危うく遭難者情報に?
当初の予定より1日早い26日早朝に家を出て、2泊3日の予定で奥穂高岳に向かった。
26日(日) 歩程 2時間 17000歩
上高地-岳沢小屋(泊)
27日(月) 歩程 9時間30分 27600歩
岳沢小屋-重太郎新道-前穂高岳-奥穂高岳-涸沢岳-涸沢小屋
28日(火) 歩程 5時間10分 31500歩
涸沢小屋-横尾-徳沢-明神-上高地温泉
今回の山行の当初の計画は、2日目に、奥穂高岳から北穂高岳まで足を伸ばして、北穂高小屋に泊まり、翌朝涸沢小屋経由で上高地に下りる予定であった。
第1日目、上高地は日曜日ということもあり訪れる観光客でいっぱい。その人の間をすり抜けるようにして、登山道に取り付いた。登山道の取り付き点に表示があり、「小屋に事前に連絡を」とのことであった。日曜日なので泊まる人はいっぱいはいないだろうと思っていたが、とりあえず電話をしてみてびっくり。宿泊予定で満杯なため、談話室に寝袋でなら泊まれるとのこと。泊まらないわけにはいかないし、談話室でも十分なので予約。登山道そのものは良く整備されており、岳沢小屋まではいたって快調に14時35分に到達。途中子連れのニホンザルの群れが登山道のすぐ脇でくつろいでいた。人を恐れるでもなく、人にものをねだるでもなく、ごく自然にすれ違うような感じであった。この岳沢小屋は確かに小さい小屋で12名の部屋が5室で定員60人とのこと。談話室でくつろいでいたらもう1人が奥穂高岳から下山してきて、「疲れたのであと2時間の下りがつらい」と宿泊を希望したら「談話室で我慢なら」といわれて入ってきた。
岳沢小屋
しかし結局3名ほどのキャンセルがあり、布団付きの部屋に2人とも入ることになった。内心では、12名の中でひどい鼾を聞かされるよりは同じ部屋の広さに2名の方が寝袋であっても静かにゆったり出来ると思ったが、わがままも言ってられないので喜んで従うことにした。
しかし、この想定外の混雑の原因が、20数名のツアーの予約客と聞いて私はびっくり。山の登り方は人それぞれだが、20数名のツアー客それも高年齢の喧しいグループと小さな小屋で遭遇するとは何とも不安というか、不吉な予感がした。翌日の朝食はお弁当に変えてもらった。
2日目、重太郎新道も前穂高岳までは、コースタイムより早く2時間40分で到着。天候も快晴で、20数名のツアー客をさっさと追い抜き、行列を作るようなこともなく、いたって快調な山行になったとほくそえんでいた。小屋で危険なので注意といわれた紀美子平直前のハシゴも特に気にかけることなく通過した。が前穂高岳の下り、紀美子平の直前でひどい目にあった。
前穂高岳頂上
紀美子平では人が多数集まり、荷物を置いて前穂高岳を往復していた。快調に前穂高岳を下りあり5分くらいで紀美子平にもどる場所で、降りる途中のぼってくる人に道を譲ろうとして、畳半分くらいの大きな平らな岩に飛び乗った瞬間、その岩が浮石であったため、転倒。転んだ瞬間その岩が頭のすぐ傍に迫ってきたのまでは気がついた。無意識にそれをよけるように右側に身をよじったので岩は私にぶつかることなく下に落ちていった。私の頭を直撃するように落ちてきたあの岩にぶつかったり、下敷きになったらと思うと今でもぞっとする。
左の臀部に強い衝撃と痛みを感じて立ち上がったものの、あまりの痛みにそのまましゃがみこんだ。数人が私のところへ飛んできて、声をかけてくれたが、思うように返事が出来ない。「あの岩をよくよけたね」とか、「骨折はどうか」とかいろいろ心配そうに声をかけてくれた。ふと足をみたら両膝下から血が出ている。長い傷で20センチくらい。右の上腕部にも痛みがあり、袖をめくるとやはり10センチくらいの傷から血がでている。しかし見たところ血は盛り上がる程度で流れ出ているのではないので、広範囲でも浅い擦過傷と判断できた。
誰かが膝の屈伸をしてみたら、といってくれたが、左臀部の痛みがひどく座ったまま身体を動かすことができない。何とか首をひねって振り返ってみると5メートルほど落ちたように見えた。4~5分だったと思うがようやく立ち上がり、ゆっくりと歩いてみたら何とか歩ける。見ていてくれた人にお礼をいいながら、5分ほどで紀美子平にもどり、リュックを背もたれにして休憩をとった。
15分で痛みもとりあえず我慢できるようになったので、「戻るか、奥穂高を越えて穂高岳山荘まで行くか」。一思案して、奥穂高岳に向かうことに決めた。紀美子平から奥穂高岳まではコースタイムで1時間50分のところを1時間45分でついてので、多少の痛みがあるもののこの分では北穂高岳まで行けそうだと、その時点では考えた。頂上で昼食に岳沢小屋で作ってもらったお弁当を食べたが、このお弁当のご飯がまったく硬くて喉を通らない。岳沢小屋の夕食時に渡されたが、夕食のご飯は普通においしく炊けていた。夕食の釜と違う釜で炊いたものだったのか。おかずはおいしかったもののこれは残念ながらご飯は半分以上残さざるをえなかった。
奥穂高岳頂上
昼食後、腰を上げたが左臀部の痛みがひどくなってきた。そしてかばうように歩き始めたものの奥穂高岳から穂高岳山荘までの下りのコースタイムが30分のところ45分もかかった。穂高岳山荘でさらに30分の休憩をとり、涸沢岳に荷を背負って登ってみたが15分もかかり、左臀部の痛みのために左足が思うように前に出ないし、踏ん張れない。また左手首にも痛みが出てきて、岩に手をかけるとある程度以上の力を加えると急に力が抜けてしまう。涸沢岳で30分近く様子を見たが痛みがひかない。これは様子を見ないといけないと考え、穂高岳山荘に戻り、10分ほど休憩したが痛みはひかない。
奥穂高岳と穂高岳小屋
ここで考えたのが、「穂高岳山荘にとりあえず泊まり、明日の状態を見て判断する。次の選択は、明日の朝に筋肉のこわばりが更にひどくなっていたらここから涸沢小屋まで下ることが出来なくなるかもしれないので今日中に涸沢まで下ってしまう」という二者択一に思えた。
当初の目的の奥穂高岳は登頂したので、これ以上無理をしてもしょうがないとの思いもあり、本日中に涸沢小屋に下る選択をした。ギックリ腰の再発も心配になった。ゆっくりと涸沢ザイテングラートと標識に名がついている道を涸沢小屋に向かい、ちょうど1時間30分で無事涸沢小屋に着いた。途中のクサリ場ではやはり左臀部の痛みにともない左足の踏ん張りに多少支障があり、左手を岩にかけることは避けた。
涸沢小屋から前穂高岳
涸沢小屋は涸沢ヒュッテとともに涸沢フェスティバルの最中でツアー客も多く、混雑していた。テラスで一息ついていると下からまた20数名のツアー客らしい一団がのぼってきた。そしてテラスでガイドと付き添いが大声で客に注意事項を伝達しはじめた。傍にいた単独行らしき70歳近い男性が、「山に20数名ものツアーで来るのはうるさいし迷惑だ。犯罪行為に近い。追い抜くのも面倒。」とぶつぶついっていた。思わず私も内心では賛成してしまった。岳沢小屋であったツアー客も20人であった。20人というのが1人のガイドを雇い採算がされる基準なのだろうか。
夕食後、この小屋で消毒薬をもらい血がこびるついている箇所に申し訳程度に塗った。20センチの傷が1箇所、10センチの傷が3箇所、5センチ程度の傷も5箇所ほど、丸い3センチほどの傷が3箇所。さらに左臀部には湿布を貼って寝たが、お尻の痛みでまず、寝る体制になるのがつらい、寝返りが打てないでつらい一晩であった。そして左のお尻の中にどうもタンコブのように硬くなった部位があるようだった。
翌朝は心配した他の箇所の筋肉の強張りに発展することはなく、左手首の痛みは幸いにも無くなっていた。
本谷橋から北穂高岳
ここまでおりたのだからと、あとはひたすら横尾、徳沢、明神を経て上高地温泉にたどり着いた。途中の道は平坦で普通なら樹相や周りの景色を愉しみながら下るのであるが、今回はそのゆとりもなく、ひたすらお尻の痛みに耐えながら、それでもコースタイムより早く上高地につけたのは、幸いであった。上高地温泉では、擦過傷に温泉が沁みて悲鳴を上げながらも湯船に浸かった。2軒の旅館・ホテルのうち片方が日帰り入浴2100円、もう片方が800円、当然安い方に入ったがこちらも露天風呂もあり十分楽しめた。ただし12時半からのため1時間半ほど昼食をとりながら時間をつぶした。
今回の山行、はじめから雷鳥にもオコジョにもあわず、高山植物を愛でることも、鳥の声や口中の姿に目を奪われることもなく、ひたすら傷の痛みに耐えながらのさんこうであった。涸沢小屋から上高地までの平坦な道は、普通ならば陽射しを木々がさえぎって気持ちの良い歩行が出来たと思う。ジョギングでのぼってくる人ともすれ違った。横尾や徳沢あたりで数日避暑を兼ねて滞在するのも悪くないと思った。
当初の予定より1日早い26日早朝に家を出て、2泊3日の予定で奥穂高岳に向かった。
26日(日) 歩程 2時間 17000歩
上高地-岳沢小屋(泊)
27日(月) 歩程 9時間30分 27600歩
岳沢小屋-重太郎新道-前穂高岳-奥穂高岳-涸沢岳-涸沢小屋
28日(火) 歩程 5時間10分 31500歩
涸沢小屋-横尾-徳沢-明神-上高地温泉
今回の山行の当初の計画は、2日目に、奥穂高岳から北穂高岳まで足を伸ばして、北穂高小屋に泊まり、翌朝涸沢小屋経由で上高地に下りる予定であった。
第1日目、上高地は日曜日ということもあり訪れる観光客でいっぱい。その人の間をすり抜けるようにして、登山道に取り付いた。登山道の取り付き点に表示があり、「小屋に事前に連絡を」とのことであった。日曜日なので泊まる人はいっぱいはいないだろうと思っていたが、とりあえず電話をしてみてびっくり。宿泊予定で満杯なため、談話室に寝袋でなら泊まれるとのこと。泊まらないわけにはいかないし、談話室でも十分なので予約。登山道そのものは良く整備されており、岳沢小屋まではいたって快調に14時35分に到達。途中子連れのニホンザルの群れが登山道のすぐ脇でくつろいでいた。人を恐れるでもなく、人にものをねだるでもなく、ごく自然にすれ違うような感じであった。この岳沢小屋は確かに小さい小屋で12名の部屋が5室で定員60人とのこと。談話室でくつろいでいたらもう1人が奥穂高岳から下山してきて、「疲れたのであと2時間の下りがつらい」と宿泊を希望したら「談話室で我慢なら」といわれて入ってきた。
岳沢小屋
しかし結局3名ほどのキャンセルがあり、布団付きの部屋に2人とも入ることになった。内心では、12名の中でひどい鼾を聞かされるよりは同じ部屋の広さに2名の方が寝袋であっても静かにゆったり出来ると思ったが、わがままも言ってられないので喜んで従うことにした。
しかし、この想定外の混雑の原因が、20数名のツアーの予約客と聞いて私はびっくり。山の登り方は人それぞれだが、20数名のツアー客それも高年齢の喧しいグループと小さな小屋で遭遇するとは何とも不安というか、不吉な予感がした。翌日の朝食はお弁当に変えてもらった。
2日目、重太郎新道も前穂高岳までは、コースタイムより早く2時間40分で到着。天候も快晴で、20数名のツアー客をさっさと追い抜き、行列を作るようなこともなく、いたって快調な山行になったとほくそえんでいた。小屋で危険なので注意といわれた紀美子平直前のハシゴも特に気にかけることなく通過した。が前穂高岳の下り、紀美子平の直前でひどい目にあった。
前穂高岳頂上
紀美子平では人が多数集まり、荷物を置いて前穂高岳を往復していた。快調に前穂高岳を下りあり5分くらいで紀美子平にもどる場所で、降りる途中のぼってくる人に道を譲ろうとして、畳半分くらいの大きな平らな岩に飛び乗った瞬間、その岩が浮石であったため、転倒。転んだ瞬間その岩が頭のすぐ傍に迫ってきたのまでは気がついた。無意識にそれをよけるように右側に身をよじったので岩は私にぶつかることなく下に落ちていった。私の頭を直撃するように落ちてきたあの岩にぶつかったり、下敷きになったらと思うと今でもぞっとする。
左の臀部に強い衝撃と痛みを感じて立ち上がったものの、あまりの痛みにそのまましゃがみこんだ。数人が私のところへ飛んできて、声をかけてくれたが、思うように返事が出来ない。「あの岩をよくよけたね」とか、「骨折はどうか」とかいろいろ心配そうに声をかけてくれた。ふと足をみたら両膝下から血が出ている。長い傷で20センチくらい。右の上腕部にも痛みがあり、袖をめくるとやはり10センチくらいの傷から血がでている。しかし見たところ血は盛り上がる程度で流れ出ているのではないので、広範囲でも浅い擦過傷と判断できた。
誰かが膝の屈伸をしてみたら、といってくれたが、左臀部の痛みがひどく座ったまま身体を動かすことができない。何とか首をひねって振り返ってみると5メートルほど落ちたように見えた。4~5分だったと思うがようやく立ち上がり、ゆっくりと歩いてみたら何とか歩ける。見ていてくれた人にお礼をいいながら、5分ほどで紀美子平にもどり、リュックを背もたれにして休憩をとった。
15分で痛みもとりあえず我慢できるようになったので、「戻るか、奥穂高を越えて穂高岳山荘まで行くか」。一思案して、奥穂高岳に向かうことに決めた。紀美子平から奥穂高岳まではコースタイムで1時間50分のところを1時間45分でついてので、多少の痛みがあるもののこの分では北穂高岳まで行けそうだと、その時点では考えた。頂上で昼食に岳沢小屋で作ってもらったお弁当を食べたが、このお弁当のご飯がまったく硬くて喉を通らない。岳沢小屋の夕食時に渡されたが、夕食のご飯は普通においしく炊けていた。夕食の釜と違う釜で炊いたものだったのか。おかずはおいしかったもののこれは残念ながらご飯は半分以上残さざるをえなかった。
奥穂高岳頂上
昼食後、腰を上げたが左臀部の痛みがひどくなってきた。そしてかばうように歩き始めたものの奥穂高岳から穂高岳山荘までの下りのコースタイムが30分のところ45分もかかった。穂高岳山荘でさらに30分の休憩をとり、涸沢岳に荷を背負って登ってみたが15分もかかり、左臀部の痛みのために左足が思うように前に出ないし、踏ん張れない。また左手首にも痛みが出てきて、岩に手をかけるとある程度以上の力を加えると急に力が抜けてしまう。涸沢岳で30分近く様子を見たが痛みがひかない。これは様子を見ないといけないと考え、穂高岳山荘に戻り、10分ほど休憩したが痛みはひかない。
奥穂高岳と穂高岳小屋
ここで考えたのが、「穂高岳山荘にとりあえず泊まり、明日の状態を見て判断する。次の選択は、明日の朝に筋肉のこわばりが更にひどくなっていたらここから涸沢小屋まで下ることが出来なくなるかもしれないので今日中に涸沢まで下ってしまう」という二者択一に思えた。
当初の目的の奥穂高岳は登頂したので、これ以上無理をしてもしょうがないとの思いもあり、本日中に涸沢小屋に下る選択をした。ギックリ腰の再発も心配になった。ゆっくりと涸沢ザイテングラートと標識に名がついている道を涸沢小屋に向かい、ちょうど1時間30分で無事涸沢小屋に着いた。途中のクサリ場ではやはり左臀部の痛みにともない左足の踏ん張りに多少支障があり、左手を岩にかけることは避けた。
涸沢小屋から前穂高岳
涸沢小屋は涸沢ヒュッテとともに涸沢フェスティバルの最中でツアー客も多く、混雑していた。テラスで一息ついていると下からまた20数名のツアー客らしい一団がのぼってきた。そしてテラスでガイドと付き添いが大声で客に注意事項を伝達しはじめた。傍にいた単独行らしき70歳近い男性が、「山に20数名ものツアーで来るのはうるさいし迷惑だ。犯罪行為に近い。追い抜くのも面倒。」とぶつぶついっていた。思わず私も内心では賛成してしまった。岳沢小屋であったツアー客も20人であった。20人というのが1人のガイドを雇い採算がされる基準なのだろうか。
夕食後、この小屋で消毒薬をもらい血がこびるついている箇所に申し訳程度に塗った。20センチの傷が1箇所、10センチの傷が3箇所、5センチ程度の傷も5箇所ほど、丸い3センチほどの傷が3箇所。さらに左臀部には湿布を貼って寝たが、お尻の痛みでまず、寝る体制になるのがつらい、寝返りが打てないでつらい一晩であった。そして左のお尻の中にどうもタンコブのように硬くなった部位があるようだった。
翌朝は心配した他の箇所の筋肉の強張りに発展することはなく、左手首の痛みは幸いにも無くなっていた。
本谷橋から北穂高岳
ここまでおりたのだからと、あとはひたすら横尾、徳沢、明神を経て上高地温泉にたどり着いた。途中の道は平坦で普通なら樹相や周りの景色を愉しみながら下るのであるが、今回はそのゆとりもなく、ひたすらお尻の痛みに耐えながら、それでもコースタイムより早く上高地につけたのは、幸いであった。上高地温泉では、擦過傷に温泉が沁みて悲鳴を上げながらも湯船に浸かった。2軒の旅館・ホテルのうち片方が日帰り入浴2100円、もう片方が800円、当然安い方に入ったがこちらも露天風呂もあり十分楽しめた。ただし12時半からのため1時間半ほど昼食をとりながら時間をつぶした。
今回の山行、はじめから雷鳥にもオコジョにもあわず、高山植物を愛でることも、鳥の声や口中の姿に目を奪われることもなく、ひたすら傷の痛みに耐えながらのさんこうであった。涸沢小屋から上高地までの平坦な道は、普通ならば陽射しを木々がさえぎって気持ちの良い歩行が出来たと思う。ジョギングでのぼってくる人ともすれ違った。横尾や徳沢あたりで数日避暑を兼ねて滞在するのも悪くないと思った。