Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

蚊帳の釣手

2011年11月22日 20時30分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連
昨日掲載した俳句から
・ふと揺れる蚊帳の釣手や今朝の秋(夏目漱石、1910(明治43)年)

 私はひょっとしたら蚊帳を経験した最後の世代かもしれない。あの緑色の網目と例えようがない黴とも違う独特の匂い、そして鴨居にかけるふしぎな形の今の言葉で言うとフック、すべてが懐かしい。そして中に入って見上げるとそのフックも見にくく緑色がかった襖の模様や欄間が思い出される。
 これは漱石が「門」出筆中に悪化した修善寺での胃潰瘍による吐血直前の句であるらしい。吐血後の最初の日記に記された「別るるや夢一筋の天の川」より前の句のようだ。しかし症状は出ていたのであろうと思われる。腹部の不快感が横溢した病臥の句と私は思っている。
 静かに病的な不快感と付き合いながら、蚊帳の上を静かに見上げている漱石が目に浮かぶ。病の予感のうちに、静かに見上げているからこそ、ふと揺れる、微かな動きに気持ちが反応するのである。気持ちが揺らいでいたり落ち着きがなければ、必ず見逃す動きをきちっと受け止めたのだと思う。
 私は蚊帳自体の動きではなく、釣手の動きに着目したことがこの俳句の勝れた点だと感じている。蚊帳の面の動きは微かな風の動きでも目につく。秋と認めた微かな動きが蚊帳の釣手に伝わった、そしてその動きは蚊帳の面よりももっと微かであろう。その視点に私は脱帽である。