観光地のお土産みたいなタイトルになってしまった。
やはり永平寺は永平寺。いつ行っても背筋が伸び姿勢が正される。
檀家衆も一様に心地よい緊張感を味わったようだ。感動の声をいただいた。
さて、息子陽堂(呼び名「耕雲」)だが、元気に頑張っている様子だった。
ちょうど接茶寮という、参籠者(お泊まり)のお世話係に配属されていたため、おそらく上の修行僧の配慮で、我々の団体の係にしてくれていた。
陽堂が、永平寺での流れの説明や注意事項の伝達、食事の作法、風呂への案内など、てきぱきと説明する姿を間近に見て、檀家衆も殊の外喜び、何ほどか安堵してくれたに違いない。
私と家内の部屋に来た時は、こらえていた思いが吹き出したのか、言葉にならずテーブルに突っ伏して肩を振るわせていた。
話したいことが山ほどあったのだろうが、ゆっくりおしゃべりする時間もなく、公務へと戻っていった。
食堂(じきどう)において、たまたま家内と向かい合って座り、息子の説明の声を聞きながら薬石(夕食)小食(朝食)をとる時には、何だか自宅にいるような、不思議な気持ちになった。
翌朝は、木の芽拝登という行事のために朝早く出かけたので、息子の顔を見ることはできなかった。交わす言葉もわずかだったが、元気な様子を目の当たりにして安心できた。
約3ヶ月が経過し、一番厳しい時期は乗り越えたはずだ。体が慣れてくれば病的な食欲も次第におさまってくる。ただし、慣れるに従って気がゆるみ、大きな失敗をしたり、大事な修行を台無しにすることもあり得る。懈怠のないように願う。
昔はほとんどの仕事に修行期間があり、みんな苦労しながら体で覚えてきたのだろう。社会の常識や、人とのつきあい方なども同時に身につけてきたに違いない。
今、ほとんどの職業が学校から直ぐに就職ということになり、給料をもらうことになる。給料は高く、仕事は楽な方がいい。目的はお金であり、一人前の職業人になることではなくなってしまった。
大人としての生き方も身につけず、ただ、機械のコマになっているに過ぎないように見える。
今、どんな理由にせよ、修行させてもらえることはありがたいことだ。
永平寺で目にする修行僧の姿が、美しく、さわやかに、凛々しく見えるのは、修行の力なのだと改めて思う。