Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

弔辞

2010年05月13日 08時07分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 2010年5月、私はとても悲しい知らせを受け取りました。中学校・高等学校と友情を分かち合い、同期で採用されたKさんが亡くなったという知らせでした。
 君とは、6年間で同級だったことは二度だけでしたが、同じ柔道部に3年間所属しました。学校生活でのさまざまな悩みを共有しながら、6年間を共に成長してきたと思います。今でも柔道場で組み合ったことや、登下校時にいろいろな議論をしたことを思い出します。
 しかし進路では君は文系で在京の大学、私は理系で仙台の大学と、分かれることになりました。これにともない大学生時代には行き来は途絶えました。
 お互いに大学にはすんなりと入ったものの、不思議にともに5年かかって卒業し、1975年4月1日の採用時に同じ会場で、すぐ傍に着席することとなり、偶然の再会に驚愕しながらも、旧交をあたためる事ができました。
 その後の付き合いの中で、大学の五年間の経験では、社会との接し方、かかわり方で、違いは多々あるものの、共通点も多くあり、お互いに親近感を持ち、夜遅くまで議論をしたことが昨日のことのように思い出されます。そして職場に違いがありましたが、仕事の悩みでも相談しあったことがたびたびありました。
 また、母校の労使紛争では、お互いに全力を出してかかわったことがつい最近のような気がしています。最終場面での君の的確な提起と行動力は見事なものがありました。
 病気の発症を聞いてから、3度ほどお会いしました。さらに今年の2月の研修で顔をあわせました。杖をついて歩く姿は、それでも背筋をピンと張って、しっかりとしたものを感じていました。
 そのときは、是非もう一度ゆっくりお茶でも飲みながら会おうといって分かれたのですが、その後姿が最後のお別れとなってしまいました。私の方が年度末・年度始めのあわただしい日々に追われて、会う約束を果たせないままに訃報を聞く羽目となってしまいました。そのことは私にとって痛恨の極みであります。
 最後にお会いした研修の場で、「これからはもっともっと家族のために生きるんだ」「胸を張ってこれまで以上の生き方を子供に見せるんだ」という言葉が今も、深く強く私の心に刻まれています。
 働く、労働をする、ということについては、君は極めて倫理的であり、自分にも他人にも誠実そのものでありました。そのことは、療養中の「働いている仲間に申し訳ない」という言葉を繰り返し繰り返し発していたことにも現れていたと思います。この言葉は、K君の誠実な人柄から当然のように湧き出てきた言葉であったと思います。
 58歳、もっと若くして死を迎えざるを得なかった方も世の中には当然大勢おられますが、しかし私からみてあまりに若すぎる死であります。他人や、家族に誠実であり、自分の人生にも極めて誠実であることが、本人にも周囲にもこんなに悲しい事態を招くというのは、とてもつらいものがあります。
 しかしきっと君のことだから、最後まで歯を食いしばって生き抜こうと努力を続けられたと思います。そのような意志と姿は必ず、残されたご家族に感銘と力をもたらすと思います。
 衷心より哀悼の意を込めて拙句を捧げます。

君が逝く五月の空のなお青し
杖重し藤の青さの深き故