本日は仕事の帰り道、駅まで前方の空を見ながら歩いた。平年並みの気温になったとかで、頬にあたる風が冷たく感じる。空一面を雲が覆っていたが、満月の前の月の影が雲を通してほのかに見えた。月を眺めながら歩くこともなくなって久しい。月に照らされて歩くことは随分あるが、月を意識することは稀になったと思う。月が照っていても何かに追われるように歩いているのかもしれない。
私は冬の冷たい風が好きである。晩秋から初春にかけて頬を鋭く過ぎる冷たい風は実に心地よい。今晩は、久しぶりの冷たいと感じる風を感じながら月を眺めて歩いた。向かい側から歩いてくる人、駅を出てくる人からは空を見ながら歩く私の姿はちょっと変であったろう。でもそんなことは気にしない。
この駅は、商店街も小さく駅前は高層の団地群だ。だからそれほどは明るくないがそれでも月が無いときにも星は見にくい。これからはせめて月を探しながら駅までの短い距離を歩くことを心がけようと思った。
自宅の傍の駅についてからも空を見上げたら国道沿いに並ぶ照明灯の長い列の上に、やはり雲を通した月を見ることが出来た。幾つもの橙色の照明灯の上にほの黄色い雲をすかして見る月は、なんとも言えず孤独の陰を宿している。現代だから余計孤独なのだろうか。古代から孤独の影を宿していたのだろうか。
月とはふしぎなものである。その孤独故だと思うが、雲がなくて見ていても見飽きることがない。時々雲に隠れることがある月もいい。そして雲を通して時々光が薄くなったり濃くなったりする姿を見るのも見飽きることがない。ほとんど雲に隠れている月を探すのもまた楽しい。
暦と月の満ち欠けが一致していた頃、月は現代の我々よりずっとずっと身近であったはずだ。古代から月に関する文学は多い。風流で月を愛でていただけではなかろう。古代の人々も、宮廷の貴人たちも風流だけで月を見ていただけではない。この位の気候、気温ならば屋内とはいえ月を見ながらの夕食、会議、宴会も行われたろう。えげつない権謀術数をめぐらす謀議も月のもとで行われたに違いない。魑魅魍魎の跳梁する世界だ。そして月の満ち欠けで日限を区切ったり、日数を数えたかもしれない。
現代の人間にとって月を見ることは風流以外にはないようだ。余ほど心にゆとりがあるか、暇なときに限られそうだ。日常は月の満ち欠けの夜の世界から太陽暦という昼の世界に転換してしまったのだ。それだけ権謀術数はより暗い陰湿な、心に深い傷を与えるものになったともいえるかもしれない。魑魅魍魎などが跳梁するは世界はより暗黒の世界へと後退し、人の口に上らなくなったのだろう。
こんなことを考えながら帰宅した。
私は冬の冷たい風が好きである。晩秋から初春にかけて頬を鋭く過ぎる冷たい風は実に心地よい。今晩は、久しぶりの冷たいと感じる風を感じながら月を眺めて歩いた。向かい側から歩いてくる人、駅を出てくる人からは空を見ながら歩く私の姿はちょっと変であったろう。でもそんなことは気にしない。
この駅は、商店街も小さく駅前は高層の団地群だ。だからそれほどは明るくないがそれでも月が無いときにも星は見にくい。これからはせめて月を探しながら駅までの短い距離を歩くことを心がけようと思った。
自宅の傍の駅についてからも空を見上げたら国道沿いに並ぶ照明灯の長い列の上に、やはり雲を通した月を見ることが出来た。幾つもの橙色の照明灯の上にほの黄色い雲をすかして見る月は、なんとも言えず孤独の陰を宿している。現代だから余計孤独なのだろうか。古代から孤独の影を宿していたのだろうか。
月とはふしぎなものである。その孤独故だと思うが、雲がなくて見ていても見飽きることがない。時々雲に隠れることがある月もいい。そして雲を通して時々光が薄くなったり濃くなったりする姿を見るのも見飽きることがない。ほとんど雲に隠れている月を探すのもまた楽しい。
暦と月の満ち欠けが一致していた頃、月は現代の我々よりずっとずっと身近であったはずだ。古代から月に関する文学は多い。風流で月を愛でていただけではなかろう。古代の人々も、宮廷の貴人たちも風流だけで月を見ていただけではない。この位の気候、気温ならば屋内とはいえ月を見ながらの夕食、会議、宴会も行われたろう。えげつない権謀術数をめぐらす謀議も月のもとで行われたに違いない。魑魅魍魎の跳梁する世界だ。そして月の満ち欠けで日限を区切ったり、日数を数えたかもしれない。
現代の人間にとって月を見ることは風流以外にはないようだ。余ほど心にゆとりがあるか、暇なときに限られそうだ。日常は月の満ち欠けの夜の世界から太陽暦という昼の世界に転換してしまったのだ。それだけ権謀術数はより暗い陰湿な、心に深い傷を与えるものになったともいえるかもしれない。魑魅魍魎などが跳梁するは世界はより暗黒の世界へと後退し、人の口に上らなくなったのだろう。
こんなことを考えながら帰宅した。