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三ちゃんのサンデーサンライズ。第407回。令和5年3月12日、日曜日。
12年目、13回忌の3.11。
松林寺で静かに勤めました。
あの日は、とても寒い日でした。
冷たい水の中で亡くなっていかれた人々。
あれがせめて、もう少し温かい時季であったなら。
考えても仕方ないことですが、季節が悪かったですね。
3月1日、中島みゆき44枚目のオリジナルアルバムが発売されました。
中島みゆき「世界が違って見える日」。
2020年、ラスト・ツアー「結果オーライ」がコロナの影響で途中で中止となりました。
楽しみにしていた山形公演も中止となりラストチャンスを逃してしまいました。
それ以来のオリジナルアルバムです。
こういう状況の中でリリースされたこのアルバム。
「世界が違って見える日」というタイトルにどんな思いが込められているのか。
このアルバムのジャケットブックというか、歌詞やアーティスト名が載っているものですが、その中に、おそらく初めてだと思われますが、中島みゆき自身が書いた「あとがき」があります。さらには2つの「作者註」も。
あとがきー「世界が違って見える日」
心しだいで世界は全く違うものにみえるはずだなんて、
そんなのは理想に過ぎないよと片付けてしまうのが、人の常と
いうものかもしれません。たかが1人、どう思ってみたところで
世界そのものは何も変わらず、そこにあるじゃないかと言われれば
そうかもねと頷いてしまいそうです。
でも、実際そんな瞬間に出逢うことって、ありませんか?
思いがけない、ほんの小さなきっかけで、世界全部が
180°違ったものに見えて驚く、そういう瞬間。
ときには世界が180°絶望方向へ見えてしまうような
出来事もあるけれど。
それでも、きっと次の瞬間には、世界が180°希望方向へ
見えて来るような出来事が、あなたにも、ありますように。
180°が難しくても、90°でも、10°でも。
中島みゆき
コロナのパンデミック。アフガニスタン、ミャンマーの軍事クーデター。ロシアによるウクライナ侵攻。
3年の間に色々なことがありました。
一瞬にして目の前の世界が変わってしまう恐ろしい経験をしたことでしょう。
目の前が一瞬にして闇に包まれるような。
出口の見えない、希望の光など永遠に差し込まないと絶望にさいなまれてしまったような。
しかし、「心しだいで」変わって見えることもあるのではないかと呼びかけています。
中島みゆきの歌はその一つかもしれません。
たとえば、『倶(とも)に』の歌の中では
倶に走りだそう 倶に走り継ごう
生きる互いの気配が ただひとつだけの灯火
と歌っています。
生きている互いの気配だけでそれぞれが独りでも生きていける、と。
思えば津波も、一瞬にして世界が180°絶望に変わってしまった出来事でした。
心の持ちようなどで変えられる現実ではありません。
しかし、その現実の中で、12年生きてきました。
それは、隣に生きている心臓の鼓動の気配を感じていたからかもしれません。
気配を感じたその時が、「世界が違って見える」瞬間だったのでしょうか。
そんな瞬間があなたにも、ありますように。
作者註の1は「心月」。
本来は「心月(しんげつ)」ですが、この作品では「心月(つき)」と発音しています。
「心月(しんげつ)」は辞書などでは『澄んだ心』と解されることが多いようです。
私は寧ろ『仏性』と解したほうが近いのではないかと思っています。
(「仏性(ぶっしょう)」一切衆生が本来もっている仏としての本性。)
彼女の歌は仏教的だと常々感じてきましたが、それは間違いないようです。
家の宗教が何であるかということは別にして、歌詞の背景にあるものの見方捉え方は仏教者のそれに近いと感じます。
暗い夜が明ける刻まで
心月よ照らせ 深く潜んで (『心月』)
作者註の2「夢の京」。抜粋
「どんな暴力も、夢までうばうことはできない、
だから、未来を怖れることはない」と、歌いたいと思います。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
12年目、13回忌の3.11。
松林寺で静かに勤めました。
あの日は、とても寒い日でした。
冷たい水の中で亡くなっていかれた人々。
あれがせめて、もう少し温かい時季であったなら。
考えても仕方ないことですが、季節が悪かったですね。
3月1日、中島みゆき44枚目のオリジナルアルバムが発売されました。
中島みゆき「世界が違って見える日」。
2020年、ラスト・ツアー「結果オーライ」がコロナの影響で途中で中止となりました。
楽しみにしていた山形公演も中止となりラストチャンスを逃してしまいました。
それ以来のオリジナルアルバムです。
こういう状況の中でリリースされたこのアルバム。
「世界が違って見える日」というタイトルにどんな思いが込められているのか。
このアルバムのジャケットブックというか、歌詞やアーティスト名が載っているものですが、その中に、おそらく初めてだと思われますが、中島みゆき自身が書いた「あとがき」があります。さらには2つの「作者註」も。
あとがきー「世界が違って見える日」
心しだいで世界は全く違うものにみえるはずだなんて、
そんなのは理想に過ぎないよと片付けてしまうのが、人の常と
いうものかもしれません。たかが1人、どう思ってみたところで
世界そのものは何も変わらず、そこにあるじゃないかと言われれば
そうかもねと頷いてしまいそうです。
でも、実際そんな瞬間に出逢うことって、ありませんか?
思いがけない、ほんの小さなきっかけで、世界全部が
180°違ったものに見えて驚く、そういう瞬間。
ときには世界が180°絶望方向へ見えてしまうような
出来事もあるけれど。
それでも、きっと次の瞬間には、世界が180°希望方向へ
見えて来るような出来事が、あなたにも、ありますように。
180°が難しくても、90°でも、10°でも。
中島みゆき
コロナのパンデミック。アフガニスタン、ミャンマーの軍事クーデター。ロシアによるウクライナ侵攻。
3年の間に色々なことがありました。
一瞬にして目の前の世界が変わってしまう恐ろしい経験をしたことでしょう。
目の前が一瞬にして闇に包まれるような。
出口の見えない、希望の光など永遠に差し込まないと絶望にさいなまれてしまったような。
しかし、「心しだいで」変わって見えることもあるのではないかと呼びかけています。
中島みゆきの歌はその一つかもしれません。
たとえば、『倶(とも)に』の歌の中では
倶に走りだそう 倶に走り継ごう
生きる互いの気配が ただひとつだけの灯火
と歌っています。
生きている互いの気配だけでそれぞれが独りでも生きていける、と。
思えば津波も、一瞬にして世界が180°絶望に変わってしまった出来事でした。
心の持ちようなどで変えられる現実ではありません。
しかし、その現実の中で、12年生きてきました。
それは、隣に生きている心臓の鼓動の気配を感じていたからかもしれません。
気配を感じたその時が、「世界が違って見える」瞬間だったのでしょうか。
そんな瞬間があなたにも、ありますように。
作者註の1は「心月」。
本来は「心月(しんげつ)」ですが、この作品では「心月(つき)」と発音しています。
「心月(しんげつ)」は辞書などでは『澄んだ心』と解されることが多いようです。
私は寧ろ『仏性』と解したほうが近いのではないかと思っています。
(「仏性(ぶっしょう)」一切衆生が本来もっている仏としての本性。)
彼女の歌は仏教的だと常々感じてきましたが、それは間違いないようです。
家の宗教が何であるかということは別にして、歌詞の背景にあるものの見方捉え方は仏教者のそれに近いと感じます。
暗い夜が明ける刻まで
心月よ照らせ 深く潜んで (『心月』)
作者註の2「夢の京」。抜粋
「どんな暴力も、夢までうばうことはできない、
だから、未来を怖れることはない」と、歌いたいと思います。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
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