Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

根津美術館「尾形光琳 燕子花図屏風」

2010年05月09日 21時19分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
            

 本日は連休最後の日ということで、根津美術館へ尾形光琳の燕子花図屏風展をはじめとする琳派展を見に行った。
 以前に実物をどこかで見た記憶もあり、図版などでは何回も眼にした。しかし今回実物をじっくりと見ることができた。そして二つのことに驚いた。
 私は右双の右端からゆっくりと左へ移動しながら見た。右双の半ばを過ぎた頃、左双がちらっと眼に入った。そこで感じたのは、右双が画面の上下の中ほどにあり、左双は下のほうにあるのが視線をずらしていくと、急に視界が屏風の下の方に吸い寄せられるような錯覚に見舞われた。
 絵の左右を入れ替えても連続するような配置、同じパターンの使用などのことは聞いていたが、この眼を右から左に移すに従い下に吸い寄せられる感覚にまず驚いた。
 そして、その感覚が構図だけでなく、色の濃さの違いにも起因するのではないかと感じた。そう、右と左、燕子花の色が違うのだ。カタログや図版ではこの違いがわからなかった。実物だと明らかに違う。右双の方が紫の色が明るい。左双の方が紫の色が濃い。
 色の濃さが濃い分だけ、視線が余計下に吸い寄せられる感覚になり、左双が下部にアクセントがあるのが強調されているように思った。
 今度は左双から右双に移動しながら鑑賞すると、左から右に行くに従い自然に視線が上部に移っていく。明るい上方にスムーズに移動する。これは実物を見ることで初めて気付いたことでもある。
 これはすでに多くの方が知っていることなのかもしれない。私だけがしらなかったことなのかもしれない。あるいは、年数を経た色の変色なのかもしれない。しかし私にははじめての経験であり、また光琳の計算されつくし、当初から意図した配色のように思えた。
 尾形光琳の2曲1双の夏草図屏風も私には味わい深かったが、カタログにも絵葉書にもなく残念であった。
            

 鈴木其一の夏秋渓流図屏風は始めて目にした。笹の葉の図案化、樹木に比べ大きくし白の配色のバランスをとった百合、桜紅葉の赤の配色など、渓流の水の色とは思えないが全体の色のバランスからは不思議な落ち着きを示す青の色の大胆さなどに驚いた。

 根津美術館の庭園の池ではカキツバタが良い時期であった。コデマリと赤色の紅葉葉の三色を写してみた。


久しぶりの俊成

2010年05月09日 10時28分38秒 | 読書
 「図書5月号」(岩波書店)が手元にある。
 坪内稔典「柿への旅」と高橋睦郎「詩の授業」は必ず読む。
 特に今月の「ARS POETIKA 「源氏物語」」は興味のある部分であった。俊成の判で有名な『左大将家(後京極摂政良経)百番歌合(六百番歌合)』、その13番枯野の歌と判詞を解説している。俊成の有名な「源氏見ざる歌詠みは遺恨事也」が現れる箇所だ。
 むかし幾度読んでもわかりにくかったが、今回の解説でかなりわかったような気にしてくれる。当時の政治的な背景、俊成・定家の御子左家と六条家の関係等々は概略理解できていても、実際の判詞の意味するところはなかなかつかみきれなかった。
 「歌はもはや(俊成より)200年前、紫式部の転載がフィクションの中でしたように、歌人ひとりひとりがフィクションの中で真実を述べざるを得ないところに来てしまった。それが御子左家流新風の共通認識」、ということで、「見し秋を何に残さん草の原ひとつに変わる野辺のけしきに」の秋が現実の宮廷の雅びへの挽歌として見ることを教えてくれた。
 要は源氏物語の歌の意と、良経の歌と判詞が結びつけられなかったのだ。家隆の歌も合わせイメージとしてはつながった。あとは自分の言葉でつながるように反芻する作業だ。
 「授業」と題された連載、授業とは教わろうとする者が断片的に持っている知識を、つなぎ合わせ、体系立て、理解させてくれるもの。あるいは繋がらない糸をつないだり、ほぐれた糸をほぐしてくれるもの、と定義するならば、この授業と題する連載は、私にとっては「良い」授業である。

 5月の岩波書店の出版案内を見たら「私の日本語雑記」(中井久夫)とあった。2100円はつらいがこれは25日発売、購入しなければ‥。