心に残った俳句36句
・氷る戸を得たりや応と開け放し
・かたまるや散るや蛍の川の上
・一つすうと座敷を抜る蛍かな
・長けれど何の糸瓜とさがりけり
・夕日逐ふ乗合馬車の寒かな
・累々と徳孤ならずの蜜柑哉
・人に死し鶴に生れて冴え返る
・ふるひ寄せて白魚崩れんばかりなり
・滝に乙鳥突き当らんとしては返る
・菜の花の遥かに黄なり筑後川
・若葉して手のひらほどの山の寺
・永き日を太鼓打つ手のゆるむ也
・湧くからに流るるからに春の水
・凩のまがりくねつて響きけり
・煩悩の朧に似たる夜もありき
・相逢ふて語らで過ぎぬ梅の下
・白露や研ぎすましたる鎌の色
・行けど萩行けど薄の原広し
・秋風の一人をふくや海の上
・筒袖や秋の柩にしたがはず
・手向くべき線香もなくて暮の秋
・暮なんとしてほのかに蓼の花を踏む
・山門や月に立つたる鹿の角
・ふと揺れる蚊帳の釣手や今朝の秋
・別るるや夢一筋の天の川
・秋の江に打ち込む杭の響きかな
・秋風や唐紅の咽喉仏
・骨立を吹けば疾む身に野分かな
・病む日また簾の隙より秋の蝶
・取り留むる命も細き薄かな
・生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉
・肩に来て人懐かしや赤蜻蛉
・あるほどの菊抛げ入れよ棺の中
・石段の一筋長き茂りかな
・我一人行く野の末や秋の空
・同じ橋三たび渡りぬ春の宵
夏目漱石の俳句は生涯に約2600句。渡英前の1899(明治32)年までが量的にも一つのピークとなる。正岡子規宛の句稿という形をとる。渡英中に子規が亡くなり「筒袖や‥」「手向くべき‥」の句を読み、句作の格好の相手を失ってしまう。
帰朝後、作家としての地位を確立する内も句作は続くが熱中度は下がったように感じる。
それが修善寺の大患1910(明治43)年再び俳句に大きな比重が占められる。そして病中吟「ふと揺れる‥」以降「肩に来て‥」までは他にも心に残る句がたくさんある。
病は人を俳句に心を向けさせるのかもしれない。俳句の短さゆえもある。周囲の変化に敏感になる所為もある。私の場合もそうだった。うまい下手は別にして…。
・氷る戸を得たりや応と開け放し
・かたまるや散るや蛍の川の上
・一つすうと座敷を抜る蛍かな
・長けれど何の糸瓜とさがりけり
・夕日逐ふ乗合馬車の寒かな
・累々と徳孤ならずの蜜柑哉
・人に死し鶴に生れて冴え返る
・ふるひ寄せて白魚崩れんばかりなり
・滝に乙鳥突き当らんとしては返る
・菜の花の遥かに黄なり筑後川
・若葉して手のひらほどの山の寺
・永き日を太鼓打つ手のゆるむ也
・湧くからに流るるからに春の水
・凩のまがりくねつて響きけり
・煩悩の朧に似たる夜もありき
・相逢ふて語らで過ぎぬ梅の下
・白露や研ぎすましたる鎌の色
・行けど萩行けど薄の原広し
・秋風の一人をふくや海の上
・筒袖や秋の柩にしたがはず
・手向くべき線香もなくて暮の秋
・暮なんとしてほのかに蓼の花を踏む
・山門や月に立つたる鹿の角
・ふと揺れる蚊帳の釣手や今朝の秋
・別るるや夢一筋の天の川
・秋の江に打ち込む杭の響きかな
・秋風や唐紅の咽喉仏
・骨立を吹けば疾む身に野分かな
・病む日また簾の隙より秋の蝶
・取り留むる命も細き薄かな
・生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉
・肩に来て人懐かしや赤蜻蛉
・あるほどの菊抛げ入れよ棺の中
・石段の一筋長き茂りかな
・我一人行く野の末や秋の空
・同じ橋三たび渡りぬ春の宵
夏目漱石の俳句は生涯に約2600句。渡英前の1899(明治32)年までが量的にも一つのピークとなる。正岡子規宛の句稿という形をとる。渡英中に子規が亡くなり「筒袖や‥」「手向くべき‥」の句を読み、句作の格好の相手を失ってしまう。
帰朝後、作家としての地位を確立する内も句作は続くが熱中度は下がったように感じる。
それが修善寺の大患1910(明治43)年再び俳句に大きな比重が占められる。そして病中吟「ふと揺れる‥」以降「肩に来て‥」までは他にも心に残る句がたくさんある。
病は人を俳句に心を向けさせるのかもしれない。俳句の短さゆえもある。周囲の変化に敏感になる所為もある。私の場合もそうだった。うまい下手は別にして…。