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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第178回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
9月30日、日曜日です。
特派布教の巡回で27日から岡山県に来ています。
新倉敷に着いて、お迎えいただいた方丈様に無理を言って倉敷市真備町へ連れて行ってもらいました。
当初、ここの源福寺様が布教の教場になっていましたが、豪雨災害で本堂の天井のすぐ下まで浸水したため、急遽別のお寺に代わっていただいたのでした。
お邪魔すると、方丈様と奥様が長靴を履いて片付けの作業中でした。
「3m20㎝まで浸水しました」とのこと。本堂も庫裡も水に浸かったため、壁も床もすべて撤去して少しずつ片づけを進めているところでした。
周囲は町全体が一面水につかった痕が生々しく、ほとんどの住宅が2階の窓を開け放しているのは2階まで浸水した証でした。
真備町だけで亡くなられた方が51名に上り、その被害の大きさと、情報が伝達されなかったことで犠牲になった方々の無念さを感じざるを得ませんでした。
それでもお若い住職ご夫妻は、明るく元気に作業されていました。
お寺が元気に立ち上がることで、町の人々の勇気につながればいいと願ってきました。
源福寺様に代わって教場を引き受けていただいたのは洞松寺様です。
現在専門僧堂いわゆる修行道場になっています。
堂頭(どうちょう)の鈴木聖道老師は、海外開教師を務められた方で、その家風を慕って多くの外国人修行僧が集まってきています。
長く海外の道場で坐禅をされている方が多く、日本の正統な道場で修行をつんで故郷の道場に帰りたいという方が来られているようでした。
しかし、そのような海外の修行僧を受け入れる道場は少なく、しかも男性も女性も一緒に受け入れる道場は唯一ここだけで、現在25名ほどの老若男女、多国の修行僧が和合して修行していました。
前晩は堂頭老師と二人で食事をいただき、長い時間親しくお話を伺いました。
海外からの修行僧は年配の方が多く、一方日本の修行僧は若い男性がほとんどなので、落ち着いた雰囲気の中、和やかに修行ができていると話されていました。
フランス、ドイツ、ポルトガル、イギリス、オランダなど、多国籍の道場ですが、会話の共通言語は英語なので、日本の若い修
行僧も英語が身に着くという副産物もあるようです。
堂頭老師は、12年前に請われてこの道場に入られたようですが、その前の住職が長く入院されて亡くなられてからしばらく無住状態が続き、伽藍は荒れるに任せていたようで、坐禅堂は雨漏りがひどくこうもりが飛び交いその糞が山になっているような状態だったとか。
それを片付けて一人坐禅を行じていると、どこかで何かしゃべったわけではなく、新聞に広告を出したわけでもないのに、一人二人と一緒に座る人が増え、現在の僧堂になったというわけです。
まさに「坐禅の功徳」です。
「もし人、一時なりというとも三業(さんごう)に仏印(ぶっちん)を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる」
「三業に仏印を標し」とは、身、口、意の三業を仏の姿にする、ということで、坐禅を指します。
手を組み足を組んで背筋を伸ばし、下腹で呼吸をし、頭に上った血を下げて腹が座ったとき、人間のはからいが消えて仏が現れる。その時、この世界のすべてが仏の姿となる。という意味です。
洞松寺僧堂はまさに、そんな坐禅が行じられている道場でした。
昨日はちょうど、道元禅師瑩山禅師のご命日で、いい環境の中お話しをさせていただきました。
今日は台風が近づいています。ちゃんと務まるか心配です。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ、第178回。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
9月30日、日曜日です。
特派布教の巡回で27日から岡山県に来ています。
新倉敷に着いて、お迎えいただいた方丈様に無理を言って倉敷市真備町へ連れて行ってもらいました。
当初、ここの源福寺様が布教の教場になっていましたが、豪雨災害で本堂の天井のすぐ下まで浸水したため、急遽別のお寺に代わっていただいたのでした。
お邪魔すると、方丈様と奥様が長靴を履いて片付けの作業中でした。
「3m20㎝まで浸水しました」とのこと。本堂も庫裡も水に浸かったため、壁も床もすべて撤去して少しずつ片づけを進めているところでした。
周囲は町全体が一面水につかった痕が生々しく、ほとんどの住宅が2階の窓を開け放しているのは2階まで浸水した証でした。
真備町だけで亡くなられた方が51名に上り、その被害の大きさと、情報が伝達されなかったことで犠牲になった方々の無念さを感じざるを得ませんでした。
それでもお若い住職ご夫妻は、明るく元気に作業されていました。
お寺が元気に立ち上がることで、町の人々の勇気につながればいいと願ってきました。
源福寺様に代わって教場を引き受けていただいたのは洞松寺様です。
現在専門僧堂いわゆる修行道場になっています。
堂頭(どうちょう)の鈴木聖道老師は、海外開教師を務められた方で、その家風を慕って多くの外国人修行僧が集まってきています。
長く海外の道場で坐禅をされている方が多く、日本の正統な道場で修行をつんで故郷の道場に帰りたいという方が来られているようでした。
しかし、そのような海外の修行僧を受け入れる道場は少なく、しかも男性も女性も一緒に受け入れる道場は唯一ここだけで、現在25名ほどの老若男女、多国の修行僧が和合して修行していました。
前晩は堂頭老師と二人で食事をいただき、長い時間親しくお話を伺いました。
海外からの修行僧は年配の方が多く、一方日本の修行僧は若い男性がほとんどなので、落ち着いた雰囲気の中、和やかに修行ができていると話されていました。
フランス、ドイツ、ポルトガル、イギリス、オランダなど、多国籍の道場ですが、会話の共通言語は英語なので、日本の若い修
行僧も英語が身に着くという副産物もあるようです。
堂頭老師は、12年前に請われてこの道場に入られたようですが、その前の住職が長く入院されて亡くなられてからしばらく無住状態が続き、伽藍は荒れるに任せていたようで、坐禅堂は雨漏りがひどくこうもりが飛び交いその糞が山になっているような状態だったとか。
それを片付けて一人坐禅を行じていると、どこかで何かしゃべったわけではなく、新聞に広告を出したわけでもないのに、一人二人と一緒に座る人が増え、現在の僧堂になったというわけです。
まさに「坐禅の功徳」です。
「もし人、一時なりというとも三業(さんごう)に仏印(ぶっちん)を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる」
「三業に仏印を標し」とは、身、口、意の三業を仏の姿にする、ということで、坐禅を指します。
手を組み足を組んで背筋を伸ばし、下腹で呼吸をし、頭に上った血を下げて腹が座ったとき、人間のはからいが消えて仏が現れる。その時、この世界のすべてが仏の姿となる。という意味です。
洞松寺僧堂はまさに、そんな坐禅が行じられている道場でした。
昨日はちょうど、道元禅師瑩山禅師のご命日で、いい環境の中お話しをさせていただきました。
今日は台風が近づいています。ちゃんと務まるか心配です。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。