本日は、出光美術館に「長谷川等伯と狩野派」展に赴いた。昨年の2月に上野の国立博物館で「長谷川等伯」展を見て以来の期待をもって。企画そのものは狩野派との対比を主としており、期待はもてた。
しかし一方で限られた展示スペースと絵画の物理的大きさを考えれば自ずと限界は想像できた。確かに等伯の絵画は、竹虎図屏風、竹鶴図屏風、松に鴉・柳に白鷺図屏風の3点だからもの足りない感は否めない。
構成は「狩野派全盛」「等伯の芸術」「長谷川派と狩野派-親近する表現」「やまと絵への傾倒」の4章に分かれていた。

今回印象に残ったのは、江戸時代の狩野重信の麦・芥子図屏風だ。展示は右双の麦図だけだったが、繰り返しの様式美・デザイン性だ。
今回は展示がなかったが、等伯の萩芒図屏風をふと思い出した。これよりも濃密に緑の色が画面に散らばっていて、趣・風情は断然等伯のほうに私は軍配を上げるのだが、それでもこのパターン化された絵に、等伯の影響を垣間見たような気がする。
しかし一方で限られた展示スペースと絵画の物理的大きさを考えれば自ずと限界は想像できた。確かに等伯の絵画は、竹虎図屏風、竹鶴図屏風、松に鴉・柳に白鷺図屏風の3点だからもの足りない感は否めない。
構成は「狩野派全盛」「等伯の芸術」「長谷川派と狩野派-親近する表現」「やまと絵への傾倒」の4章に分かれていた。

今回印象に残ったのは、江戸時代の狩野重信の麦・芥子図屏風だ。展示は右双の麦図だけだったが、繰り返しの様式美・デザイン性だ。
今回は展示がなかったが、等伯の萩芒図屏風をふと思い出した。これよりも濃密に緑の色が画面に散らばっていて、趣・風情は断然等伯のほうに私は軍配を上げるのだが、それでもこのパターン化された絵に、等伯の影響を垣間見たような気がする。