本日は、まず初めに東京国立博物館へ「故宮博物院」展を見に出かけた。しかし建物に入るまでに90分、「清明上河図」は210分待ちとのことで、全部見るには5時間以上かかるとの案内があった。こんなことならば先々週の9日の入場には「待ち無し、「清明上河図」の待ち90分」の状態のときに見ておけばよかったと反省。やむなく入場を諦めて、西洋美術館のゴヤ展に予定を変更した。ここも昨年からの開催の割にはそれなりの人出であった。
小さな版画が今回の見ものであった。人間社会と人間に対するゴヤという芸術家の絶望・諦念と観察力を感じさせる作品が並んでいたと思われる。図録は予算の関係で断念。
次に三菱一号館美術館にて「岐阜県美術館所蔵ルドンとその周辺-夢見る世紀末」展におもむいた。ルドンは私はこれまで見る機会もなく縁遠かった。人間の顔をした蜘蛛の絵ぐらいしか印象になかった。初めてルドンという画家の絵をまとめて見る機会となった。モノトーンそれも黒を主体とした絵の時期から突如として明るい色彩が奔出する花や女性像の絵が出現する経過がわかる展示内容となっている。色彩の絵は少なかったが、この時期の絵は所蔵作品が少ないためと思った。しかし画家の生涯が見渡せる好企画と感じた。図録は2200円也で購入。
さらにそのあと渋谷のパルコに足をのばし、「青森県立美術館コレクション展 北の異才たち」を見た。この詳細は「時には本の話でも…」のブログに詳しいが、やはり小島一郎という写真家のモノクロの写真に大いに惹かれた。10点に満たない展示であり、機会があればその全容を見たいと切に思った。私の函館時代と重なる時期の写真だけになにか懐かしさとともに、農漁村の過酷な時代をきりりと切り取っているような印象を受けた。写真集は残念ながら目につかなかった。あるいは売る切れか。予算オーバーで、置いてあっても購入は出来なかったが、置いてあれば立ち読みくらいはしたかった。
青森県立美術館の設計者である青木淳という方は初めてだ。鈴木理策の写真では雪に埋もれた全景しかわからないものの、興味ある建築物であると感じた。こんど青森に行く機会ははたしていつであろうか。その時、この美術館を訪れることができるであろうか。
小さな版画が今回の見ものであった。人間社会と人間に対するゴヤという芸術家の絶望・諦念と観察力を感じさせる作品が並んでいたと思われる。図録は予算の関係で断念。
次に三菱一号館美術館にて「岐阜県美術館所蔵ルドンとその周辺-夢見る世紀末」展におもむいた。ルドンは私はこれまで見る機会もなく縁遠かった。人間の顔をした蜘蛛の絵ぐらいしか印象になかった。初めてルドンという画家の絵をまとめて見る機会となった。モノトーンそれも黒を主体とした絵の時期から突如として明るい色彩が奔出する花や女性像の絵が出現する経過がわかる展示内容となっている。色彩の絵は少なかったが、この時期の絵は所蔵作品が少ないためと思った。しかし画家の生涯が見渡せる好企画と感じた。図録は2200円也で購入。
さらにそのあと渋谷のパルコに足をのばし、「青森県立美術館コレクション展 北の異才たち」を見た。この詳細は「時には本の話でも…」のブログに詳しいが、やはり小島一郎という写真家のモノクロの写真に大いに惹かれた。10点に満たない展示であり、機会があればその全容を見たいと切に思った。私の函館時代と重なる時期の写真だけになにか懐かしさとともに、農漁村の過酷な時代をきりりと切り取っているような印象を受けた。写真集は残念ながら目につかなかった。あるいは売る切れか。予算オーバーで、置いてあっても購入は出来なかったが、置いてあれば立ち読みくらいはしたかった。
青森県立美術館の設計者である青木淳という方は初めてだ。鈴木理策の写真では雪に埋もれた全景しかわからないものの、興味ある建築物であると感じた。こんど青森に行く機会ははたしていつであろうか。その時、この美術館を訪れることができるであろうか。