画家の像 1941
立てる像 1942
「画家の像」「立てる像」「三人」「五人」は一体のものとして鑑賞され、論じられることが多いそうだ。今回の展示でもひとつの括りとして4つの作品が並べられている。
画家の像が描かれた1941年に発表された、陸軍省情報部の3人の軍人と御用批評家1人という画家が1人も出席していない座談会に、反論する形で書かれた「生きてゐる画家」が引き合いに出される。この「生きてゐる画家」という反論も今回のカタログに資料として掲載されている。
他の画家が無視ないし反応しないことをもって応じたの対し、松本竣介の反論は、「権力をもった文化破壊者として威喝しつつ立ちはだかる軍部=ファシズムに対して、人間と芸術家の名のもとに抗議している」(土方定一)という評価が下され、戦後も抵抗の画家といわれた。
しかし果たしてこれだけの評価でこの時期の、そしてその抵抗の画家の象徴的な絵である4点の人物像を評価していいものなのだろう。洲之内徹は「松本竣介は、ストイックな性情と一種の殉教者的熱情の持ち主であって、自らの理想に殉じて甘んじてタテマエ論者にもなり、そしてそういう自己の内部に相克を感じながらも、陶酔を感じることが出来たのだ」‥「松本竣介は『人間と芸術家の名の下に』立ち上がり、たちはがかっているのかもしれない。だが、その物々しい大仰なポーズの虚しさは、彼の自負と使命感と陶酔の虚しさなのではないだろうか。私は松本竣介が好きだ。しかしそういう松本竣介は、私は好きになれないのである。」としるした。この洲之内徹の見解は、「抵抗の画家」という松本竣介という画家をその枠にはめ込んでしまうこれまでの評価を覆すのに大きく貢献した。だが、その4点を、「大仰なポーズの虚しさ」としてばかり見ると、その後の松本竣介という画家の歩みが理解されなくなるのではないか、と思うことがある。
なぜこんなことを書くかというと、「抵抗の画家」とはいいつつ、戦争末期に向かって松本竣介はこれ以外の「抵抗の画家」らしい絵は描いていない。描いているのは、静謐でしかも暗い都市風景である。これ以降は立ちはだかる人物も描いていない。それどころか、「生きてゐる画家」をよく読むと洲之内徹の指摘するとおり「軍人の言う『世界的な価値』に補足、あるいは修正を行ってはいるが、『国策』そのものには抗議していないばかりか、協力を約束してさえいる」。その上「航空兵群(試作)」(1941年)という戦争画を出品している。また岩手県で戦意高揚の戦争が展で水彩画やポスターを出品している。これは「生きてゐる画家」という論文を発表するための方便としてのレトリックではなく、洲之内徹の指摘のとおり「国策」そのものは否定していない証左でもある。カタログの解説では、「戦争画という主題に芸術としての意味を見出そうと試みたが、出来栄えには納得がゆかず‥」ということのようだ。
かといって洲之内徹のいうとおり「大仰なポーズの虚しさ」として4点をひとからげに否定的に評価してしまうのも、私は極論だと思う。
確かに1941年以降画風は大きくかわり、その画期がこの4点の作者と思しき人物を大きく配した人物像だ。松本竣介の描く人物像は自画像を除いて具体的な個人の特定はほとんどできないのだが、この4点では妻の禎子夫人と本人が登場する。子供は構図にあわせて「構想された」人物像だ。しかし4点は少しずつニュアンスの違いがある。
まず「画家の像」では都市の遠景を背景に立つ画家本人は確かに何者かの圧力に抗するように毅然として立っている。半分後ろ向きの禎子夫人と思しき女性像は、画家の後ろでおびえるような視線を背後に向けている。子供の表情ははっきりしないが、この事態に母親にすがりつつあるようでもある。家族を守るために立ち尽くすとでもいうようなきりっとした画家の表情に、確かにこの時代の圧力に抗しながら、画家として自立していこうとする気概を感ずる絵である。背景の都市の絵は、たとえばダヴィンチのモナリザの背景の絵のように、世界を象徴するものとして画家の寄って立つべき世界を暗示している。これには東京や横浜の建物や都会の風景を集めている。
これに対して「立てる像」では一転して単身像である。そして毅然とした立ち姿というよりも、何か不安を持ったような空ろな視線を感じるのは私だけだろうか。画家が自分の進む絵の方向に対する自信と不安を同時に表現したような表情でもある。孤独感が滲み出ている。そして背景が、高田馬場にあったというゴミ捨て場・清掃事務所と変電所といわれ具体的な場所である。野良犬と2人の小さな人物が描かれている。背景の景観は都市一般ではなく、画家が好んで描いたどこかさびしいスポットの当たらない平凡な、もっといえば都市の底辺に近い一角である。そういうところに愛着を持ち、そこに都市の現在を見、そして「画家の像」よりも都市の中にさらに一歩踏み込んだそこを自分の寄って立つ根拠にしていると宣言しているようである。この背景の元になった「風景」(1942年)にははっきりと1匹の犬と1人の哀歓のただようような人物が書き込まれている。松本竣介の描く都会風景にはこのようにさびしげな孤独な人影が必ずといっていいほど書き込まれている。
三人 1943
五人 1943
「三人」は人生の三段階を描いたとされている。背景は曖昧として樹木一本以外は判然としない。しかし正面を見つめている少年の眼差しは毅然としたものを感ずる。三人とも裸足で地面にどっしりと立っている。
「五人」は夫人と思われる女性以外は構想された子供3人と画家本人が描かれている。背景は「画家の像」ほどははっきりしないがそれでも煙突と煙も見え、都市の遠景であることがわかる。これも人物は全員裸足で地面についている。画家の姿でこの絵だけは両手をポケットに突っ込んでいる。傲然ともいえる「画家の像」、少し不安げな「立てる像」はともに両手先は軽く握っている。私は、すこし気を緩めたポーズらしく感じている。一方で婦人と思われる女性像は何かしら諦念というか、諦めというか、放棄された意志すら感ずる。これはよくわからない。
この「三人」と「五人」は同時に製作されたらしいが、厳しい時代への拮抗や不安といったメッセージではなく、生活者としての自立の現在を描いていると感じる。裸足がその暗喩ではなかろうか。この戦争という厳しい時期、生活の厳しさもあるがそれを正面から引き受けつつ、都市風景の絵が作成されていく。
この4点の絵、確かに「生きてゐる画家」を発表して、時代の流れに大きく異議を唱えたあとの画家の心象風景を暗示していると思う。そういった意味では画家の抵抗が読み取れる。しかしすべてが大仰な上滑りしているわけではない。4点それぞれに読み取れる心象風景は違いがある。「画家の像」からは不安とない交ぜになってはいるが昂然とした気概が読み取れる。洲之内徹のいうように自負と使命感と陶酔を読み取ることもできる。しかしこの自負や使命感は具体性が乏しい。「立てる像」は一転して、不安が前面に立っていないか。背景の風景が示しているように都市の状況は暗く、背景に描かれる人は寡黙に正面に対し背を向けている。都市はその活力を失ったかのように静謐で寡黙をしいられているのだ。「三人」「五人」では、本人と家族の現在が表現されているらしいが、外界からの圧倒的な力への意志というよりも、内的な必然にかられて描かれたような気がする。繰り返しになるが、戦争というものへの怒りや抵抗というものを読み取ることはできないような気がするがどうであろうか。それとも私の感じ方に欠陥があるのだろうか。
戦争が画家にどのような影を投げかけていったのか、私にはよくわからない点もあるが、次回以降少しずつ言及してみたい。
立てる像 1942
「画家の像」「立てる像」「三人」「五人」は一体のものとして鑑賞され、論じられることが多いそうだ。今回の展示でもひとつの括りとして4つの作品が並べられている。
画家の像が描かれた1941年に発表された、陸軍省情報部の3人の軍人と御用批評家1人という画家が1人も出席していない座談会に、反論する形で書かれた「生きてゐる画家」が引き合いに出される。この「生きてゐる画家」という反論も今回のカタログに資料として掲載されている。
他の画家が無視ないし反応しないことをもって応じたの対し、松本竣介の反論は、「権力をもった文化破壊者として威喝しつつ立ちはだかる軍部=ファシズムに対して、人間と芸術家の名のもとに抗議している」(土方定一)という評価が下され、戦後も抵抗の画家といわれた。
しかし果たしてこれだけの評価でこの時期の、そしてその抵抗の画家の象徴的な絵である4点の人物像を評価していいものなのだろう。洲之内徹は「松本竣介は、ストイックな性情と一種の殉教者的熱情の持ち主であって、自らの理想に殉じて甘んじてタテマエ論者にもなり、そしてそういう自己の内部に相克を感じながらも、陶酔を感じることが出来たのだ」‥「松本竣介は『人間と芸術家の名の下に』立ち上がり、たちはがかっているのかもしれない。だが、その物々しい大仰なポーズの虚しさは、彼の自負と使命感と陶酔の虚しさなのではないだろうか。私は松本竣介が好きだ。しかしそういう松本竣介は、私は好きになれないのである。」としるした。この洲之内徹の見解は、「抵抗の画家」という松本竣介という画家をその枠にはめ込んでしまうこれまでの評価を覆すのに大きく貢献した。だが、その4点を、「大仰なポーズの虚しさ」としてばかり見ると、その後の松本竣介という画家の歩みが理解されなくなるのではないか、と思うことがある。
なぜこんなことを書くかというと、「抵抗の画家」とはいいつつ、戦争末期に向かって松本竣介はこれ以外の「抵抗の画家」らしい絵は描いていない。描いているのは、静謐でしかも暗い都市風景である。これ以降は立ちはだかる人物も描いていない。それどころか、「生きてゐる画家」をよく読むと洲之内徹の指摘するとおり「軍人の言う『世界的な価値』に補足、あるいは修正を行ってはいるが、『国策』そのものには抗議していないばかりか、協力を約束してさえいる」。その上「航空兵群(試作)」(1941年)という戦争画を出品している。また岩手県で戦意高揚の戦争が展で水彩画やポスターを出品している。これは「生きてゐる画家」という論文を発表するための方便としてのレトリックではなく、洲之内徹の指摘のとおり「国策」そのものは否定していない証左でもある。カタログの解説では、「戦争画という主題に芸術としての意味を見出そうと試みたが、出来栄えには納得がゆかず‥」ということのようだ。
かといって洲之内徹のいうとおり「大仰なポーズの虚しさ」として4点をひとからげに否定的に評価してしまうのも、私は極論だと思う。
確かに1941年以降画風は大きくかわり、その画期がこの4点の作者と思しき人物を大きく配した人物像だ。松本竣介の描く人物像は自画像を除いて具体的な個人の特定はほとんどできないのだが、この4点では妻の禎子夫人と本人が登場する。子供は構図にあわせて「構想された」人物像だ。しかし4点は少しずつニュアンスの違いがある。
まず「画家の像」では都市の遠景を背景に立つ画家本人は確かに何者かの圧力に抗するように毅然として立っている。半分後ろ向きの禎子夫人と思しき女性像は、画家の後ろでおびえるような視線を背後に向けている。子供の表情ははっきりしないが、この事態に母親にすがりつつあるようでもある。家族を守るために立ち尽くすとでもいうようなきりっとした画家の表情に、確かにこの時代の圧力に抗しながら、画家として自立していこうとする気概を感ずる絵である。背景の都市の絵は、たとえばダヴィンチのモナリザの背景の絵のように、世界を象徴するものとして画家の寄って立つべき世界を暗示している。これには東京や横浜の建物や都会の風景を集めている。
これに対して「立てる像」では一転して単身像である。そして毅然とした立ち姿というよりも、何か不安を持ったような空ろな視線を感じるのは私だけだろうか。画家が自分の進む絵の方向に対する自信と不安を同時に表現したような表情でもある。孤独感が滲み出ている。そして背景が、高田馬場にあったというゴミ捨て場・清掃事務所と変電所といわれ具体的な場所である。野良犬と2人の小さな人物が描かれている。背景の景観は都市一般ではなく、画家が好んで描いたどこかさびしいスポットの当たらない平凡な、もっといえば都市の底辺に近い一角である。そういうところに愛着を持ち、そこに都市の現在を見、そして「画家の像」よりも都市の中にさらに一歩踏み込んだそこを自分の寄って立つ根拠にしていると宣言しているようである。この背景の元になった「風景」(1942年)にははっきりと1匹の犬と1人の哀歓のただようような人物が書き込まれている。松本竣介の描く都会風景にはこのようにさびしげな孤独な人影が必ずといっていいほど書き込まれている。
三人 1943
五人 1943
「三人」は人生の三段階を描いたとされている。背景は曖昧として樹木一本以外は判然としない。しかし正面を見つめている少年の眼差しは毅然としたものを感ずる。三人とも裸足で地面にどっしりと立っている。
「五人」は夫人と思われる女性以外は構想された子供3人と画家本人が描かれている。背景は「画家の像」ほどははっきりしないがそれでも煙突と煙も見え、都市の遠景であることがわかる。これも人物は全員裸足で地面についている。画家の姿でこの絵だけは両手をポケットに突っ込んでいる。傲然ともいえる「画家の像」、少し不安げな「立てる像」はともに両手先は軽く握っている。私は、すこし気を緩めたポーズらしく感じている。一方で婦人と思われる女性像は何かしら諦念というか、諦めというか、放棄された意志すら感ずる。これはよくわからない。
この「三人」と「五人」は同時に製作されたらしいが、厳しい時代への拮抗や不安といったメッセージではなく、生活者としての自立の現在を描いていると感じる。裸足がその暗喩ではなかろうか。この戦争という厳しい時期、生活の厳しさもあるがそれを正面から引き受けつつ、都市風景の絵が作成されていく。
この4点の絵、確かに「生きてゐる画家」を発表して、時代の流れに大きく異議を唱えたあとの画家の心象風景を暗示していると思う。そういった意味では画家の抵抗が読み取れる。しかしすべてが大仰な上滑りしているわけではない。4点それぞれに読み取れる心象風景は違いがある。「画家の像」からは不安とない交ぜになってはいるが昂然とした気概が読み取れる。洲之内徹のいうように自負と使命感と陶酔を読み取ることもできる。しかしこの自負や使命感は具体性が乏しい。「立てる像」は一転して、不安が前面に立っていないか。背景の風景が示しているように都市の状況は暗く、背景に描かれる人は寡黙に正面に対し背を向けている。都市はその活力を失ったかのように静謐で寡黙をしいられているのだ。「三人」「五人」では、本人と家族の現在が表現されているらしいが、外界からの圧倒的な力への意志というよりも、内的な必然にかられて描かれたような気がする。繰り返しになるが、戦争というものへの怒りや抵抗というものを読み取ることはできないような気がするがどうであろうか。それとも私の感じ方に欠陥があるのだろうか。
戦争が画家にどのような影を投げかけていったのか、私にはよくわからない点もあるが、次回以降少しずつ言及してみたい。