なあむ

やどかり和尚の考えたこと

生きている

2009年04月23日 21時39分17秒 | 今日のありがとう

とても困難な大きな用事が目の前に予定されているとき、「大丈夫だろうか、何とかなるだろうか、失敗しないだろうか」と心配になることがある。

そして当日を迎え、うまくいくか、いかなかったか、いずれにせよその日は終わり、何日か経って、「ああそうだ、終わったんだ」と安堵して振り返ることがある。

どんなに困難に思えた事柄も、その場になれば何とかして、過ぎ去っていくものなのだ。

過ぎてしまえば、何てことのないことだったと思うこともしばしばある。

どんなに大変なことも、生きてさえいれば思い出にすることができる。

まだ来ぬものに、心配して思い悩もうが悩むまいが、時間は着実にやってきて過ぎていくのだ。

我々は今ここに生きている。死んでしまった人は生きていない。同じ時間に同じ空気を吸っている共感と連帯感をもちたい。

死は向こうからやってくるものであり、自分でつくるものではない。


初お目見え

2009年04月23日 21時06分04秒 | 宿用院

くつしたは松林寺の猫、で、こちらは初お目見えの宿用院の猫みーたん。

どちらも息子が処分される直前にもらい受けてきたもの。

何故か実家へ、しかも1匹ずつ預けることに。

Dvc00123 しかし、このみーたんは、宿用院に来てからかれこれ2年ほどになるのに、未だに娘以外にはなつかない。主人であるはずの住職を見ても泥棒猫みたいに首を潜めて逃げ出す。Dvc00118

この度ようやく写真に収めることができた。いかにも雑種の微妙な色、短足、ほとんど鳴かない、でも目が大きいのでかわいくないわけではない。

中島みゆきに「なつかない猫」という歌があるが、なついてくればこそかわいげもあるのだが、今イチ愛着がもてない。

どちらも捨て猫同然だが、生まれつきの性格というものがあるようだ。