間もなく2011年、平成23年が終わろうとしています。
いくつまで生きるかはわかりませんが、私の人生において、最も大きな一年となりました。
信じられない光景を見ました。
胸がつぶれる思いをしました。
ひとの悲しみ、苦しみを嫌というほど知りました。
この人生にこのことにめぐり逢った意味を考えなければなりません。
否、意味などどうでもいいのです。
めぐり逢って、それからどう生きるのかこそが問題です。
気持ちは、岩手、宮城から福島に移動しつつあります。
津波から原発に移りつつあります。
みなさん、ようーく見てください。FUKUSHIMAは全く全然終わっていません。
政府も、マスコミも、世論を収束に向けようとしています。
福島を見捨てようとしているかのようです。
そもそも、なぜ、東京の発電所を福島につくらなければならなかったのか。
電気を運ぶロスから考えればおかしなことです。
絶対に安全な想定ならばありえません。
「万が一」のことを想定したからに違いありません。
事故が起きたときのことを想定済みだったのです。
「白河以北、一山百文」
東北を、蝦夷地として見下げた言葉です。
そういう認識の中で東北の私たちは生きています。
悔しいですね。
美談や、節電などの良識にうったえる言葉で現実の眼をそらしてはなりません。
見たくないことも見ようとしなければなりません。
忘れてはならないことがあります。
残りの命を全部費やしても惜しくはない「現場」が今そこにあります。
それが、このときにめぐり逢わせたこの命の使命だと受け止めます。
来年はFUKUSHIMAのことを考える一年になりそうです。
震災以降、たくさんの出会いがありました。
悲しみを忘れて心から笑い楽しんだときもありました。
済んだことにすれば、「激動の一年」と言えなくもありません。
まだ終わりにできません。
過去形で語るのはやめましょう。
これから除夜の鐘を撞きます。
今日で断ち切らず、来年につなげていくための鐘にします。
残りの人生のスタートの合図です。
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