Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

土門拳を見る・読む

2010年05月15日 21時17分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 一昨日に書いておいた文章を掲載。

 私の手元には土門拳の小学館文庫の6巻の写真とエッセイをまとめたものがある。手軽な値段で手に入るありがたい企画。
 文章に没頭してつい写真自体をながめることを忘れてしまいそうになる。写真は確かに文庫本では小さすぎる。大きな本でながめる方が、迫力もあり、細かな光と影のグラデーションや形を読み取ることができる。
 しかし資力と我が家の収納を考えれば文庫本はありがたい。
   さて、このいわゆる百済観音の左手の曲線、指と爪の先まで丹念に造形されたフォルム、そして指と花瓶と衣装の質感の違い、これらの魅力あふれる像を花瓶にあたるやわらかい光を利用してズームアップした写真の力に敬服するばかりだ。モノクロームならではの光のやわらかさを感じる。
 私はこの写真が1940年という、日本が第二次世界大戦に突入する直前の作品ということにも着目した。1932年全農全国会議書記であったときの逮捕・拘留・拷問による転向を経て、1939年室生寺を始めて訪れている。戦争の影が色濃い時勢に、この写真は果たして受け入れられたのかどうかわからないが、時勢に背を向けたわけでもなく、その時代だからこそ仏像だったのかもしれない。そこら辺のことへの言及は本人の文章からはわからない。いろいろなこと想像させてくれる。
 そんなことよりもあわただしく声高で野卑な政治的スローガンが横溢していた時代に、このような写真を撮り続けていたのだ。

   この写真は大判の写真で見たい。この美しい宝珠は私には他に例を見ない作品に思える。こんなすばらしい写真が1枚でも自分で撮れたら本望だ。微かに見える月の輪郭がいい。仏像とその光背のようにも見えるとともに、すそ広がりの屋根の黒い量感も眼を惹きつける。

本日は告別式

2010年05月15日 21時16分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 10日亡くなった友人K君の告別式。昨晩の通夜にはうかがえず、本日告別式に参加し、斎場隣の火葬場まで参列した。
 添える言葉なし。

 本日きり絵作家のさとうてるえさんから福島の建物等のきり絵とその建物の由緒などがかかれたパンフレットが到着した。これから準備をして、公開していく予定。