夕方からはブリヂストン美術館ナイトという企画に参加した。今ブリヂストン美術館では「気ままにアートめぐり-印象派、エコール・ド・パリと20世紀美術」展を開催している。


ブログ・ツイッター・フェイスブックのアカウントを持っていることが参加条件ということで、申し込んだら100名のうちに入ることが出来た。
当日は16時から入場可ということで、16時少し過ぎに会場に到着。常設展で見慣れている作品でも、展示の切口が違うとまた違った印象に見えるし、これまで通り過ぎていた絵にも足を止めて見入ることがある。
16時過ぎに館内を見回った時に、足を止めたのは古賀春江の「涯しなき逃避」(1930年)と「感傷の静脈」(1931年)の2点。特に後者の暗い画面に描かれた無表情あるいは不安そうな女性像にのしかかるような顔の描かれていない人物像、これは画家自身の病の象徴なのだろうか。あるいは時代の象徴なのだろうか。興味がわいてきた。
この2点の絵、いづれも昭和5年、6年という年代。1930年は共産党弾圧事件と政友党の圧勝と政友党内閣の濱口首相暗殺未遂事件がおきた年である。そしていわゆる満州事変へと到る柳条湖事件が軍部の謀略でおきた年が1931年である。この事件で日本国中が「反中国人意識」で熱狂した年である。絵画自体に時代とのかかわりを直接に求めるのは間違いとはわかっていても、そして本当は展覧会の副題にあるように「エコール・ド・パリ」という文脈の中で評価するのが本筋だとはわかっていても‥。ちょっと気になってしまう性分だ。
一昨年に回顧展が行われたらしいが、私はその頃はこの画家についてはまったく無知であり、関心がなかった。今から思えば見逃したことはもったいないことであった。
もうひとつは、いつ見ても不思議な存在感を見せてくれる1985年作のザオ・ウーキーの絵「07.06.85」。

青い波のようなかたまりの不思議な青のグラデーションと墨書の線のような形をした白い線が描かれている。いつも大きな力で圧倒されるような気がする。現代絵画の中で私の好きな一点である。そしてその横にかけてある小さな「21.Sep.50」と言う作品。これはどうしても私はパウル・クレーの絵を連想してしまうのだが、私の連想の元になったクレーの絵は画集や図録をめくっても該当するような絵がない。単なる誤解なのか、判然としない。ただし解説ではクレーから多大な影響を受けたことがわかる。
こうして会場を一巡した後、「ブリヂストン美術館ナイト」のイベント会場に入った。
式次第は掲載のとおり。

今年60周年を迎えるこの美術館のこれまでの企画の説明の後、トークイベントでは三菱一号館美術館の阿佐美学芸員とブリヂストン美術館の賀川学芸員のトーク。それぞれの美術館の特性や制約の中での企画展の難しさなど現場からの発言は短い時間の割には面白かった。
ブロガーの意見交換会というパネルディスカッション形式では、鑑賞の手引きになるような話や資料もあり、これも聞いていて楽しかった。ブリヂストン美術館の所蔵する現代美術の一品として先ほどのザオ・ウーキーの作品が取り上げられていて、私としては自分の気に入った作品でもあり何かうれしく感じた。
忘れてならないのは、セザンヌの「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」が貴重な作品ということ、これはそれとなく聞きかじって知識としては知っていたし、そして何回見ても好きな絵である。が、これほどの自負をお持ちだとは、「恐れ入りました。これからはもっとじっくりと拝見します」というほかはなかった。美術館としてのいい意味での「自負」「誇り」となり続けることを期待したい。
このイベントのあと、会場で3点ほど絵画の説明が若い学芸員によって行われた。なかなか好感の持てる説明であった。
美術館のカイユボットの「ピアノを弾く若い男」はドビュッシー展でお披露目になっていた。この絵事態は私はそれほど心惹かれてはいなかったのだが、絵解きでピアノの製造元が示され、これが高価なものであること、このモデルが画家の弟あること、画家は印象派の画家のパトロン的に役割も果たしていたこと、譜面台の横に置かれた楽譜はドビュッシーのピアノの師の作った教則本であることなど、ドビュッシー展でも紹介されていたことでもあらためて説明を受けて思い出すことが出来た。2回説明を受ければ私でも一応は記憶に残ると思う。
その横に展示されているルノワールの作品2点につても説明があったが、どうもルノワールという画家、私は食わず嫌いなので耳に残らなかった。これは申し訳ないことをした。
懇親会の会場には入ったが、ワインを2杯飲んだだけで特に会話には加わらなかった。しかしこのような企画は美術館と鑑賞者を結ぶオープンな場の設定としてはいい試みだと思う。美術といっても鑑賞のための知識は私にはほとんどない。たとえちょっとした知見でもいい、高価な図録に書かれたものだけでなく、口で伝えてもらえたらもっといい鑑賞が出来る。
帰途は雨となったが、横浜についた頃には雨はほぼ上がっていた。


ブログ・ツイッター・フェイスブックのアカウントを持っていることが参加条件ということで、申し込んだら100名のうちに入ることが出来た。
当日は16時から入場可ということで、16時少し過ぎに会場に到着。常設展で見慣れている作品でも、展示の切口が違うとまた違った印象に見えるし、これまで通り過ぎていた絵にも足を止めて見入ることがある。
16時過ぎに館内を見回った時に、足を止めたのは古賀春江の「涯しなき逃避」(1930年)と「感傷の静脈」(1931年)の2点。特に後者の暗い画面に描かれた無表情あるいは不安そうな女性像にのしかかるような顔の描かれていない人物像、これは画家自身の病の象徴なのだろうか。あるいは時代の象徴なのだろうか。興味がわいてきた。
この2点の絵、いづれも昭和5年、6年という年代。1930年は共産党弾圧事件と政友党の圧勝と政友党内閣の濱口首相暗殺未遂事件がおきた年である。そしていわゆる満州事変へと到る柳条湖事件が軍部の謀略でおきた年が1931年である。この事件で日本国中が「反中国人意識」で熱狂した年である。絵画自体に時代とのかかわりを直接に求めるのは間違いとはわかっていても、そして本当は展覧会の副題にあるように「エコール・ド・パリ」という文脈の中で評価するのが本筋だとはわかっていても‥。ちょっと気になってしまう性分だ。
一昨年に回顧展が行われたらしいが、私はその頃はこの画家についてはまったく無知であり、関心がなかった。今から思えば見逃したことはもったいないことであった。
もうひとつは、いつ見ても不思議な存在感を見せてくれる1985年作のザオ・ウーキーの絵「07.06.85」。

青い波のようなかたまりの不思議な青のグラデーションと墨書の線のような形をした白い線が描かれている。いつも大きな力で圧倒されるような気がする。現代絵画の中で私の好きな一点である。そしてその横にかけてある小さな「21.Sep.50」と言う作品。これはどうしても私はパウル・クレーの絵を連想してしまうのだが、私の連想の元になったクレーの絵は画集や図録をめくっても該当するような絵がない。単なる誤解なのか、判然としない。ただし解説ではクレーから多大な影響を受けたことがわかる。
こうして会場を一巡した後、「ブリヂストン美術館ナイト」のイベント会場に入った。
式次第は掲載のとおり。

今年60周年を迎えるこの美術館のこれまでの企画の説明の後、トークイベントでは三菱一号館美術館の阿佐美学芸員とブリヂストン美術館の賀川学芸員のトーク。それぞれの美術館の特性や制約の中での企画展の難しさなど現場からの発言は短い時間の割には面白かった。
ブロガーの意見交換会というパネルディスカッション形式では、鑑賞の手引きになるような話や資料もあり、これも聞いていて楽しかった。ブリヂストン美術館の所蔵する現代美術の一品として先ほどのザオ・ウーキーの作品が取り上げられていて、私としては自分の気に入った作品でもあり何かうれしく感じた。
忘れてならないのは、セザンヌの「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」が貴重な作品ということ、これはそれとなく聞きかじって知識としては知っていたし、そして何回見ても好きな絵である。が、これほどの自負をお持ちだとは、「恐れ入りました。これからはもっとじっくりと拝見します」というほかはなかった。美術館としてのいい意味での「自負」「誇り」となり続けることを期待したい。
このイベントのあと、会場で3点ほど絵画の説明が若い学芸員によって行われた。なかなか好感の持てる説明であった。
美術館のカイユボットの「ピアノを弾く若い男」はドビュッシー展でお披露目になっていた。この絵事態は私はそれほど心惹かれてはいなかったのだが、絵解きでピアノの製造元が示され、これが高価なものであること、このモデルが画家の弟あること、画家は印象派の画家のパトロン的に役割も果たしていたこと、譜面台の横に置かれた楽譜はドビュッシーのピアノの師の作った教則本であることなど、ドビュッシー展でも紹介されていたことでもあらためて説明を受けて思い出すことが出来た。2回説明を受ければ私でも一応は記憶に残ると思う。
その横に展示されているルノワールの作品2点につても説明があったが、どうもルノワールという画家、私は食わず嫌いなので耳に残らなかった。これは申し訳ないことをした。
懇親会の会場には入ったが、ワインを2杯飲んだだけで特に会話には加わらなかった。しかしこのような企画は美術館と鑑賞者を結ぶオープンな場の設定としてはいい試みだと思う。美術といっても鑑賞のための知識は私にはほとんどない。たとえちょっとした知見でもいい、高価な図録に書かれたものだけでなく、口で伝えてもらえたらもっといい鑑賞が出来る。
帰途は雨となったが、横浜についた頃には雨はほぼ上がっていた。