Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

オリンピック報道あるいはスポーツ観戦

2012年08月03日 13時39分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 世の中はオリンピック一色、夜遅くから明け方までテレビの音が窓からこぼれて団地の中に響いていて、迷惑そのものだ。日中のテレビ番組もオリンピックの放送ばかりである。まぁテレビの番組は取り立てて見るものもないので特に迷惑ではないが、あまりに芸のない、工夫のないオリンピック報道ばかりのような気がする。選手のコメントの画面で、「コメンテーター」のつまらない見解ばかりが放送され、肝腎の選手の声が放映されなかったり、などお粗末なものが目に付く。
 さて私は「日の丸」も「君が代」も、とても違和感がありそれを見聞きするのはとても嫌だ。そしてスポーツをするのに「国の威信をかけて」「日の丸のために」云々という声が聞こえると、もうだめだ。
 私は「スポーツはあくまでも個人・チームのプライドをかけて行うもの」という感情から抜け出ることができない。スポーツ選手にしてみれば、どのような大会であろうが、あくまでも個人の資格・実力で参加している気持ちなのかもしれないが、オリンピック代表ということになった段階で、国の派遣費用ということになり、個人資格から国家の代表という顔を持たされることになる。オリンピック以外に大きな世界大会がないスポーツの選手にとってはオリンピックは極めて大きな晴れの舞台であり、そこに人生を賭けていることについては理解はできるが、やはり私には極めて大きな違和感がある。
 「君が代」「日の丸」に対する違和感と、「国のため」に対する違和感、この二重の違和感が、私をオリンピック報道から遠ざける。オリンピックそのものから私がはじき出される。
 私は小さい頃から「体育」というか身体を動かすことについて、劣等感のかたまりであった。小学校はいる前からだから家庭での育てられ方自体に問題があったのであろうことは容易に了解できる。身体を動かすことに面白さを感じたのは、就職してまもなくの頃、大学時代の友人に連れられて山に行ったこと、子供が生まれて間もない頃一念発起して減量に取り組もうとジョギングを始めたこと、からである。以来年に2回くらいだが登山と走ること、歩くことが趣味となった。
 山は中学・高校のとき夏休みに学校の行事として奥秩父と磐梯山にのぼってから興味はあった。だから大学の友人に連れられて登った時はとてもなつかしい気持ちがして、それ以来病みつきになったといっていい。
 私のこの乏しいスポーツの体験はあくまでも私的な範疇である。どう考えても私的な爽快感への親和以外ではあり得ない。「オリンピックに出たい」「有名になりたい」「日本を代表する選手になりたい」という意識とはとても隔たりが大きく、溝が深い。
 この隔たり感は、もともとスポーツに対する考え方が違っているのだから声高に言ってもしょうがないといわれればそのとおりなので、特に人に強制するつもりはない。ただオリンピック報道の異常な過熱ぶりを見ているとちょっと一言言ってみたくなるのである。

 さて本日は夕方から、プロ野球のベイスターズ対ジャイアンツ戦を横浜スタジアムで観戦する。
 不器用な私は球技全般がまるでだめだ。子供の頃は三角ベースや、時々ソフトボールに参加したことはあるが、学校教育で野球を行ったことは皆無だ。軟式野球の職場別対抗試合に狩り出されて練習に参加させられたが、守備がまるで理解できなかった。フライの捕球も先輩から教わったが、センスが悪いのはわかっているが、教える人によって違うことを言われている内にますます嫌になってきた。数をそろえるために狩り出されていたがそのうち断るようになった。
 だから野球を見ていても選手一人一人の守備での動きを見ていてもよくわからない。はっきりいってビアガーデンをスタジアムに移して、屋外でビールを飲む快感にひたるためでしかない、あるいは労働組合の行事として組合員が楽しく時を過ごすための機会として場を提供しているということでしかスタジアムにまで行こうと意識はわかない。今回も私の属していた支部のナイター観戦企画のお手伝いを頼まれたということでしかない。
 しかしあの広い球場で団扇を使いながら飲むビールの爽快感は、野球の試合が理解できるかどうかはまったく別にして、確かに得がたいものである。
 ついでに申せば妻はベイスターズファンである。私よりも野球に疎いが、それでもベイスターズが勝利した日はご機嫌が良い。妻は今晩の観戦を楽しみにしている。私もその楽しみに便乗させてもらう。確かにスポーツの楽しみには、観戦の楽しみがついてまわる。

 私のオリンピックへの違和感など、歯牙にもかけないスポーツ観戦ファンのオリンピックというものを観戦する楽しみというものがあるということはそれなりに理解できる。
 各種競技での選手の妙技ぎ感嘆すること自体にはあえて違和感はないし意義を申したるつもりもない。できればオリンピック報道は「国」あるいは「日本」に着目した報道ではなく、「妙技」「技」に着目した報道をしてくれれば私もテレビを見る機会が増えるかもしれない。

 スポーツというといつもこんな考えが頭の中を駆け回る。


 登山は、この歳にしてはワイルドであっても、私のあくまでも私的な趣味の世界のひとつである。だから俳句のひとつでも作ってみたくなる。

今回の山行での俳句(その2)
★大滝をにらんで蹲踞青蛙
★断崖の岩独り占め赤蜻蛉
★空の青抜けては帰還夏燕
★雷鳥や雲に接して飛騨の山