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やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ406 漫遊の旅

2023年03月05日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第406回。令和5年3月5日、日曜日。

実は、先月25日から3日の金曜日までタイを訪問していました。
防犯上、出かける前に予定を言うのは控えて、帰ってから報告という形をとっています。
今回の目的の一つは、シャンティ現会長の師匠である、若林順天老師23回忌の墓参でした。
順天老師は、長年シャンティの顧問をお務めでした。
カンボジア難民支援が始まったころ、自坊である長野県上田市の安楽寺さんにある国宝木造六角三重塔に参拝に来られる人々に、掛け軸用の般若心経の自筆写経を購入してもらい、その金額が30万円になるとシャンティの事務所に送ってくれていました。団体の初期を支えた功労者なのです。
その後も、毎年現地を訪れては、各国事務所で働く現地のスタッフ一人一人に「おこづかい」と称して500バーツ(今のレートで約2000円)を渡していました。
「お金をあげるのはよくないかもしれんが年寄りだからいいだろう」と、毎回大量の500バーツに両替していました。
活動そのものの支援をしてくれる人はいても、その活動を支える現地スタッフやドライバーにまで心を寄せる人は多くありません。
現地スタッフはそれをとても喜び、親しみをもって「500バーツ和尚」と呼んでいました。
そんな長年の海外支援に対して日本政府から外務大臣賞が贈られた、そんな和尚さんなのでした。
そのお骨の一部を長年通ったタイのバーンサワイという村に納骨しているので、その墓参ということになりました。
ここは私もこれまで何度も訪れており、並んで建っているシャンティの創始者のひとりである有馬実成師の舎利塔にも墓参することができました。
バーンサワイ村は、当時のスタッフが自宅に図書館を開設したことに始まり、公営図書館、奨学金支給、学生寮、保育園の開設と活動を広げ、現在もタイのモデル地区として各方面から視察に訪れる場所になっています。

バーンサワイはバンコクから東へ車で7時間ほどかかります。
次の日は、そこから北タイへ車で8時間ほど移動してチェンカーンという町へ。
ここはラオス難民キャンプがあった所で、シャンティも事務所をおいていました。
難民支援の後もここを拠点として、山岳民族など貧しい家庭の生徒のための奨学金支給事業、学生寮建設運営、保育園の開設、移動図書館活動などを行ってきました。
13年前に利用学生の減少に伴い学生寮を閉鎖しましたが、当時のスタッフが今でも建物と農場の管理を行ってくれています。
今回我々の訪問に合わせて、9本の記念植樹を準備して、それぞれの名前のプレートまで作ってくれていました。
さらに次の日は、国内線でバンコクまで飛び、そこから西へ車で3時間走ってカンチャナブリへ。
ここには関係のプラティープ財団が運営する「生きなおしの学校」があります。
親の育児放棄や虐待など、困難な状況にある子供48名が暮らしここから学校に通っています。
夕食をごちそうになり、子供たちがダンスを披露してくれました。
次の日には、こちらでも植樹の用意があり、やはり立派なネームプレートが準備されていました。
そこまでされると、また水やりに来なければならないかと思ってしまいます。
お金だけの支援であれば、活動が終了すれば関係はそこで途絶えてしまいます。そうではなく、活動の理念と哲学で人を育て、人間関係を築いていけば、支援が終わっても活動は継続されていきます。
いずれにせよ、シャンティ40年の活動の歴史が脈々と継続、伝承され、深くタイの人々の心に根付いていることを知ることができました。

歴史的にバーンサワイはカンボジア文化圏、チェンカーンはラオス文化圏であり、ミャンマー国境に近いカンチャナブリはミャンマーの影響を強く受けています。なので、今回はタイに訪問したのですが、同時に4か国に触れた内容となりました。
ただ、タイ国内の大移動で、いささか疲れました。
この3月でシャンティの副会長、理事も退任することになり、最後に関係の活動地を見ておきたいという思いで旅をしました。
それが今回の旅のもう一つの目的、私のシャンティ卒業旅行という意味でした。
会長ご夫妻や、40年来の仲間との「順天老師23回忌墓参とタイ漫遊の旅」はとても内容の濃い旅となりました。

この旅に同行してくれたカミさんに、これまで長年支えてくれた罪滅ぼしが少しはできたのではないかと期待しています。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。

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