Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

屠蘇について

2012年01月05日 21時47分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
昨日の記事についていろいろの指摘があったので、ウィキペディアで屠蘇を検索してみると、

「正月に屠蘇を呑む習慣は、中国では唐の時代に始まり、日本では平安時代からと言われている。宮中では、一献目に屠蘇、二献目に白散、三献目は度嶂散を一献ずつ呑むのが決まりであった。貴族は屠蘇か白散のいずれかを用いており、後の室町幕府は白散を、江戸幕府は屠蘇を用いていた。この儀礼はやがて庶民の間にも伝わるようになり、医者が薬代の返礼にと屠蘇散を配るようになった。現在でも、薬店が年末の景品に屠蘇散を配る習慣として残っている。
 基本的には関西以西の西日本に限られた風習であり、他の地方では、単に正月に飲む祝い酒(もちろん屠蘇散は入っていないただの日本酒)のことを「御屠蘇」と称している場合もかなり多い。関西では年末近くになると一部の薬局・薬店でティーバッグタイプの屠蘇散が近年は売られている。日本酒や味醂または両方を混ぜ合わせた液体をコップなどの容器に注ぎ、好みに合わせて糖分を加える。袋に入った屠蘇散を一晩程度浸けて出来上がりとなる(生薬が原料なので当然の如く独特の香りと味がする為、好みは人によって分かれる)。」

と記載されている。

 私の父親が日本酒につけていたのは、西日本の習俗の影響を受けていたことになる。ただし味醂につけたり、糖分を加えることはしていなかった。私の母親ももとは兵庫の出自らしいから私の父親の習俗をそのまま受け入ることが出来たものと思われる。
 しかし一概に西日本の風習といってしまっていいものか。地域差がいろいろあるだろうし、日本酒より焼酎が主流の九州ではどのようなものか、東北ではどうなのか、私なりにいろいろ疑問がわいてくる。いろいろな地域の屠蘇の風習についての論考があれば知りたいものである。
 雑煮の作り方や餅の形が地域により千差万別なようにいろいろな屠蘇のあり様が想像される。