Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

敬老の日

2014年09月15日 22時18分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 本日は「退職者連合(日本高齢・退職者団体連合)」主催の「2014全国高齢者集会」ということで、日比谷公会堂まで出向いた。
 腰痛がまだ心配なので、痛み止めを2回分と折り畳み式の杖を持参したが、さいわいそれらのお世話になることも無かった。
 天気も曇り空で、日比谷公会堂から東京駅までのデモも暑すぎることなく楽に歩いた。

 終了後東京駅で軽くビールを飲んで帰ってきた。東京駅は夕方とても人が多かった。長距離バスの出発する南口だけでなく、中央口も北口も人が溢れかえっていた。3連休が終わりそれぞれの土地に帰る人々であろうか。東京駅周辺の居酒屋も列車やバスの時間待ちの若い人で盛況であった。
 明日は午後一番で退職者会の打ち合わせ会議、その後18時30分から2代目高橋竹山のライブが渋谷で行われる。楽しみである。

「オルセー美術館展」(国立新美術館) その3

2014年09月15日 09時20分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 エドゥアール・マネの「ロシュフォールの逃亡」(1881)は49歳の作品。亡くなったのが51歳という若さだから、晩年の作品となってしまう。
 ナポレオンの体制に抵抗したロシュフォールが囚われの地から逃亡するようすとのこと。画面のほとんどを占める荒いタッチの暗い波が逃亡者の不安を象徴している。白い飛沫も明るさやオールを漕ぐ力強さを表してはいない。白は星や月の明かりでも、そして希望でもなさそうである。
 上方に微かに点のような黒い塊であらわされた大型船が唯一の救いの象徴かもしれない。病気と苦闘するマネの晩年の心境をこの絵から読み解くことも鑑賞者には許されている
 人の表情は判読できない。しかし私はこのように風景画であっても人の営みや活動の痕跡、人の意識がほのかに漂う風景画が好みである。人がこれみよがしに前面に出て何かを語るような作品よりも、多くのことを語ってくれるような気がする。昨日取り上げた「かささぎ」についても人の営みの痕跡を見ることができた。大仰なドラマ仕立ての歴史画というのは馴染めないが、市民社会に埋もれている人々の生きた痕跡が伝わる風景画は好きである。
 夏目漱石が坂本繁二郎の「うすれ日」という牛の絵を「此画には奥行がある‥。其奥行は凡て此一疋の牛の、寂寞として野原の中に立っている態度からでるのである。牛は沈んでいる。もっと鋭く云えば、何か考えている。「うすれ日」の前に佇んで、少時此変な牛を眺めていると、自分もいつか此動物に釣り込まれる。さうして考えたくなる。」と評した。このような鑑賞の仕方が私の理想である。人の営みの痕跡を匂わせて、このように考えさせてくれる契機となる絵が好みである。
 この絵の題名から「ロシュフォール」という固有名詞を取り除いても、また「逃亡」という具体的な行為を示す言葉が無くとも、この絵の価値は変わらないと思う。単に「船出」でも「航跡」でも充分に先ほどのような鑑賞ができる。



 同じくマネの「アスパラガス」(1880)は、マネの晩年の人柄を示すエピソードが添えられている。真偽はともかく、「一束のアスパラガスを描いた絵を800フランで売却したところ買い主が1000フラン送ってきたので、「1本抜け落ちていた」との一言を添えて本作を贈った」という。肩の力を抜いた小さな作品だが好ましい。
 それを知ってこの絵を見ると、広い台の端に不安定に置かれた脆い野菜が、取り残された存在の不安と孤独を表していないか。微笑ましいエビソードだけでなく晩年の病身の画家の孤独と不安の表現と見ることもできる。何も置かれていない広い台が多くを語ってくれていないか。エピソードは絵を見る目をあらかじめ限定してしまうので、私は好まないが、この程度のものはそれなりに楽しい。



 ジャン=レオン・ジェロームの「エルサレム」(1867)。43歳でアカデミズムの画家として栄華の絶頂期の作品とのことである。表題から去りゆく兵隊と遠景の町並、黒い雲を見て、ゴルゴダの丘を去るローマ軍とまでは類推できた。講師の三沢恵子さんから「右手の影に注目」といわれて目から鱗が落ちた。本当に驚いた。3名の磔刑図である。当然真ん中がキリスト。
 磔刑の影を強調するためだろう、右からの太陽の光線が異様に明るい。聖書では雷が轟き暗く曇ったことになっているが、直前の一瞬の光を持ってくることでドラマを仕立てた。右上には不気味に赤く輝く月も星も描かれている。人類史2000年でその名のもとに、どのくらいの人を殺戮したかわからないほどの殺戮に繋がった1人の死、を鮮やかに浮かび上がらせている。歴史画として、一瞬の時が永遠につながるマジックと、2000年の歴史を思い出させてくれる。サロンの絵画も新しい視点、あたらしい構図に挑戦をしていたことを窺わせる絵と理解している。
 そして展覧会でこの絵を見て描かれた年が1867年というのがまた印象に残った。明治維新前年である。アカデミズムの絵ということであれば当時の日本では狩野派の絵ということになる。狩野派はこのようなダイナミズムを発揮できていたのだろうか。日本の絵画のその後の展開からは狩野派の内部の革新的エネルギーの発露を私は知らない。



 セザンヌは私の好きな画家の1人である。「首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ」(1873)を含め7点も見ることができた。
 セザンヌについてはもっと勉強してから書きたいと思っている。私はセザンヌが好きな理由が緑の使い方である。特に木々の葉の描写に惹かれる。
 大体が濃い緑と淡い緑の2色を使って、たいていの木々を描き分ける。色と同時に筆致が木々の勢いをうまく表していると思う。同時に出展している「ポプラ」など緑1色の絵といっていいかもしれないが、心に残る作品である。
 このころセザンヌはカミーユ・ピサロとともに描き、この絵は第1回印象派展に出品した初期の代表作である。
 この絵は緑の木はなく、草が緑であるが、緑が道の奥行き感を表している。左側の道は奥に行くにしたがい緑色が明るく背丈が高くなり、右側の道は奥に行くにしたがい暗い緑となり緑の色の部分の幅が狭くなる。見方によっては不思議な遠近感である。
 印象派とは分かれポスト印象派と呼ばれたり、キュビズムへ大きな影響を与える方向がなんとなく予感できる絵だと思う。