昨日・本日とダウンして丸々寝て過ごした。若い頃なら一日寝ていること自体がつらかったが、今の私は際限なく横になっていられる。やはり一種の病気なのだろう。本日の夕刻、閉院ぎりぎりにいつもの循環器科の医院に行き、二週間分の薬をもらってきた。
ただ寝ていただけだが、救いは多少本を読む気力が湧いていたことだろう。岩波文庫で「漱石俳句集」(坪内稔典編)の後半、イギリスに渡った1900(明治33)年から死の年の1916(大正5)年までを鑑賞できた。それなりの気力と収穫はあったと喜んでいる。
残った前半は、先日読んだ半藤一利の「漱石俳句を愉しむ」を下敷きとしながらそれにとらわれずにどれだけ鑑賞できるか。漱石の俳句は漢籍の素養が必要なので、理解はお手上げの句が多いだろう。1900年以降の句ではそれほど感じられなかったが。
今はようやく起き上がる気力が戻ってきたようで、シベリウスのピアノ曲を聴きながらこのブログをつくっている。
最近はシベリウスのピアノ曲にすっかりはまってしまった。毎日のように3枚のCDのどれかを聴いている。
ただ寝ていただけだが、救いは多少本を読む気力が湧いていたことだろう。岩波文庫で「漱石俳句集」(坪内稔典編)の後半、イギリスに渡った1900(明治33)年から死の年の1916(大正5)年までを鑑賞できた。それなりの気力と収穫はあったと喜んでいる。
残った前半は、先日読んだ半藤一利の「漱石俳句を愉しむ」を下敷きとしながらそれにとらわれずにどれだけ鑑賞できるか。漱石の俳句は漢籍の素養が必要なので、理解はお手上げの句が多いだろう。1900年以降の句ではそれほど感じられなかったが。
今はようやく起き上がる気力が戻ってきたようで、シベリウスのピアノ曲を聴きながらこのブログをつくっている。
最近はシベリウスのピアノ曲にすっかりはまってしまった。毎日のように3枚のCDのどれかを聴いている。