三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第307回。3月28日、日曜日。
22日、山形市に独自の緊急事態宣言が発令されました。
隣の仙台市の急増に呼応するかのように、山形県内での感染者も急増しているためです。
ちょうどその晩、集中講座の企画委員会があり、今年は開催したい意向を伝えたのですが、みな意気消沈してしまっていて、6月開催は見送らざるを得ませんでした。
チケットの販売が難しいと言われれば、無理やり開催することもできません。
とりあえず、様子を見て、ワクチンも届いて感染が収まれば、10月にも開催できないかという結論となりました。お盆明けに判断します。
25日はシャンティボランティア会の総会でした。
オンライン開催ですが、会長副会長は会場にて出席の予定になっていました。
緊急事態宣言は山形市のみで、県全体ではないのですが、「こんな時に行くの?」という空気が蔓延していて、こちらも断念しました。
結局オンラインでの参加でしたが、総会も理事会も無事に終わり、その後に行われた40周年記念のトークイベントもいい内容でよかったでした。
上京したら、甥っ子が開店したもつ焼き屋に行こうと思っていましたが次の機会とします。
昨日は鶴楯の春の作業のための下見に行きました。いよいよ今年は支障木の伐採と植樹を開始します。麓までの道路も作りたいと思っています。
みんなの力を合わせてやろうと、気運は高まっています。
地酒造りも少しずつ動き出しています。
4月20日に実行委員会を開き5月22日に酒米田植えの予定まで決まっていますが、テレビ局から取材の依頼が入り、その芽出し作業から追いかけたいとのことです。
酒の量は少量で最上町限定販売の予定なので、できる前からあまり大騒ぎするのはどうかと思いますが、最上町民に対しての広報も必要かと思っています。
大雪に覆われていた田んぼも急速に溶けて、散歩ルートの道も歩けるようになりました。
冬の間ほとんど体を動かすことなく、座ってばかりいたので、関節も肉もカチコチに固まってしまっています。
少しずつほぐしていかなければなりません。
身体を動かすためならばルームウォーカーもあるのですが、冬の間に2回ほど乗ったでしょうか。外の空気を吸いながら自然の中の散歩の魅力とは比べ物になりません。
楽しみは、イヤホンで聴く落語や浪曲、朗読、そして島津亜矢。朝の散歩には島津亜矢が合います。元気が出ます。
鳥のさえずりが聞こえだしたらイヤホンは外します。自然に勝る音楽はありませんからね。
明後日30日は北海道で寺院の研修会の講演が入っています。
空港まで車で行って、飛行機に乗り、密を避けて電車に乗ればホテルまで無事に着けるのではないかと思っています。
ただ、宣言が出た山形から来るのは受け入れる側としてどうなのかと思い電話したら、「北海道はずいぶん出ているのであまり気にしていない」とのこと。
うーん、いいのか悪いのか。
研修会を中止にしないことがその意思表示なのでしょうから、行くしかありません。
大震災以来、人の痛みに寄り添うという無縁社会からの変革の動きも、寄り添いそのものができない状況では、孤独や無縁に逆戻りしてしまうかもしれません。
親や兄弟の看取りや葬儀にも参列できず、しっかりお別れができないことがもたらす心の不安定さを、どう解決していけばいいのか。
そこに僧侶の役割はないのか。あるとすればそれはどんなことか。言葉として何を伝えていけばいいのか。
未知の局面ですが、苦しむ人がいれば、そのための解決方法は生み出していかなければなりません。
苦しみは金銭的な問題ばかりではないはずです。
この局面で、仏法が役立つのかどうか、それが問われているのでしょう。
そのためにも集中講座を開催できないかと思ったのですが、人が集まることができないことは癒しの機会も制限されるということなのです。
収まるまでジッと待つのも一手ですが、全てが動き始める春、この中でもできることがないのか、散歩しながら考えましょう。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
22日、山形市に独自の緊急事態宣言が発令されました。
隣の仙台市の急増に呼応するかのように、山形県内での感染者も急増しているためです。
ちょうどその晩、集中講座の企画委員会があり、今年は開催したい意向を伝えたのですが、みな意気消沈してしまっていて、6月開催は見送らざるを得ませんでした。
チケットの販売が難しいと言われれば、無理やり開催することもできません。
とりあえず、様子を見て、ワクチンも届いて感染が収まれば、10月にも開催できないかという結論となりました。お盆明けに判断します。
25日はシャンティボランティア会の総会でした。
オンライン開催ですが、会長副会長は会場にて出席の予定になっていました。
緊急事態宣言は山形市のみで、県全体ではないのですが、「こんな時に行くの?」という空気が蔓延していて、こちらも断念しました。
結局オンラインでの参加でしたが、総会も理事会も無事に終わり、その後に行われた40周年記念のトークイベントもいい内容でよかったでした。
上京したら、甥っ子が開店したもつ焼き屋に行こうと思っていましたが次の機会とします。
昨日は鶴楯の春の作業のための下見に行きました。いよいよ今年は支障木の伐採と植樹を開始します。麓までの道路も作りたいと思っています。
みんなの力を合わせてやろうと、気運は高まっています。
地酒造りも少しずつ動き出しています。
4月20日に実行委員会を開き5月22日に酒米田植えの予定まで決まっていますが、テレビ局から取材の依頼が入り、その芽出し作業から追いかけたいとのことです。
酒の量は少量で最上町限定販売の予定なので、できる前からあまり大騒ぎするのはどうかと思いますが、最上町民に対しての広報も必要かと思っています。
大雪に覆われていた田んぼも急速に溶けて、散歩ルートの道も歩けるようになりました。
冬の間ほとんど体を動かすことなく、座ってばかりいたので、関節も肉もカチコチに固まってしまっています。
少しずつほぐしていかなければなりません。
身体を動かすためならばルームウォーカーもあるのですが、冬の間に2回ほど乗ったでしょうか。外の空気を吸いながら自然の中の散歩の魅力とは比べ物になりません。
楽しみは、イヤホンで聴く落語や浪曲、朗読、そして島津亜矢。朝の散歩には島津亜矢が合います。元気が出ます。
鳥のさえずりが聞こえだしたらイヤホンは外します。自然に勝る音楽はありませんからね。
明後日30日は北海道で寺院の研修会の講演が入っています。
空港まで車で行って、飛行機に乗り、密を避けて電車に乗ればホテルまで無事に着けるのではないかと思っています。
ただ、宣言が出た山形から来るのは受け入れる側としてどうなのかと思い電話したら、「北海道はずいぶん出ているのであまり気にしていない」とのこと。
うーん、いいのか悪いのか。
研修会を中止にしないことがその意思表示なのでしょうから、行くしかありません。
大震災以来、人の痛みに寄り添うという無縁社会からの変革の動きも、寄り添いそのものができない状況では、孤独や無縁に逆戻りしてしまうかもしれません。
親や兄弟の看取りや葬儀にも参列できず、しっかりお別れができないことがもたらす心の不安定さを、どう解決していけばいいのか。
そこに僧侶の役割はないのか。あるとすればそれはどんなことか。言葉として何を伝えていけばいいのか。
未知の局面ですが、苦しむ人がいれば、そのための解決方法は生み出していかなければなりません。
苦しみは金銭的な問題ばかりではないはずです。
この局面で、仏法が役立つのかどうか、それが問われているのでしょう。
そのためにも集中講座を開催できないかと思ったのですが、人が集まることができないことは癒しの機会も制限されるということなのです。
収まるまでジッと待つのも一手ですが、全てが動き始める春、この中でもできることがないのか、散歩しながら考えましょう。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。