なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災132 変わらない苦痛

2012年09月20日 20時43分01秒 | 東日本大震災

暗いニュースばかり続くと気が滅入ってしまうので、マスコミも明るい話題を探して報道します。

被災地の中にも明るい話題はあるわけですが、そればかりが表に出るとそれが全体の様子かと誤解されてしまうことにもなります。<o:p></o:p>

ニュースというものは、その言葉通り、常に新しい出来事を求めていく性質を持っています。<o:p></o:p>

1年半経っても変わらないものは全く変わりなく、困難なものは困難なままなのですが、あるいは、時間が経つにしたがってかえって更に困難な状況は増していくのに、変わらないものは報道されないという宿命にあります。<o:p></o:p>

その変わらない困難の中で、明るい話題だけがクローズアップされると、光と影のごとく、陰は益々暗く感じてしまいます。<o:p></o:p>

報道だけで被災地の状況を理解するのは無理があります。変わらない事柄にこそ困難は潜んでいるからです。つまり、切り取られた一瞬の風景ではなく、時間の経過の中にある問題を理解しなければ困難を肌で感じることはできないということです。<o:p></o:p>

たとえば、あの日のまま放置された田畑を見続けることが農家にとってどれほどの苦痛であるか。

福島の自然の中にありながら、自然と共に生きられないという生活がどれほどストレスになるか。

一枚の写真から時間による心の積み重ねを見通すことは難しいことです。<o:p></o:p>

時間の経過の中で積み重ねてきた苦痛を理解するには、やはり現地に行く、あるいはその人々の話を聞くという以外にないでしょう。

人は、人との関わりの中でしか生きられない存在であるならば、他の喜びをどれほど共感できるか、それ以外に、生きる喜びを見いだす術はありません。

喜びを共感するためには、悲しみも共感しないわけにはいきません。

むしろ、共に感じた悲しみから共に乗り越えた時にこそ、喜びの共感は生まれるものだといえるでしょう。

残り少ない命、被災地と共に生きていきたいと思います。

これほどのとてつもない災害の隣で生きているということは、この命を被災地のために使えという使命だと受けとめています。

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