を続けます。
父親がパーキンソン症候群と診断され、言葉も出なくなりぼんやり暮らすようになって、アニマルセラピーとして犬か猫かを飼ったらどうだということになり、松林寺でアメリカンショートヘアを求めました。名前は「風太」だったか何かですが「フー」とばかり呼んでいたので本名を忘れました。
ペットショップで「あまり外に出さない方がいい」と言われたので夜はゲージに入れて飼っていました。
それでも春になれば外に飛び出し、父親と墓のあたりでウロウロしていた時に姿が見えなくなりました。父親が何か言うのですが意味が通じず、側溝に落ちたのかどこかへ飛び出して事故にでもあったのか、結局は分からずじまいでした。
宿用院では黒っぽい猫がやって来て、毛の先が黒く中が白いので「ティラミス」と名付け「ティラ」と呼んでいました。
何年居たのか、姿が見えなくなったと思ったら床下で固くなっていました。猫は死ぬときに姿を隠すというのをその通りだと思った記憶があります。
その後は、子どもたちが拾ってきたりペットショップで処分寸前のを買ってきたりした「ミータン」「くつした」「ロビン」という猫がいましたが、それぞれ、寿命、事故、腎臓病で亡くなりました。

で、犬ですが、子犬でもらってきた時には「メグ」という名前が付いていました。「めごめご」からその名前になったとのこと。
少し下がり目の悲しげな顔がかわいい真っ白な犬でした。
初めて散歩に連れて行った時には、途中で怖くなって尻込みして歩きません。仕方ないので抱いて散歩を続け、腕の中で震えていました。
避妊手術をして入院から帰った時には包帯のまま雪の中を走り回り、おとなしくさせようと足を出したら運悪く包帯の腹に当たってしまい「キャン」と鳴いて飛びあがりました。
大丈夫かと心配していると、恐る恐る足元にやって来て上目遣いで泣きそうな顔をしていたのを忘れられません。
散歩をしてあげられませんでした。
いつの間にか私の係になっていたので、寺に居る時は朝の散歩を日課にしていましたが、外に出ている時が多くなり、忙しいとか疲れたとかを言い訳にしてズルズルと散歩の回数が減っていきました。
寺に帰ると、姿を見つけて声を上げて立ち上がり散歩を要求するのですが、見て見ぬふりをしていました。
老犬になり、たまに庭でリードを放してもヨタヨタと歩くばかりで走る筋力はなくなっていきました。
長く伸びた爪を切ろうと、鋏を入れたところ、爪の裏の肉まで切ってしまいました。
寒い夜、外からサッシ戸を何度も叩いて「クーンクーン」と鳴いて、今日はやけにアピールするなと思っていた次の朝、冷たくなっていました。

何て冷たい飼い主だったと、思い出しては胸が締め付けられています。
この犬には本当にかわいそうなことをしました。飼い主の資格は全くないと思っています。
猫と違って犬は従順なだけに不憫に思います。
そんなことを時折思い出しては自分を責めているのです。呻きの声を発しながら。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

サンサンラジオ361 縁はつくれる

2022年04月17日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第361回。4月17日、日曜日。

川西町に来ています。
昨日今日と、高徳寺様の慶弔会、先代方丈様の本葬と新命方丈様の晋山結制に、カミさん共々お招きいただきお邪魔しています。
実は、新命の雅廣さんと奥様の朱珠さんは、私たちが仲人を務めさせていただいたという関係です。
そういう訳で、二人でご招待いただきました。
先代様は、禅僧として凛とした方で、尊敬申し上げていました。
ただ、お子さんに恵まれず、後継者を探しておられました。
一方、雅廣さんは河北町の在家出身ですが、大学時代に縁あって出家され、修行に行かれた永平寺で私との縁も生まれました。
朱美さんとは中学時代からの同級生で、長くおつきあいがあったようです。
修行から帰って、寺の決まっていない雅廣さんには、いろんなお寺さんから声がかかりましたが、結果として高徳寺様に落ち着いて今があります。
そんな中で、結婚される際に仲人を頼まれたのでした。
雅廣さんは、先代方丈様の薫陶を受け、高徳寺の後継者として研鑚を重ね、立派な住職となられました。
今、長男の風雅君は永平寺の修行中ですが、他出の許可をいただき本日首座法戦式を務めます。
その晴れの姿を先代様にもご覧いただきたかったと思いますが、きっと大寂静中、目を細めてご照覧のここと思います。
人と人とがどこでどのように出会い、どのように展開していくのか、筋書きのないドラマです。
中島みゆきは『糸』で、めぐり逢いを「仕合わせ」とよんでいます。

全ては縁によるものです。
犬も歩けば棒に当たるというように、何もしないでただぼんやり過ごすのも、縁と言えばそれも縁でしょうが、自分の願いや夢を持ち、それに向かっていくとき、その行動の中で紡がれる縁があるでしょう。
縁はつくることもできます。
脳内の神経伝達構造ニューロンのように、一つの出会いは次の出会いへとつながっていき、縁は無尽に広がるとも言えます。
雪が解けると様々な作業が待っていますね。
雪囲いを外し、冬の間の汚れをきれいにしたり、植木鉢の移動などもあります。
一つを片付けると次のことが見えてきて、やればやるほど次から次へと作業が続いていくという経験はあるでしょう。
やらなければ見えないことがやることによって見えてくる。
行動しなければ次の行動は生まれないし、縁は広がらないのです。

高徳寺さんの先代様が亡くなられた報せをいただき参上したときに、永平寺から帰って来ていた風雅君と少し話す機会がありました。
先代様を血のつながったおじいさんだと思っていたと。結婚当時のお父さんの話をすると、何も聞いてはいなかったようで、お父さんがこの寺に居ることも当たり前のことであり、何の疑問も持たなかったと。
そうなのでしょう。
日常に慣れてしまえば、今ここに自分があることが当たり前のことであり、不思議にも疑問にも感じなくなります。
しかし、ここに自分があることは、決して当たり前のことではなく、親や先祖が知らない苦労をしたり、塗炭の苦しみを味わったり、数奇な出会いがあったりして奇跡的に今があるのです。
戦争のない中で暮らしていけることが、どれほどの努力の上に成り立っていることか、少しは考えた方がいいですね。
縁は作り出せるのですから、平和な世界だって作り出せるはず。
強く思うことで縁はつながっていきます。

シャンティ国際ボランティア会がウクライナ難民への支援活動を開始します。
今月末からポーランドとモルドバに入っての調査を行いますが、どんな支援活動になるかはその調査を待ってからになります。
シャンティの活動地はこれまでアジアに限られてきて、ヨーロッパは初めての地です。
ウクライナの難民、避難民が発生してから、関心は寄せていましたが、シャンティの活動地であるミャンマーやアフガニスタンにも来日の希望者があり、支援を必要としています。福島沖地震の被災地もあります。
ウクライナの問題に光が当たれば当たるほど、その陰となって関心は薄れてしまいます。
なので、ウクライナへの支援は二の足を踏んでいたことでありました。
しかしまた、当会の活動のスタートはカンボジア難民支援であり、これほどの歴史的な難民問題に対して座視看過するわけにもいきませんでした。
曹洞宗門の関心の高さもあり、行動を起こすことになりました。
古い支援者からは、あまり活動地を広げないでというアドバイスもあります。その通りだと思います。
ただ、我々の活動は団体の運営のためにやっているわけではなく、より困難な人々を見て見ぬふりすることが苦しいというところからスタートしている以上、その心は捨ててはならないと思っています。
ご理解とご支援をいただけたらありがたく思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。