毎日携帯電話から日記風にアップしていたので特に記すことはなくなってしまった。いくつかの追加の感想と写真をアップしてみる。
白川郷に入ってまず目に飛び込んできたのが、蕪村の句を掲げた門。句は「門を出れば我も行人秋のくれ(もんをいづれぱわれもゆくひとあきのくれ)」。聞いたことがあるが出展はわからなかった。帰ってから調べたら、1774(安永3)年9月、蕪村58歳の作。田沼意次の絶頂期の頃。芭蕉の「此道や行人なしに秋の暮」の追慕の句であるとこと。
ただ、白川郷の合掌造りの家は木目が美しいと感じた。形やライトアップの美しさなどが喧伝されているが、私は新しい木材を使った板目の模様に心動かされた。しかしそれを写真に収める力量はなく、撮った写真はどれもただ、板目のアップにしか過ぎないものであった。
しかしこの板目と雪がとても面白い組み合わせに思えた。私にもこれらをいい写真にする力量があったらと思った。
白川郷の建物でもうひとつ目に付いたのが、明善寺というお寺の鐘楼。大きな門の上に鐘楼が載っている。とても凝った建物で、風格がある。鐘楼には登れないのだが、雪の中に青銅色の鐘がとても目立った。
鐘楼の材木には色が施されていたらしいが、今は白い色が残っており、獅子をかたどった形の頭と口の中にわずかに赤い色が残っていた。これは写真に撮ったものの目立たないかすかな色であったのが惜しまれる。
高山では2日目の朝に「宮川朝市」を散策、といっても朝はとても冷え込み散策といった雰囲気ではなかった。しかし川沿いにビニールで覆った小さな店舗とその中で炬燵に当たりながらものを売る姿は風情がある。大きな声での呼び込みもなく、ゆっくりとさまざまな小さなお土産や食料を見ながら歩くことが出来た。
川に面した商店も店を開けており、こちら側もなかなかいい雰囲気だ。お昼までには川沿いの店舗は片付けられ、整然としたメリハリのある地元の振る舞いは心地よい。
高山では屋台会館を見学し始めて屋台を見る機会を得た。その大きさや華麗な装飾は確かに見ごたえがある。実際の祭りの場面は魅力的なのであろう。はたして見学する機会があるだろうか。是非見てみたいものである。
今回の旅行、ちょうど寒気の居座る中に飛び込んでいくようなものであった。確かに寒かった。何より驚いたのは、岐阜まで南下したにもかかわらず、岐阜で雪がちらついていたことだ。
確かに関が原から岐阜にかけては毎年雪が降り、新幹線の運行にも影響が出ることは知っていたが、雪雲や寒気がここまで来るのを実感したのは初めてだ。そして名古屋までわずか特急で10分なのだが、名古屋がずいぶんと暖かに感じた。これほどの気温差があることもまた驚きであった。
これまで高山線というのは、北アルプに行くための線路としか印象になかった。高山の街そのものの印象が、新穂高温泉までのバスの発着点という、貧弱な発想しかなかったことはとても残念であった。地元の方がこの記事を読んだら怒るかもしれないが、今回の旅行でこの貧弱な発想を改めたということで勘弁してもらおう。
白川郷に入ってまず目に飛び込んできたのが、蕪村の句を掲げた門。句は「門を出れば我も行人秋のくれ(もんをいづれぱわれもゆくひとあきのくれ)」。聞いたことがあるが出展はわからなかった。帰ってから調べたら、1774(安永3)年9月、蕪村58歳の作。田沼意次の絶頂期の頃。芭蕉の「此道や行人なしに秋の暮」の追慕の句であるとこと。
ただ、白川郷の合掌造りの家は木目が美しいと感じた。形やライトアップの美しさなどが喧伝されているが、私は新しい木材を使った板目の模様に心動かされた。しかしそれを写真に収める力量はなく、撮った写真はどれもただ、板目のアップにしか過ぎないものであった。
しかしこの板目と雪がとても面白い組み合わせに思えた。私にもこれらをいい写真にする力量があったらと思った。
白川郷の建物でもうひとつ目に付いたのが、明善寺というお寺の鐘楼。大きな門の上に鐘楼が載っている。とても凝った建物で、風格がある。鐘楼には登れないのだが、雪の中に青銅色の鐘がとても目立った。
鐘楼の材木には色が施されていたらしいが、今は白い色が残っており、獅子をかたどった形の頭と口の中にわずかに赤い色が残っていた。これは写真に撮ったものの目立たないかすかな色であったのが惜しまれる。
高山では2日目の朝に「宮川朝市」を散策、といっても朝はとても冷え込み散策といった雰囲気ではなかった。しかし川沿いにビニールで覆った小さな店舗とその中で炬燵に当たりながらものを売る姿は風情がある。大きな声での呼び込みもなく、ゆっくりとさまざまな小さなお土産や食料を見ながら歩くことが出来た。
川に面した商店も店を開けており、こちら側もなかなかいい雰囲気だ。お昼までには川沿いの店舗は片付けられ、整然としたメリハリのある地元の振る舞いは心地よい。
高山では屋台会館を見学し始めて屋台を見る機会を得た。その大きさや華麗な装飾は確かに見ごたえがある。実際の祭りの場面は魅力的なのであろう。はたして見学する機会があるだろうか。是非見てみたいものである。
今回の旅行、ちょうど寒気の居座る中に飛び込んでいくようなものであった。確かに寒かった。何より驚いたのは、岐阜まで南下したにもかかわらず、岐阜で雪がちらついていたことだ。
確かに関が原から岐阜にかけては毎年雪が降り、新幹線の運行にも影響が出ることは知っていたが、雪雲や寒気がここまで来るのを実感したのは初めてだ。そして名古屋までわずか特急で10分なのだが、名古屋がずいぶんと暖かに感じた。これほどの気温差があることもまた驚きであった。
これまで高山線というのは、北アルプに行くための線路としか印象になかった。高山の街そのものの印象が、新穂高温泉までのバスの発着点という、貧弱な発想しかなかったことはとても残念であった。地元の方がこの記事を読んだら怒るかもしれないが、今回の旅行でこの貧弱な発想を改めたということで勘弁してもらおう。