懇意にしていただいている方から「子供が小さい頃、『ひとつずつ、ひとつずつ』と教えてきたが、最近は自分があせって何かをしていると、子供にそのことをいわれる」という話を聞いた。とても大事なことだと思う。
そして最近、ブログを訪れてくれる葦原の山姥様から「一日ひとつ」というアドバイスをコメントでいただいた。通りがかり人様からもそのことの大切さを指摘された。そう、肝に銘じなければいけない。
少しニュアンスの差はあっても、ひとつのことをキチンと丁寧に片付けながら前に進んでいく、一日を暮らさなくてはならないということでは共通している。とても大切な教訓だ。
会社や職場ではつまらない処世訓を「人生哲学」だとか称して上司がつまらない訓示をする。底が浅くて、受け売りで、そのまま訓示を垂れる人間にお返しをしたいのだが‥。私にしてみれば、それらの言葉はとても聞くにとても耐えられない。
しかし先に上げた言葉などこそ大切な言葉に聞こえる。特にこの歳になって、気持ちが浮ついているときなどには忘れてはならない言葉だと思う。
本日は年明けに観光旅行で訪れるベトナムの食事とはどのようなものなのか、ということでベトナム料理の店で夕食を食べてみた。実はベトナムを選択したのは妻なのだが、当の本人が4泊5日どんな料理か不安だと言い出した。何でも食べてしまう私と違って、妻は多少食べるものに得手・不得手がある。
夕食として食べたのは、揚春巻き、蒸し鳥、豚の耳が入ったベトナムハム、鶏肉のフォー。お酒はベトナムのビールと、私はベトナム産の焼酎。妻は豚の耳入りのハムについては少々抵抗があったようだが、あとは何とか口に出来、これならばと、一応安心したらしい。ただし付け合せの香草(パクチー)とベトナム醤油のヌックマムは苦手らしい。私は特に気にならなかったというより、おいしいと感じた。
ベトナムは昔フランスの植民地を経験したのでフランス料理の流れが入っているようだ。そして同じように中国の周辺にあって中国料理の影響があると思っていたが、朝鮮半島の料理と違うなと感じたのは、肉にしろ野菜にしろ素材の味付けがあっさりしている。というよりほとんど味は付けていない。つけあわせというかかけるソースにさまざまな工夫がしてあり、これがおいしい。ある意味では朝鮮・韓国の料理よりも我々にはなじめるのかもしれない。ほんのいくつかの料理を試してみただけだから的外れかもしれないが、こんな印象をもった。
さて昨日新宿の飲み屋で飲んだ日本酒は「一ノ蔵」という宮城県のお酒。一緒に飲んだ仲間も同じものを注文した。大学が仙台だったからか、名前は昔からよく知っているのでつい注文してしまう銘柄のひとつだ。
しかし不思議なことに、知っている東北の銘柄がなくても、ついつい無意識にでも東北地方のお酒を選んでしまう。どこか懐かしさがあるのだろう。特に味がいいとか、そのようなことはわからない。そんなに立派な味覚、酒の鑑定能力があるわけではない。でもお酒のメニューで東北六県の地名があると自然にそれを指定してしまう。
そして、本日のベトナム料理のあと、元旦のお酒は何にしようかと酒屋に寄ってみた。全国各地のお酒が並んでいたが、やはり無意識のうちに東北地方のお酒を探していた。そして今年のお酒として選んだのが「鳴瀬川」というお酒。特に高いものでもないし(そう、それがいいのである)、精米歩合が高いというのでもない。「確か昔、宮城県に鳴瀬町があったな」位の思いで購入した。

ネットで検索したら鳴瀬町と矢本町が合併して東松島市となっていた。そして鳴瀬川は舟形山からこの東松島市の旧鳴瀬町地区で太平洋に注いでいる。醸造元の加美郡加美町はこの川の最上流に位置する地域だ。そして東松島市あたりの仙石線は昨年の大津波で寸断され大きな被害をこうむったあたりだ。旧鳴瀬町区域の区間は確か、内陸側に移設せざるを得ないとも聞いた。このお酒の醸造元は奥羽山脈の舟形山の方だから津波の被害はなかったかもしれないが‥。
何はともあれ、私の嗜好は東北方面にあるのは間違いがなさそう。
もうひとつ、午前中にアップした昨日の報告で私がすっかり忘れていた内容、同窓会のような集まりは「やはり仙台で」ということであった。時期はいくつかの候補があったのだが、時期については呼びかける方・参加予定者の都合も聴きながら確定しないと参加者が確保できない。これからの論議にゆだねざるを得ない。むろん案は作成しなくてはならないが‥。まぁいろいろな人の意見を聴きながら進めるのが楽しみのひとつでもある。
そして最近、ブログを訪れてくれる葦原の山姥様から「一日ひとつ」というアドバイスをコメントでいただいた。通りがかり人様からもそのことの大切さを指摘された。そう、肝に銘じなければいけない。
少しニュアンスの差はあっても、ひとつのことをキチンと丁寧に片付けながら前に進んでいく、一日を暮らさなくてはならないということでは共通している。とても大切な教訓だ。
会社や職場ではつまらない処世訓を「人生哲学」だとか称して上司がつまらない訓示をする。底が浅くて、受け売りで、そのまま訓示を垂れる人間にお返しをしたいのだが‥。私にしてみれば、それらの言葉はとても聞くにとても耐えられない。
しかし先に上げた言葉などこそ大切な言葉に聞こえる。特にこの歳になって、気持ちが浮ついているときなどには忘れてはならない言葉だと思う。
本日は年明けに観光旅行で訪れるベトナムの食事とはどのようなものなのか、ということでベトナム料理の店で夕食を食べてみた。実はベトナムを選択したのは妻なのだが、当の本人が4泊5日どんな料理か不安だと言い出した。何でも食べてしまう私と違って、妻は多少食べるものに得手・不得手がある。
夕食として食べたのは、揚春巻き、蒸し鳥、豚の耳が入ったベトナムハム、鶏肉のフォー。お酒はベトナムのビールと、私はベトナム産の焼酎。妻は豚の耳入りのハムについては少々抵抗があったようだが、あとは何とか口に出来、これならばと、一応安心したらしい。ただし付け合せの香草(パクチー)とベトナム醤油のヌックマムは苦手らしい。私は特に気にならなかったというより、おいしいと感じた。
ベトナムは昔フランスの植民地を経験したのでフランス料理の流れが入っているようだ。そして同じように中国の周辺にあって中国料理の影響があると思っていたが、朝鮮半島の料理と違うなと感じたのは、肉にしろ野菜にしろ素材の味付けがあっさりしている。というよりほとんど味は付けていない。つけあわせというかかけるソースにさまざまな工夫がしてあり、これがおいしい。ある意味では朝鮮・韓国の料理よりも我々にはなじめるのかもしれない。ほんのいくつかの料理を試してみただけだから的外れかもしれないが、こんな印象をもった。
さて昨日新宿の飲み屋で飲んだ日本酒は「一ノ蔵」という宮城県のお酒。一緒に飲んだ仲間も同じものを注文した。大学が仙台だったからか、名前は昔からよく知っているのでつい注文してしまう銘柄のひとつだ。
しかし不思議なことに、知っている東北の銘柄がなくても、ついつい無意識にでも東北地方のお酒を選んでしまう。どこか懐かしさがあるのだろう。特に味がいいとか、そのようなことはわからない。そんなに立派な味覚、酒の鑑定能力があるわけではない。でもお酒のメニューで東北六県の地名があると自然にそれを指定してしまう。
そして、本日のベトナム料理のあと、元旦のお酒は何にしようかと酒屋に寄ってみた。全国各地のお酒が並んでいたが、やはり無意識のうちに東北地方のお酒を探していた。そして今年のお酒として選んだのが「鳴瀬川」というお酒。特に高いものでもないし(そう、それがいいのである)、精米歩合が高いというのでもない。「確か昔、宮城県に鳴瀬町があったな」位の思いで購入した。


ネットで検索したら鳴瀬町と矢本町が合併して東松島市となっていた。そして鳴瀬川は舟形山からこの東松島市の旧鳴瀬町地区で太平洋に注いでいる。醸造元の加美郡加美町はこの川の最上流に位置する地域だ。そして東松島市あたりの仙石線は昨年の大津波で寸断され大きな被害をこうむったあたりだ。旧鳴瀬町区域の区間は確か、内陸側に移設せざるを得ないとも聞いた。このお酒の醸造元は奥羽山脈の舟形山の方だから津波の被害はなかったかもしれないが‥。
何はともあれ、私の嗜好は東北方面にあるのは間違いがなさそう。
もうひとつ、午前中にアップした昨日の報告で私がすっかり忘れていた内容、同窓会のような集まりは「やはり仙台で」ということであった。時期はいくつかの候補があったのだが、時期については呼びかける方・参加予定者の都合も聴きながら確定しないと参加者が確保できない。これからの論議にゆだねざるを得ない。むろん案は作成しなくてはならないが‥。まぁいろいろな人の意見を聴きながら進めるのが楽しみのひとつでもある。