Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

菊の花

2011年11月10日 21時09分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昔前までは菊の花にはまったく興味がなかった。花を見ても何の感慨もわかなかった。菊=天皇家の紋との構図からそもそも身近なものにしたくない意識が働いていたと思う。このことが単純に「花」として菊を好むことから自らを遠ざけていたということになる。
 しかしある時、6~7年ほど前だったか、市営地下鉄のある駅の構内で菊花展をやっているのをそれとなく見て、そして眼を奪われた。黄色の「厚物」の三本仕立ての輝かしい色に目を見張った。菊の黄の色が、こんなにもあでやかで輝いているものとは知らなかった。
 その小さな菊花展をひと回り見て、白・黄・赤の色合いや、「管物」といわれるものがあることや、小さな菊の懸崖などが競われていることも初めて知った。そして見終わった後、高さ30cm.ほどの小さいけれど黄色の鮮やかな「厚物」を1200円也という安値で購入した。
 地下鉄の中にその鉢を持ち込んだところ、その鮮やかな黄色の発色に車内が明るくなったような感じがしたのを今でも覚えている。周りの乗客の目がその菊のまぶしさに吸い寄せられているのも意識した。何となくウキウキした気分になった。
 それ以来一年おきくらいに小さな鉢をその駅での菊花展で購入してきた。手入れをしないでも、肥料を与えないままでも翌々年位までは葉は小さいものの立派に花が咲く。色があせることはないようだ。きっと菊の栽培に凝りだしたらとことん凝ってしまいそうだが、すんでのところで放置している。私は花にとっては迷惑至極な所有者である。
 私は濃い黄の厚物、次いで白の厚物が好きだ。今我が家では黄色と白の厚物の鉢の成れの果ての花が、それでも大きく咲いている。鮮やかに照り輝く花を見るたびに、心が和む。これでもう少し手入れをするように花を愛でることのできる性格なら良いのだが‥。
 そしてあの天皇家の花弁一六枚の紋が実際の菊の姿とはまるで違う意匠であることにも気づいた。あれが菊というなら菊に失礼ではないだろうか。そんなことを毎年今頃感じている。