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本日は連休最後の日ということで、根津美術館へ尾形光琳の燕子花図屏風展をはじめとする琳派展を見に行った。
以前に実物をどこかで見た記憶もあり、図版などでは何回も眼にした。しかし今回実物をじっくりと見ることができた。そして二つのことに驚いた。
私は右双の右端からゆっくりと左へ移動しながら見た。右双の半ばを過ぎた頃、左双がちらっと眼に入った。そこで感じたのは、右双が画面の上下の中ほどにあり、左双は下のほうにあるのが視線をずらしていくと、急に視界が屏風の下の方に吸い寄せられるような錯覚に見舞われた。
絵の左右を入れ替えても連続するような配置、同じパターンの使用などのことは聞いていたが、この眼を右から左に移すに従い下に吸い寄せられる感覚にまず驚いた。
そして、その感覚が構図だけでなく、色の濃さの違いにも起因するのではないかと感じた。そう、右と左、燕子花の色が違うのだ。カタログや図版ではこの違いがわからなかった。実物だと明らかに違う。右双の方が紫の色が明るい。左双の方が紫の色が濃い。
色の濃さが濃い分だけ、視線が余計下に吸い寄せられる感覚になり、左双が下部にアクセントがあるのが強調されているように思った。
今度は左双から右双に移動しながら鑑賞すると、左から右に行くに従い自然に視線が上部に移っていく。明るい上方にスムーズに移動する。これは実物を見ることで初めて気付いたことでもある。
これはすでに多くの方が知っていることなのかもしれない。私だけがしらなかったことなのかもしれない。あるいは、年数を経た色の変色なのかもしれない。しかし私にははじめての経験であり、また光琳の計算されつくし、当初から意図した配色のように思えた。
尾形光琳の2曲1双の夏草図屏風も私には味わい深かったが、カタログにも絵葉書にもなく残念であった。
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鈴木其一の夏秋渓流図屏風は始めて目にした。笹の葉の図案化、樹木に比べ大きくし白の配色のバランスをとった百合、桜紅葉の赤の配色など、渓流の水の色とは思えないが全体の色のバランスからは不思議な落ち着きを示す青の色の大胆さなどに驚いた。
根津美術館の庭園の池ではカキツバタが良い時期であった。コデマリと赤色の紅葉葉の三色を写してみた。
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